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シアトルにある、パナマホテルで。

野球選手の城島が奥さんが宇和島屋があるから喜んだので、マリナーズに移籍を決めたという逸話も。


宇和島屋というスーパーマーケットに向かい、日本町の文字を発見したので、歩いていると何も調べず見つけたホテルがパナマホテル。


どちらもこの地に来なかったら知ることがなかった場所だ。

パナマホテルのエントランス

引き寄せられるように中に入るとカフェがあって、日系人の展示物もたくさん掲示されていた。

日本からの移民によって建てられたパナマホテル。創立が1910年。だからもう114年になる。地下には、銭湯の跡地もあって、移民の人たちは過酷な労働の汗を流しながら皆んなで世間話や愚痴を言い合ったという。

銭湯の様子。この日は担当の人がいなくて
中には入れなかった。


第二次世界大戦が勃発したとき、全ての日本人に対して強制収容があって、そのときに地下室で預かったまま引き取り手がいない荷物や家財道具になると言う。両手に持てるだけの荷物しかダメだったとか。そのときの張り紙も読んだが、理不尽極まりないというか痛烈な内容だった。


内容が唐突で理不尽
陽気でフレンドリーなジョンさん

今では、日系二世の堀さんからジョンさんがその意思を受け継ぎ守り抜こうとしていてる。彼女の破天荒な生き方も面白い。詳しい内容は、下記のNHK Worldの内容がわかりやすくまとめられている。

そのジョンさんがたまたま居て、「日本から来た」と言うと、「あなたはこれを見た方が良い、後世に残さないと」と熱くホテルを案内してくれた。シアトルは正直、イチローが居た街を見てみたいと言うぐらいでしかなかったのに、思いもよらないところで胸が熱くなる出来事だった。

回すと電気がつく、これも現役。
100年以上前に余った板で作られたと思われる、家財道具
ベッドも風情がある
114年変わらずのままの階段
ヒーターも現役だ
部屋の番号もいい感じ


スイッチも、階段も、扉も、配電盤も、いくつ
かのベッドライトも、100年以上前から変わらない姿で存在する。

彼女が熱いパッションを持って、日本人の歴史を伝えていたら、いつしか建物自体が国立の博物館みたいになり、日本の外務大臣から表彰されたていた。

日本町を伝える看板。左のはジョンさんがデザインしたのだとか。
国立の歴史的建造物に認定された
日本の外務省、総領事館からも表彰されている

日本の歴史を価値だと言って伝え続けようとしてくれているアメリカンがいることを僕たちは知っておきたい。

ブラジルで日系移民のことを知ってから、面白いように日系人のものに引き寄せられる。そして、”日系”というアイデンティティを持った人たちは日本人以上に日本人だと思うことがある。

多動な僕も、きっと100年前に生まれていたらきっと胸を躍らせながら移民になっていたはず。

が、ネットもない、言葉も通じない場所で、先人の方々が街を作り上げたことに脱帽する。そして、何よりジョンさんの活動やこのホテルのことを日本人である人たちに知ってもらいたいと思った。

もしシアトルに行くことがあり、このホテルや彼女の活動に興味があって、彼女に会ってみたい、パナマホテルを見学してみたい方がいたら、彼女の連絡先を教えます。

全てに歴史を感じるのだ
配電盤?
ホテルで保管されていた道具。杵や臼もある

彼女が、日本人にたくさん来て欲しいと言っていたから。ちなみにまだまだ現役のホテルで、泊まることもできるので、ぜひ泊まってみて欲しい。

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