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内なる声に聴いた「家」を、本当に見つけてしまうまでのお話 part2

※この記事は前回の続きです。part1はこちらからお読みください。

「俺は信じてねぇからな」

 怒ったような大きな声でそう宣言し、彼は僕の前にドタッと座り込みました。廃材の板をリメイクして作ったタロットスペースに、折れ曲がった一万円札を叩くように乱雑に置きます。歳は40前後、灰色の作業着を着ていて、筋肉質の腕に大きな金色の時計が巻いてあります。日焼けした浅黒い肌。ギラギラした油っぽい目で僕を疑い深く睨みます。彼には取り巻きが何人かいて、「タロット占い? 何コレ本当にやんの?」という感じで興味なさげに見ています。わかりました、と僕がお釣りの八千円を渡すと、彼はそれを裸のまま作業着のポケットに突っ込むのでした。夜の街の大きな広告モニターからEDMの喧騒が鳴り響きます。どんな奴でもかかってこいよ。僕は静かに呼吸を整え、タロットデッキをぽんぽんと2回叩いて合図を送ります。試合開始のゴングです。夜の宮崎一番街に路上タロット占い師として出るようになってから1年半の月日が流れていました。その時点で、北沢由宇は鑑定件数4桁の一端のタロットリーダーになっていました。

 まず僕が名乗り、彼の名前を聞きます。次にカードをシャッフルしながら「何を占いたいですか」と尋ねます。彼は仕事のことを話し始めます。自分は農業の経営者で、ある従業員の処遇について困っている。彼がわざと情報を少なめに話していることはすぐにわかりました。取り巻き連中がニヤニヤしています。話を聞き終えると僕はカードをまとめ、台の上でパンッ! と覇気を入れます。ざわついていた周囲が少し静まります。カードをめくると、彼が経営者としてかなりやり手であることがわかりました。成果を上げるために部下に手厳しい反面、身内思いなところもある。書かれているものを僕がぽつりぽつりと伝えていくと、少しずつ彼の目から疑いの火が消えていくのがわかりました。相談内容の人事について答えます。すると彼は突然無言のまま立ち上がりました。そして先ほど僕がお釣りで返した八千円をポケットから出すと、それを僕に向けて投げるように渡し、取り巻きたちを連れて去っていきました。

「試されたな」と僕は笑います。こういう時、お前はどうする。ビビらずいつも通りの仕事ができるのか。結果はご覧の通り。褒美もゲットです。28歳の誕生日でした。

「お前の家が南にある。家を探せ」という内なる声を頼りに沖縄に飛び、数か月単位で各地に移り住みながら最終的に宮崎県に流れ着き、自分を活かして生計を立てようと繁華街の路上でタロット占いを初めたところまでが前回までのあらすじです。結論から申し上げますと、僕はそれから3年半もの間、宮崎一番街の路上でタロットを引いて生活することになります。なにせ3年半です。実にいろいろなことがありました。すべてを書くと本筋から逸れてしまうので、ここではエピソードをかいつまんで書くことにします。

 もちろんその間も「家探し」は続けました。青島の海沿いをぶらぶらしたり、田んぼの畔道をひたすら歩いたり、空き家のありそうな場所には積極的に足を運びました。しかしどうもピンと来ません。待てよ。そもそも路上でタロット占いを始めたことが、あの「家」と無関係であるはずがない。これはきっと布石だ。「家」を見つけるために必要なステップだ。焦ってはいけない。踏み出した一歩から地続きで道が見えてくる。そんな気がしました。

 路上タロット生活は刺激的な毎日でした。1日に何件も初対面の人から悩み話を聞き、それに対して何かしら答えていく仕事です。ただし決して僕の個人的な意見や見解を述べるのではありません。その時カードの目に出た、自分でも思いもよらない言葉を紡ぎ続ける仕事でした。一晩街に出るだけで、翌日は丸1日寝込んでしまうくらいへとへとになりました。何日も連続で街に出ることは体力的に不可能でした。食べていくのに必要な分だけのお金がピッタリ入り、それ以上は決して入らないのでした。

