マガジンのカバー画像

ハウス・ミュージック研究会

22
運営しているクリエイター

記事一覧

「スカ論考」とその再考

「スカ論考」とその再考

「スカ論考」

スカ論考(一)

宮沢章夫は「東京大学「ノイズ文化論」講義」(2007年、白夜書房)の「まえがき」で、90年代になり80年代のサブカルは全て「スカだった」ということにされてしまったということを書いている。

ここで文字通りに80年代を「スカだった」ことにすることに対する、ひとつのファクターとなる契機として、槍玉に挙げられているのが、一般的には広くジュリ扇で知られる「ジュリアナ東京」

もっとみる
1992年のランアウェイ

1992年のランアウェイ

原題「イチキュウキュウニイ、ランアウェイ」

【一】

1992年の暮れ。取りたてて何も変わったところのない、ごく普通の12月のとある一日。昼をすぎて、少しした頃に、友人のK君(a.k.a. メタリックK.O.)が、ふらりと遊びにやってきた。ぼくらは、いつものように、あれやこれやと特に結論を必要としない、実にユルい音楽談義に花を咲かせていた。そんなダラダラとした極めて非生産的な時間を過ごすことは、

もっとみる
ハウス・ミュージック研究への序文

ハウス・ミュージック研究への序文

おそらく、この世界に生きる大部分の人たちは、もうハウス・ミュージックのことなど、すっかり忘れてしまっていることだろう。1989年にリリースされた、ネナ・チェリーのシングル「Kisses On The Wind」に収録されていた、デイヴィッド・モラレスによるリミックス・ヴァージョンを覚えているだろうか。ブレイズが、1990年にモータウンからアルバム『25 Years Later』をリリースしたことを

もっとみる
ザット(ノン)ダンシング・デイズ

ザット(ノン)ダンシング・デイズ

ダンスすることそのものが大問題だった問題

昨今、高校の部活動などで特に人気が高まっていて、入部希望者が増加しているのが、ダンス部であるという。日頃鍛えたパフォーマンスの技量を競い合う競技会はどこも盛況で、全国大会に毎年出場するような強豪校は、広くその名が知れ渡ってもいる。中学校でもダンス部というのは当たり前のものになりつつあるようだ。今やテニスや水泳をするのと同じようなレヴェルで、多くの学生たち

もっとみる
ニュー・オーダー小論

ニュー・オーダー小論

ニュー・オーダーのニュー・オーダー

神の手に触れられて。「タッチド・バイ・ザ・ハンド・オブ・ゴッド」(87年)は、ベス・B監督(スコット・Bと共同制作・監督したリディア・ランチ主演のノー・ウェイヴ系探偵映画『ヴォルテックス』(81年)で知られる)によるテレビ伝道師の世界の深い闇を戯画化して暴いた映画『サルヴェーション!』のサウンドトラック盤においてニュー・オーダーが発表した楽曲である。コラボレー

もっとみる
1985年の夏

1985年の夏

1985年の夏

もう三十年以上も前の、夏休み期間中のとある一日。夏の盛りの真っただ中、うだるような炎天下の午後に、わたしは新宿駅のすぐ目の前のアルタ前にいた。1985年8月18日、容赦無く日差しが照りつけるとても暑かった一日。雑誌『宝島』が新たにインディーズ・レーベルを始めることが誌上で発表され、それを記念するイヴェント「キャプテン・レコード発足記念ギグ」が行われることとなった。そして、その85

もっとみる
ハウス・ネーションとジェネレーションX

ハウス・ネーションとジェネレーションX

ハウス・ネーションとジェネレーションX

92年8月、ダグラス・クープランドの小説「ジェネレーションX」の翻訳本が、ようやく日本の書店の店頭に並んだ。この本は、その前年の91年の春に米国では出版されていて、当時(一部のアメリカ文学マニアの間では)大変な話題になっていた一冊であった。本のタイトルの通り、これはX世代について書かれた小説であり、この世代の若者たち(60年代から70年代半ばに生まれた世代

