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#043.客席へ気持ちを届けるためには


なぜ演奏をしているのですか?

突然ですが皆さんはなぜ演奏をしているのですか?

楽器を演奏するのが好きだから?
合奏するのが楽しいから?

理由はいろいろあると思います。では次に、そもそも「演奏する」とは一体何なのでしょうか。更に範囲を広げた質問をするならば「芸術」とは何でしょう。

芸術は、簡単に言えば「気持ちを伝える」行為です。何か嬉しいことがあったらそれを他の人に伝えて一緒に喜んで欲しい!幸せのお裾分けをしたい!とか。
悲し事があったから共感してほしい、慰めてほしい、自分と同じ過ちをしないでほしい。そうした何かを伝えたい心を音楽や絵や演劇や文章などの特定の表現方法によって行われることを芸術と呼ぶのだと考えます。

これは自分の考えを洗脳させるのとはまったく違います。世の中がどうとか政治がどうとか、拡声器片手に街中で騒ぎ立てるのは芸術ではなくプロパガンダです。

芸術は、表現の中に「美」の要素がなければなりません。ここで言う「美」とは表現者がメッセージを伝える際に相手の感性を汚さないことです。

ちょっと難しい言い回しをしてしまいましたが、要するに音楽であれば「演奏会に行ってよかった!楽しかった!素晴らしかった!」と思ってもらえるために奏者はどう伝えるべきかを考える、ということです。

伝える演奏

ある部活動へ指導に行った時の話です。スタッカートの部分がベタっとしていたので、「その部分はもっとスタッカートで表現しましょう」と言ったら、不満そうに「スタッカートで演奏してます!」と言い返されたことがあります。確かに本人はスタッカート記号を見落としていたわけではないようですし、その意思も伝わっていました。しかし、重要なのはそこではありません。今の表現ではお客さんにスタッカートの表現が伝わらないと感じたからそう言ったのです。少々厳しい言い方になるけれど、自分自身でスタッカートを理解していたかではなく、聴く人にその表現が伝わるかが大切なのです。
そんなお話を部活でしたことがあります。

演奏者はお客さんに「伝わる演奏」をすることが必要で、伝わる演奏をするには、それ相応のスキルを身につける必要があります。そのための練習方法や心構えはいくつもありますが、中でも僕はレッスンで「もうひとりの自分を客席に置く」という話をよくします。要するに「客観的イメージを持ちましょう」ということです。

イメージしてください。あなたは何かのコンサートに行くことを決めたので、スケジュールを調整してチケットを購入し、当日電車に乗って会場まで足を運んだとしましょう。しかし、楽しみにしていたコンサートが残念な完成度や期待と違うものだったらどのような気持ちになりますか?

「せっかく時間調整して来たのに!お金払ったのに!」と少なからず不満を抱くことでしょう。

不満を抱く原因はそれぞれでしょうが、必ず言えることがあります。それは、

「あなたの中で理想や期待があった」

ということ。音色、テクニック、ミスしない、バテない、好きな曲を演奏してくれる、憧れの奏者に直接会える、楽しい空間、リラックスした空間。

理想や期待は高ければ高いほど現実と乖離する可能性が高くなり、理想を優先して現実を受け入れられないと、それが不満になります。

音楽は生き物だし、人間も生き物だし、人ぞれぞれ感性は違いますから、自分の期待と違ったことが起きてもそれを理由に文句を言うのは控えましょう。不満を抱いたいなら、自分の中にある「こんなコンサートだったらいいな」を自分自身で実現できるよう努力すればいいのです。

そのために私は、「自分の演奏をもうひとりの自分が客席から常に見ている」とシミュレーションすることを提案しているわけです。

1人の世界になりがち

楽譜を前にして演奏していると、どうしても「楽譜 vs 楽器のコントロール」の構図になりがちです。楽譜通りに演奏しなければならない!テンポを正確にキープしなければならない!この跳躍苦手で上手く吹けないなあ、バテないように吹かなきゃ、リズムが難しいしテンポ走らないようにしなきゃ、レッスンで言われたこと守らなきゃ!

…ものすごい集中して演奏しているように見えますが、そこには音楽がありません。とても非効率的な練習です。

試しに上記の心の声に「なんで?」と質問してみましょう。

・楽譜通りに演奏しなければ → なんで?
・テンポを正確にキープしなければ → なんで?
・上手く吹けないなあ → なんで上手く吹くの?
・バテないように吹かなきゃ → なんで?
・テンポ走らないようにしなきゃ → なんで?
・レッスンで言われたこと守らなきゃ → なんで?

この「なんで?」を追求していく先が「自分の演奏を聴いてくださる方へ想いを届けたいから」でなければなりません。もしそれが「指揮者の先生に怒られるから」だと、一向に音楽的な演奏にはならないのです。

演奏は聴く人へ対して行うもの、練習の段階からそうであるべきです。

客席の自分は何を思うのか

とは言え、会場にいるお客さん全員が同じ満足感を得たり、全員が100%肯定することは不可能です。八方美人な演奏をするとかえって全員がしらけます。

そこで、先ほどの「客席にいる自分の分身」がどれだけ納得できるかを指標にします。自分の分身は演奏するあなたに何を期待していますか?会場に足を運んでよかったな、楽しかったな、明日このコンサートの話を友達にもしよう。そんな気持ちで会場を後にできる演奏を心がけてください。

また、このスタンスは本番だけ行うことではありません。基礎練習の段階から常にこうであるべきです。そうすることで1人の世界に閉じこもって、目的が明確でないのにガムシャラに音を出し続ける非効率的な練習から脱却できます。

常に相手のことを想って素敵な演奏を届けようとする気持ちを失わなければ必ず共感してくれる人はいます。

伝えるための技術は、表現の数だけありますから、ひとつひとつ丁寧にスキルを磨いていきたいものですが、まず大事なのが今回のお話である「客席に自分のイメージした演奏が届いているのか」を考えること、それが第一歩です。

楽譜や演奏に集中しすぎて我を忘れてしまったり、ミスをしないように保守的な状態になっていたり、具体的なイメージや目標がないままに惰性で音を出していることに気づいたら、ぜひ自分の分身を客席において客観的に演奏を聴いてみてください。


荻原明(おぎわらあきら)


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