枝葉末節

本日二度目の投稿。

久方ぶりの居合道の稽古だった。
丸々一ヶ月空いた。
妻の入院やら自分の体調不良やらで、なかなか稽古に出られなかった。

朝の日課で、素振りやスクワットなどは行っていた。
それでも、袴をはいて、刀を腰にさしての居合稽古は一ヶ月しておらず、正座や立膝の業のみならず立業さえも家で全く自主稽古をしていなかった。

それで、稽古後には腕がパンパンになった。
それは当然の結果で、数時間1キロ近い重さの居合刀を振り続けるのは、ブランクがあれば尚のこと。
(腕だけで振っているからだという情けない理由も考えられる…)

稽古前や休み時間には、師匠をはじめ、親しみやすい先輩方と談笑し、仕事でたまった憂さを晴らした。
そして、稽古中は年始に行われる初抜き大会の業に集中的に取り組んだ。

それにしても、毎朝素振りをしていたとはいえ、居合の形で練習していなかったため、稽古の数をこなせばこなすほど姿勢が崩れ、汗の量と比例して疲労感も感じられた。
そのせいで、刀を頭上に振り被るのが浅く、前屈みの姿勢になって振っているのを師匠に見られ、ご指摘を受けた。
実際に、今日は二度も床打ちをしてしまった。
一日に二度も床打ちをするなんて、3年目の今年に入っては全くなかったことなのに…稽古に1か月出ないと、こんなに酷くなってしまうものなのかと、残念でならなかった。

稽古前、師匠が道場生全体に向けた話の中で、体格差、個人差を考慮の上、業の基本が本筋に合っていれば細かい注意はしないということを仰った。

「枝葉末節」は問題視せず、例えば、真っ直ぐ斬り下ろすところを袈裟斬りにしていたりすれば、業として違うモノになってしまうので、そういった点は正していかなければならないが…と。

これまで以上に、業に対して寛大な御意見を述べられた。
たしかに、指導してくださる先輩によっては、業の違いが若干見られることがある。

例えば、斬りつけの刃筋や腕の高さ、納刀時の鞘手の動きや腰の使い方など…
多少だが異なる点はある。

それでも、基本が大きく違っていなければ認めるということを公にされた。

これを聞いて、細かい指摘を受けるよりもその方が取り組みやすいと感じ、気が楽になったのも束の間…
基本ができていない自分は「枝葉末節」の部分は関係なく…

もっと鍛錬しなければ、理想は手に入らないと改めて感じた1日だった。
だが、今日稽古に参加できたことで、明らかに心身の状態は良くなった。
やはり、自分には居合の稽古が欠かせないということも改めて確認できた。

また、仕事についても、「枝葉末節」は意識せず、自分のビションと大きく関わる点だけを追求し、阻害される恐れのある危険因子は滅殺すべく「七息思案」で「大胆不敵」に改革していくと心に強く誓った。


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