もっとみる
ポカリダンスと巡りあって叶うもの

ポカリダンスと巡りあって叶うもの

2017年夏に放送されていた、大塚製薬から発売されている清涼飲料水、ポカリスエットのCMは、16年夏にスタートしたポカリダンス・シリーズの最新作「踊る修学旅行篇」であった。これはそれまでのシリーズ中のエピソードではいつも学校内で踊っていた架空の高校である青波高校の生徒たち(約150人)が夏の修学旅行に行くという設定のCMであり、狭い学校を飛び出した高校生たちが青い大海原を行くフェリーの甲板や夕暮れ

もっとみる
マイナー・スキゾ

マイナー・スキゾ

原題:オタクと未成熟

第二次世界大戦の終了後、連合国最高司令官として占領地である日本の地に降り立ったダグラス・マッカーサーは、後に「日本人は12歳の少年のようなもの」だと語った。これは、19世紀の終わりから急速に近代化への道を歩んできたものの、日本国民というのはいまだ民主主義国家の市民としては成人にはほど遠い中学生程度の子どもにしか過ぎないということを述べた言葉である。その少年らしい未熟さゆえに

もっとみる
ルッキンバック・ヘヴン

ルッキンバック・ヘヴン

記憶の中のザ・シェルター
ニューヨークのダウンタウン、ヒューバート通りとハドソン通りの角にあったシェルターは、あまりにもなにもかもがとてつもなかったこともあって初めて足を踏み入れたときからすべてに軽くぶっ飛ばされてそのまま戻ってこれなくなってしまった。まるで体育館のような天井の高いがらんとした空間の両側の壁沿いに、ぼこぼこぼこぼこと山のように巨大なスピーカーが置かれていた。中に入って奥に進んで目に

もっとみる
ハウスが流れ着くところ

ハウスが流れ着くところ

ハウス・ミュージックとは、いわゆるパーティ・ミュージックである。それも、とても上等で設えのよい類いのパーティ・ミュージックだといえる。ハウス・ミュージックは、70年代後半の然るべき時期に同性愛者たちの憩いの場であり楽園でもあるゲイ・ディスコ/ゲイ・クラブのダンスフロアで生まれた。そこでは、自らのセクシャリティを公にできず肩身の狭い思いをしながら日々の生活を生きているゲイ・ボーイや、女装愛好家などの

もっとみる
リジョイス(ゴスペル・ハウスを聞く)

リジョイス(ゴスペル・ハウスを聞く)

1992年9月13日と14日の両日、パラダイス・ガラージのDJであったラリー・レヴァンが、70年代後半から80年代前半にかけてプレリュード・レコードにおいて数々のダンス・クラシック~ガラージ・クラシック作品のミックスやリミックスを担当したフランソワ・ケヴォーキアンとともに、日本全国を回ったハーモニー・ツアーの東京でのパーティが、芝浦のナイトクラブ、ゴールドにおいて開催された。
このゴールドでのハー

もっとみる
フランキー・ナックルズを偲んで 二

フランキー・ナックルズを偲んで 二

70年代からクラブDJとしての活動を行い、ダンス音楽の世界の裏方としてその文化の屋台骨を支え、またひとりの音楽スタイルの先駆者として文化の発展に最大限に貢献する活躍をしたフランキー・ナックルズ。そうしたアンダーグラウンド・シーンを基盤とする地道な活動が実を結び、80年代後半からハウス・ミュージックは一躍注目を集め、その文化は大きく花開いて全世界的に広がってゆくことになった。その新しいダンス音楽のム

もっとみる
フランキー・ナックルズを偲んで

フランキー・ナックルズを偲んで

2014年3月31日、フランキー・ナックルズが亡くなった。死因は、長年患っていた糖尿病が悪化したことによる合併症と発表されている。享年59。フランキーにとって第二の故郷、いやもしかすると本当の故郷以上に彼にとって重要な意味をもつ街となったイリノイ州シカゴが、彼にとってのこの世での最後の地となった。
その突然の死は、ダンスフロアで一度はフランキーの代表曲である名曲“Whistle Song”を聴いた

もっとみる