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言葉で殴る

悪意に対しての防御力なり抵抗力が低いのは、一般的に多感とされている10代20代よりも、それ以降の方が強くなった気がしており、日々の中での金属疲労が現れてきているのだろう。

わかりやすい誹謗中傷の類を投げられて、多少気持ちが疲弊しているが、考えてみたら芸能人なり作家さんなり著名人は、その何倍もの好悪を投げつけられたり与えられているわけで、人間そのものが怖くなってしまいそうになる。

言葉は刃物であると言うのが私の基本的な考え方なのだが、同時に大きな鈍器やグローブみたいな物理的に殴る代わりに、言語的な殴打を浴びせるものなのかもしれないなと今回思った。今更ではあるが。

せっかく生きているなら、殴るよりは手も言葉も何かをつかんだり、体温を伝えるものであるといいのだが、悪意も作為もまた人の感情だからね。選びようがない。自分の使う言葉にせめて、それを選ばないようにしたい。

先日の当て逃げされ事件から、ずっとメンタルが不調で、来週で一月が経過するというタイミングで剥き出しの悪意を目に耳にしてしまうのもまた私の業なのだろうし、みながみなそうしてくるわけでもないのに気にしすぎるのは悲観的すぎるからね。

怒りも悪意も、また人生の1部だから、受け入れられないなら受け流すことを試してみたい。なんて、こうして言葉にして分解して追体験してりゃあ説得力もなかろうがね。

無痛な心にはなれないし、なれないから、殴り返す気もないなら、避け方はうまくならなきゃなぁ。

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