心とは、内部刺激と外部刺激が身体で交差して生まれる現象。人は身体活動を通して諸感覚を経験する。
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心とは何か
「何が起こっているか」と「何を感じているか」を分けて考えると、「人が生きる」ことを、身体活動と身体感覚で説明できると思います。
まず、私たちが生きて活動するこの世界は、フッサールの現象学では「生活世界」と呼ばれたりします。様々な状況の中で、自らと他者・外部環境が相互に影響し合っているこの世界のことです。
身体活動というのは、私たちの身体において「何かが起こっている」ことを示します。例えば、この生活世界において、五感を通して外部環境を知覚し、感情の発生・反射的行動など何らかの反応を起こすこと。あるいは、理性的に意思決定をし、何らかの意図を持って行動を起こす(または思考する)こと、それに伴って感情やさらなる行動が随伴すること。これらが身体活動、生活世界において身体周辺で起こっていることです。
そして、私たちという生活主体が、このような身体活動を通じて、記憶として様々な経験を学習していきます。このとき、「何が起こっているか」ということは身体活動で説明できたので、今度はこの経験が生活主体にとってどのような現象としてあらわれてくるのかということを考えたいと思います。
例えば、外部環境を知覚し、視覚能力を用いて、目の前の夕焼けを経験するとします。このとき、どのような身体活動がなされているかと言えば、感覚器官から外部情報が入ってきて、そこから身体がその刺激に対して、複雑なプロセスを経て反応を返していくという説明になります。
他の視点から、この身体活動と同時並行で精神的な活動、つまり身体感覚がどのように生じているかと言えば、「夕焼けが綺麗だ」という「感じ(クオリア)」を持っていたり、「とても気分がいい」という「感じ」を持っていたり、「お腹が減ったな」と考えている「感じ」を持っていたり、「早く帰らないとという意図を持って早歩きをしている」行動の「感じ」を持っていたりするかもしれません。
そのような身体感覚は、「私」という生活主体の記憶にインプットされ、その学習された経験はそれ以降の身体活動・身体感覚に関与したりしなかったりします。ここで説明したことは、もっぱら内部刺激としての役割が大きいです。外部刺激から始まり、内部刺激が起こり、そしてまた外部状況に対して作用している。これが生活世界で営まれている、内外の相互作用です。
精神科医の益田祐介さんは、人の心は脳の現象であり、内部刺激(*¹DNAと記憶・経験)× 外部刺激(現在の状況や環境)を通して現れる現象である。という考え方をされていました。すなわち、人の活動と感覚(心)は身体と外界の境界線で生じているとも言うことができます。(下図)
感覚(クオリア)については、哲学的ゾンビの思考実験からも分かるように、経験主体が、個別具体的に「主観」の目線からどのように感じたかという記述的なアプローチでしか考えることができません。
自分にしかわからないもの
ここまでで、人の心のありようは、その人の感じ方に依存する部分がとても大きいということが分かりました。人の身体感覚はどこまでいっても自分にしかわからない、主観的なものなんです。
次は、私たちが生活主体として「主体的である」とはどういうことかというテーマについて。
私は、人は主体的に身体活動を選択していくべきだと思っています。まず、今まで説明してきたように、その人の持つ「感覚」は、その人にしかわかりません。自分にとっての幸せが何かとか、人生に意味はあるのかとか、そのような問いに対して答えを出せるのは自分自身だけです。
他の人に言われたからとか、他の人がこうしたからとか、そのような極めて反応的な態度ではなく、少しでも自分の内側の「感覚」に目を向けて、自分自身を幸せにできるような活動の「選択」をしていかなければなりません。
言い換えると、自分自身の活動と感覚には自分自身が責任を持つしかないということです。
私たちにとって、例えば夕日が綺麗だとか、友達と久しぶりに話せたとか、ご飯が美味しかったとか、面白いことを思いついたとか、ギリギリ電車に間に合ったとか、スピーチがちょっと上手くいったとか、人生の中ではいろいろな充実した体験があると思うんですが、そのような体験の中で、自分が「意味」を見出すことのできるものを見つけていくことが大切です。
例えば、自分が純粋に関心を持てるものとか、その作業をしていると得意を実感できるとか、いつかやってみたいこととか、自然に向上心を持てる活動とか、誰かのために何かをしてあげたいと思える感覚とか、関係性と相互のやり取りの中で学べることが多いとか。
そんな、自分の内側から純粋に湧き上がってくるような感覚を、積み重ねた「生きた時間」の中で、その一刻一刻の中で噛みしめること。そして、今後の活動選択の頼りにしていくことが必要だと思っています。
また、日々の活動の中で、小さな幸せな感覚はそこらじゅうに散りばめられています。そのような(隠れ●ッキーのような)、幸運だと思える「満たされた部分」を、長い人生の中でたまに見つけることができたなら、ずっと豊かな心を感じることができます。
そのためには、「Three good things」のような良いことを見つけるワークをやってみたり、
日々の中で達成感・充実感を持てるようにするために箇条書きの「To do リスト」を書いてみたり、
辛いことやモヤモヤすることはただただ書き出す「ジャーナリング」で見える化してみたり
そのような書く習慣を取り入れてみるとより充実した人生にしていけると思います。
注)
*¹まず、DNAは遺伝子の設計図で、身体を構成する細胞を作るときにどのような配列になるか、ということが決められています。ヒトゲノムの研究で、遺伝子の数は二万個ほどと言われていて、その遺伝子がどのように発現するかによって人それぞれの違いが出てくるということだと思います。
なので、人それぞれどのようなからだになっていて、どのような脳の特徴があるのかなどは変わってきます。その違いから、その人の活動がどのように行なわれるのか、その人が活動にともなってどのような感覚を持っているのかということも異なってくるというわけです。
なので、心という現象は外部刺激と内部刺激によるものだということを書きましたが、この内部刺激のうちのDNA(単にその人の生まれ持った感じ方やからだの特徴と言ったほうがいいかもしれません)は、根本的な土台を作っています。そのハードウェアの上に、今まで自分が生きて体験してきた(活動と感覚の)記憶が蓄積され、そのような経験(ソフトウェア)も基にして、外部の環境や現在の状況と対峙していくんです。
生まれつき、その人がどんなことに対して幸せに感じたり、苦手に感じたり、といったこともある程度決まっていると思っていて、その意味でも、自分の遺伝的な要素、身体・生来的な特徴については重要だと考えています。
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