 大変であると同時に、興味深い仕事でもありました。様々な職業、年齢、性別の、多種多様な方々の人生の一片を日常的に垣間見ることになる訳です。人間という生き物は実にいろいろなことを悩むものだなと、ついつい研究者のような目線で感心してしまうほどでした。夜のお店の女性たち、近くのお店の経営者、主婦、警察官、美容師、営業マン、高校生、無職、ラッパー、ホスト、弁護士、アスリート、ヤクザ、政治家の方などもいらっしゃいました。どんな肩書きがあろうとも、悩み事を打ち明ける彼らは皆人間でした。

 路上に鎮座して客を待っている間、通りすがりの人がペットボトルのお茶やミスタードーナッツを買ってきてくれたりしました。「頑張ってね」。僕はそんな見知らぬ人々からの好意をありがたく受け取りました。1人お客さんが来ると、近くで順番待ちをする人が何人も出てきます。最初は1件千円で占っていたのですが、だんだんチップを頂くようになり、やがて客の半数近くが自ら二千円渡してくれるようになりました。試しに占いの価格を二千円にしてみると、今度は三千円置いていく人が出始めました。ある男性は涙を流して「ありがとう」と僕に握手を求め、ぎゅっと僕の手を握ったままずっと泣いているのでした。僕はなんだか神妙な気持ちでそれを眺めていました。自分がそこまで人に感謝されるようなことをした自覚がまるでなかったからです。たくさんの人に連絡先を聞かれましたが、だいたいはぐらかして交換しませんでした。「路上で出会った変な格好をした占い師に何か言われた」という出来事が、その人の記憶の中で不思議な逸話として芽吹いて物語が育っていく方が面白いと思ったからです。

 心優しい良い人たちと同じくらい、残念な人にもたくさん出会いました。なにせ夜の繁華街です。何を言っているかわからない酔っ払いの対処や、占いの真っ最中に女性客をナンパしようとしてくる不届き者の対処も必要でした。通りがかりの男性から「これあげる~」と食べ終わったゴミや道に落ちていたボルトなどを差し出されたり、大事な商売道具を踏んづけられたり蹴飛ばされたり、指を差されて嫌な顔をされたりひそひそ笑われたりするのは日常茶飯事。出会い頭にまったく知らない人から「おい詐欺師」と罵られ、向かいの路上で集団で僕のモノマネをしてからかわれました。僕の顔の目の前に立ちはだかってベルトを外し、ズボンのチャックを開け始めた人までいました。僕は決して応酬せず、ガン無視を決め込んで背をスッと伸ばして半目で座り続けました。あまりにもしつこい時は目を開いて相手の目をまっすぐに見据えました。それだけで彼らはすぐに去っていきました。「争いは同じレベルの者どうしでしか起こらない」とはよく言われますが、これは本当だと思います。他人を攻撃しなければならない人は弱い人でした。

 ただしその度に、とても悲しかったことは事実です。僕個人が不遜な扱いを受けたことが悲しかったというより、「いま世界がこんな状態であること」「人々の心がこんな状態のまま放置されていること」が本当に悲しくて悲しくて、悔しくてたまりませんでした。先輩たちは一体何をやっているんだ。頼むからこれ以上人間に絶望させないでくれ。あなたがもうそんなことしなくても良くなるように、これ以上誰かに悲しみを撒き散らさなくても良くなるように、もっと真剣に、幸せに生きてください。立ち去っていく彼らの背中を見送りながら、そう切実に願ったものでした。「ちゃんと見ておこう」と思いました。いま、世界はこうである。人々の心はこうである。この景色を、僕はしっかりと目撃しておく必要がある。いつか居心地の良いところに安住して、世界は平和な人々でできているなんて能天気な錯覚に陥ってしまわないように。この世には悲しみや痛みがたくさんある。人々の心がこんな状態にまで堕ちてしまう社会構造と生活環境がある。なんとかしなくては。そのために、この光景を目に焼き付けて、生涯忘れられない痛みとして胸に刻み込む必要がある。

