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エッセイ

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2024年2月の記事一覧

おでんノスタルジア

おでんノスタルジア

晩御飯はレトルトのおでんを食べた。死ぬまでに屋台のおでんが食べてみたかったが、新規で屋台を出す人はあまり多くないようで、ラーメンやら蕎麦を含めて、屋台飯を食べる機会がないまま人生を送ってきてしまった。

私の生息が地方都市だからということもあろうが、店舗型の業態がメインになっていることもあるのだろうな。寒空の下で安酒とおでんなんてものに憧れはするものの、それはシチュエーションに憧れているだけなのか

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言葉で殴る

言葉で殴る

悪意に対しての防御力なり抵抗力が低いのは、一般的に多感とされている10代20代よりも、それ以降の方が強くなった気がしており、日々の中での金属疲労が現れてきているのだろう。

わかりやすい誹謗中傷の類を投げられて、多少気持ちが疲弊しているが、考えてみたら芸能人なり作家さんなり著名人は、その何倍もの好悪を投げつけられたり与えられているわけで、人間そのものが怖くなってしまいそうになる。

言葉は刃物であ

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自然体を偽るよりはぎこちないほうがリアル

自然体を偽るよりはぎこちないほうがリアル

こだわりをもって生きるのは大変に難しいことだが、本人が意図していないこだわりに見えるものは無自覚であるからこそタチが悪く、簡単に捨てることができないから厄介。

例えばコーヒーを飲むのが好きな人が、本人がおいしいものを追求しているだけで外野からはマニアックだったり、こだわりが強い偏屈な人間に思われてしまう様なもの。自分としては当たり前のことが周囲からは奇異に映ってしまうことはある。

結局のところ

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古びたカセット、あたらしいあたま

古びたカセット、あたらしいあたま

先日、カセットテープについての話題が友人との会話にあがったのだが、カセットが覇権を握っていた時代は案外長いのではなかろうか。

私が子供の頃は、ぎりぎりLPが主流だった時代で、そこからCDがメインに切り替わる時代であった。祖父母はステレオカセットでラジオを聴いていて、祖母は細川たかしのカセットを購入していた。今みたいに公式コラみたいになる前のさわやか細川たかしさんであった。

私の青年期はカセット

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音楽はいつもあるくように

音楽はいつもあるくように

音楽を聴くのは好きだ。車の中だけでしか音楽を聞かなくなる人が増える中、私は部屋で音楽を聴いている。

コンポはなくて、Bluetoothスピーカーに携帯端末から音楽を飛ばして聴く。いい機械でしかわからない音楽なんて興味はないし、最近のやつは音も悪くないからうきうきして聴く。

歳月を重ねると、保守的になり、新しい音楽をなかなか聴かなくなるらしいのだが、私はいまだに知らない素敵な音楽が存在しているこ

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読めない空気、読まない本

読めない空気、読まない本

メンタルが不調になると、普段から読めない空気がなおさら読む気がなくなり、無気力に平素な時間を消費してしまう。気力のON/OFFは普段から切り替えが下手なのだが、鬱々とした時には尚更その傾向が強くなる。

それは別に慣れているし、構わないのだが、心身が不穏な状態だと音楽は聴けるが、読書をしても内容があまり頭に入ってこない。普段からインプットの精度が低いのに、混沌期にはそもそもの活字の取り込みが困難に

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モヒカンの朝

モヒカンの朝

髪を切る。数ヶ月ぶりに、伸びていた旧ツーブロック部分を伐採したら、歌舞伎の連獅子のような、モヒカンverの田嶋陽子先生のような髪型になってしまった。

わかりやすい清潔さを求めるのであれば、季節に背いた坊主にすれば良いのだけれど、心身ともに負荷に弱っている身としては清廉さよりも苛烈さを求めてのツーブロック再開であったのだ。

一般的にツーブロックにはチャラさだとか、輩の雰囲気が漂うが、私の場合は世

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たりないこころがむりになる

たりないこころがむりになる

眠剤より安定剤が眠くなるって、成分との相性もあるんだろうけど、ひねくれた体質してんなぁと苦い顔の私です。ショートスリーパーぎみなのは昔からだけれど、高校を卒業するまで21時には寝ていた弊害が出ている気がする。

我が家は祖父母と同居していたので、真夜中に起きているとバーサーカーと化した祖父が叱りつけにやってくるので、せっかく両親が眠ってもピンクな番組を見る事はできなかった。だからと言うわけでもない

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転がるように笑って

転がるように笑って

悲しいニュースが続く。

それを話題に良いことを言おうとするタイプの輩に心が冷えながら、余計なことを考えないように心を凍らせようと試みる。考えすぎると怒りやら悪意が忍び寄る。それは疲弊しかしないから。

SNSという存在が、見知らぬ誰かや反撃できない誰かを攻撃するための武器になってはいかんのよ。その側面もあるだろうが、結局のところ、ツールの使い方を決めるのは人間でしかないわけで、それ自体に善悪はな

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