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ソシャゲも人生もいつか等しく「無」

「ただのデータにお金払っても仕方なくない?」
「サービス終了したら何も残らないよ?」
ソシャゲの課金を諫めるのによく言われるお言葉ですね。

であれば、どういうお金の使い方を推奨するのでしょう。
有益なもの、後々に残るもの、形あるもの…と聞いたことがある気がします。
そういう一見すると価値がありそうなものも、人生が終われば、その人の視点では無価値な気がします。

ならば、後世に残るような創作や活動はどうでしょう?
名作を創れたならば、この世から去っても人に語り継がれ価値を生み続けられますね!
たとえば百人一首の歌の数々、今でも遥か過去の風景や情感を現代に伝えています。

だがしかし。これも語り継ぐ人がいなくなれば、人類が滅びれば無になります。
つまり、どんなものでも極限まで長い目で見れば等しく「無」なのかなあと思っています。
そんないずれ「無」となる世界でも、たしかに存在しているものもあると信じています。
それが「今」です。
今、私が考えていること、感じていること、喜怒哀楽の感情。
それだけは確かに存在していると私は確信しています。
そんな「今」に一喜一憂するという点ではソシャゲの課金も十二分に価値があるのではないでしょうか。

※ 依存症は別の問題と思います

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