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自己投影、もしくは考え過ぎ
何の答えも出さずにあーでもないこーでもないと書いてるだけの文章です。
日記でいいじゃんね。
「他の誰でもない、あなたの作品が見たいのです」と言葉を掛ける。
一方で、言葉を掛ける側は自分に自信がない。
「私のような人間を見たい人はいないだろう」と思う。
昔、大事な人の「自分なんてどうせ…」という口癖にイライラとしたことがある。
「私が大事と思うあなたを否定しないでくれ」、たしかそんな想いからだっ
本音を見ないようにするのは難しい
自分でも気付けないくらい巧妙に本音を隠していることがある。
ある意見に対して、それを否定するとき。
例えば、好きな作品を批判する書き込みがあって、「そんなことはないぞ!」と思ったとき。
即否定できて、その後も気に留めないものなら問題ない。
まれに否定しても否定しても、頭の中でリフレインされることがある。
そんなときは、否定したい意見のほうにも理がある、というのが自分の本音らしい。
批判を認めた
Twitterの良いところ、思ったより声が届くところ
最近Twitterやってて良かった、SNSもいいもんだなと思うことがありまして。
時たま「この日本酒が美味しかった!」、「この作品が良かった!」と呟くのですが、これまた稀に関係者が反応してくれるのですね。
「何気ない呟きでも関係者に声が届くんだ!」と嬉しくなりました。
きっとお問い合わせフォームやお手紙で感謝や良かったところを認めれば、より確実に声は届けられます。
ただ…どうしても敷居が高い…。
ヤバイけどクセになる飯坂温泉
温泉で飛ぶびそうになるのは初めての経験でした。
福島駅より電車で20分、飯坂温泉の思い出です。
ここの温泉べらぼうに熱いのです。
湯口の温度はなんと45~60℃!湯船も推して知るべしです。
寝不足の身体でいざ入浴。
その瞬間、身体の周囲を纏う薄い膜が蒸発するような感覚が走ります、
そしてその蒸発と一緒に意識も持っていかれそうになりました。
本当に気を失うかと思いました…。
当然長く入っていられ
ソシャゲも人生もいつか等しく「無」
「ただのデータにお金払っても仕方なくない?」
「サービス終了したら何も残らないよ?」
ソシャゲの課金を諫めるのによく言われるお言葉ですね。
であれば、どういうお金の使い方を推奨するのでしょう。
有益なもの、後々に残るもの、形あるもの…と聞いたことがある気がします。
そういう一見すると価値がありそうなものも、人生が終われば、その人の視点では無価値な気がします。
ならば、後世に残るような創作や活動
日記とnoteとTwitterと
noteになにかしらアウトプットを残したいという野望です。
今でも日記はシステム手帳に綴っています。
こちら完全に自分用、人には見せない前提で書いています。
人に見せるってなると、色々取り繕っちゃいますからね。
この不可侵な領域はそのままで大事にしたい。
Twitterでも呟いています。
でも、アウトプットというよりは反応のような感じがします。
呟き、会話…でしょうか、事象に対して「~やと思う
リモートワークでも通じ合えた瞬間
「テェン!!!」
日付が変わるかどうかというところにチャットが届きます。
本日期限の青果物が完成したとのこと。
「ありがとうございます」
いつもと変わらぬ文言だけど、いつもより感謝を込めて。
「遅くまで本当にお疲れさまです、お互い大変ですね・・・」
こちらは言葉にする代わりに、同情を込めて「♡」でリアクション。
すると相手からも「♡」が返ってきます。
思わず「フフ・・・」と頬が緩みました。
顔