 毎回路上に出るときは、絵を描いたり音楽を作ったりヨモギを干してお茶を作ったりして暮らす安全な2Kアパートの天国から、欲望と嫌がらせと罠の危険でいっぱいの地獄の世界にわざわざ一人で降りていくような気持ちでした。よほど気を引き締めなければ、僕までそこに引っ張られる。気を付けろ。とにかく、光を見ろ。

知らず自心の天・獄足ることを
あに悟らんや 唯心の禍災を除くことを

 これはある本で見かけた空海の言葉です。僕はこの言葉を紙に書いて持ち歩き、心が揺れ動きそうになる度に声に出してこの言葉を唱えました。意味は「天国も地獄も自分の心が作り出しているということを知らずに、 心の災いを取り除くことができるだろうか」。

 これまで2000件以上の悩み事を聞いてきましたが、すべての悩みの原因はその人自身の心にありました。一人残らず、一切の例外なくそうでした。現実を変える方法は自分の心を変えること。それ以外に存在しません。なぜなら僕ら一人ひとりが見ているこの「現実」というものの正体は、僕らの心を映し出した鏡の世界に過ぎないからです。空即是色。色即是空。であるならば、僕が夜の街で目撃した様相は他でもない、これは僕自身の心象そのものであるということになります。僕の手を握って泣き崩れる人の光景も、悪態を吐いて邪魔してくる人たちの光景も、どちらも僕の心です。この景色が見えなくなるその日まで、僕は僕自身の掃除をしなければならないのだろうと思いました。

 ここから先は今これを読んでいる人のうち3人くらいに伝わればいいと思って書くのですが、意識は自身に対する言葉以外を発語することは決してありません。僕がタロット占いを通して2000件の他人の悩みに答えてきたということは、僕が2000件の自戒を紡いできたのとまったくの同義です。ダイアローグは大きな私のモノローグ。"ああ。いまわたしは、自分でも知らないことを客に話している。そのことによって、わたしはわたし自身にそれをわからせようとしているんだ"――。星と星とが結びあってひとつの星座を描くように、不思議な体感として理解したのでした。タロットを引き、それを読んで客に語ってきたと思っていたこれまでのすべての言葉は、一つ残らず自分自身への語りだった。僕はここで2000回以上に渡り、自分自身を励まし、自分自身を鼓舞し、自分自身をたしなめてきたんだ。彼は僕だ。彼女も僕だ。これは僕が僕自身を鍛えるために用意した修行だったんだ。

 路上占い師生活はとうとう3年目に突入します。そして本当に、“この景色が見えなくなる日”を迎えることになるのでした。

 2020年。

 ご存知、新型ウイルス騒動です。

 週末あれだけ賑わっていた宮崎一番街から、ぱったりと人通りが消えました。飲み物をくれる人も、占いの順番待ちをする人も、チップをくれる人も嫌がらせをする人も、もうこの街にはいませんでした。経済的なダメージは直撃でした。これまで必要な時には必ず入ってきたお金がまるで入らなくなり、支払いが滞りました。心臓がおかしくなっていました。ドド、ドドド、、ド。自分でもはっきりわかるくらい脈が安定していない。変な汗をかく。身体が変だ。胸が苦しい。病院で検査するとストレス性の不整脈とのことでした。それでも街に出て何時間も何時間も路上に座って待ちました。しかし客は来ません。たまに僕の前を通る人も、冷たく一瞥するだけで通り過ぎて行きます。

 僕はこの時てっきり、自分が「家探し」を失格になったのかと思いました。ああ、僕はここで死ぬのかな。とうとう「家」を見つけることなく、道半ばで心臓が止まって死ぬのかな。予兆を信じて生きてきたつもりだったけれど、自分を活かして生きてきたつもりだったけれど、ずっとあなたの声に耳を傾けて生きてきたつもりだったのだけれど。ねえ、どこで道を間違えたのかな。一体どこで。教えてよ。ねえ。

 ドド、ドドド、、ド。

 誰もいない路上で僕は一人、自分に向けてタロットを一枚引きます。そこにはこう書かれていました。

「行け。お前の修行は終わったぞ」

(つづく)

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