シェア
yuki
2020年6月12日 06:02
誕生日に面会に行ったあと次男から何度か手紙がきた。「にいちゃんがデザインしたTシャツはめちゃ良かったと思います。でも父さんが着こなしてるから良い感じに見えたのかなと思います。」「父さんはいつも走ったり筋トレしてたけど俺はそういうの苦手だったのに、ここではずっと続けています。父さんが続けていたのも身体がなまるのが嫌だったからかなとか思います。」「今回のことで父さんに迷惑をかけたことを数え
2020年6月11日 06:27
次男の面会にも行かず様子も聞かない夫は相変わらずだったが、私はそれをよしとした。やれるだけをやると決めた自分の気持ちを貫き、夫にも優しく明るく過ごしていた。手放せないものがたくさんある時はしんどい。どうなってももういいや、成るようにしかならない、ただ物事が起こるだけと思えたらずいぶん楽な気がした。ある時夫と外食をした。食事が終わるころ夫が泣いた。夫は泣かないので泣くと悲しい。つら
2020年6月10日 06:04
今日は初めて長男のことを書いてみようと思う。長男は小さな頃から手がかからない子だった。聞き分けがよくわがままを言うこともほとんどなかった。誰の空間も邪魔しないような空気感で、家にいても居たの?と思うほど気配が無くよく驚かされた。初孫で両家の祖父母から愛された。大人の用事で連れ回すことがあっても自分なりの時間を過ごすことが出来た。絵が好きで本が好きで静かで物を丁寧に扱う子だった。
2020年6月9日 05:53
鍵のかかったドアをいくつも開けてもらい次男と面会をした。あの頃どんなことを話しただろう。あれだけ反抗していた次男でも話す相手は私しかいなかった。テレビの話や新聞広告に載っていた本を差し入れして欲しいなどそんな話だった。次男はどんなことを考えていただろうと思う。なんとなく元気のない日もあった。辛いとも言わなかった。次男は自分の気持ちをあまり言葉にしなかった。小さな頃は誰よりも喜
2020年6月8日 06:02
1人暮らしを始めてすぐにまた次男は警察のお世話になり2度目の少年院へ。私は生まれて初めて通る道を運転し面会へ行く。次男が少年院に居る1年の間に何度この道を通るだろうと考えた。1本道をずーっと真っ直ぐに車を走らせる。少年院はいつも遠かった。1度目の少年院は短期だったが、今回のような長期の少年院は非行が進んだ子どもが多い。次男のことを棚に上げて、非行の進んだ子の影響を受けないで欲しい
2020年6月6日 06:45
次男の1人暮らしはスタートした。廃墟団地、会社の寮、鑑別所、少年院、一体どれだけ住まいを転々とするんだろう。私は時々次男に会い食べ物を渡したりしていた。夫はそんなことをしたら出て行った意味がない。次男には意地がない、甘えてばかりだと嫌がった。甘やかすから調子に乗るんだとも言っていた。私も決して甘やかしたかったわけではない。見放せたらどんなに楽だったろう。もう知らない、無理です
2020年5月30日 07:42
ついにこの日が来た。半年間の少年院生活。社会生活の中では更生が難しいと言われた次男の矯正教育が終わる。 少年院を出たから終わりではなく、継続して保護観察はつづく。今回も前と同じ保護司が担当になり有り難かった。次男には守らなければいけない遵守事項がある。仕事をする、帰宅時間を守る、交通違反をしないといった難しくない内容だった。少年院を退院した次男は1番に散髪に行きさっぱりとした。
2020年5月29日 06:43
次男の少年院での生活は続いていた。私は書けるだけ手紙を書き、面会も欠かさなかった。 次男からの手紙には[前略、拝啓、ご自愛ください]などの文字が強い筆圧で丁寧に書かれていて、こんなに上手に字が書けたんだなと思った。 普段使わない言葉への違和感と次男の学びを感じながら何度も読み返した。「面会の時、駐車場に停まっているうちの車が見えました。一緒に乗って帰れたらどんなにいいかと思いま
2020年5月28日 06:00
小学校の運動会は両祖父母も揃っていつも賑やかだった。 中学校の運動会は遠くから写真を撮っただけで終わった。 中退した高校の運動会では無視された。 少年院の運動会は未経験だ。私は1人で参加した。 写真に残すことも許されない運動会。 北朝鮮の軍隊のように揃った動きで出てきた子どもたちを見た瞬間、涙があふれた。 金髪で暴言を吐きまくっていた子がどうやったらこんなふうになるんだろ
2020年5月27日 06:04
少年院。社会生活の中では更生が難しいと判断された子どもたちが行く矯正施設。罰ではなく更生するための教育を受けることを目的としている。家庭裁判所での審判で次男は県外の少年院へ行くことが決まった。 自宅から遠く離れた静かな場所だった。 はじめて面会に行った日。大きな建物の中は静かだった。入り口には卒院生の絵などが飾られている。独特の雰囲気がある。我が子に会うために身分証
2020年5月26日 06:06
一人暮らしを始めた次男がどのように暮らしていたかは分からない。寮の近くをわざと通り、干されている洗濯物から生活を想像するしかなかった。 夫は次男のことに触れなかった。 自分が追い出したという責任を感じてないわけではなかったと思うが、夫の心もかたくなだった。 以前被害届を出された事件について家裁から呼び出しの手紙が届いた。 保護司の助言もあり、事件についてしっかり反省し、真
2020年5月15日 10:13
私は九州で生まれ、両親、祖母、兄、妹、猫という平凡だけど愛された記憶しかないような幸せな家庭で育った。同級生の夫と結婚し24年。息子が2人いる。夫の転勤で関西に来るまでずっと九州から出たことがなかった。子どもが中学生になる頃に関西へ来た。しばらく経つと、元々わんぱくだった次男が少しずつ問題を起こすようになった。最初は些細なことだったと思う。次男は小さな頃から、明るく元気