タッツー🐉1222

関西在住の50代主婦。結婚生活30 年。人生山あり谷ありの連続で、これまでの経験から得…

タッツー🐉1222

関西在住の50代主婦。結婚生活30 年。人生山あり谷ありの連続で、これまでの経験から得た気づき・考えや思い出の記録等を、ゆる~くnoteへ残していきます。野鳥観察、旅行、Disneyが好きな私、主人、息子1人の3人家族。現在は3人3様の生活を送り、私は86歳の実母と2人暮しです。

記事一覧

86歳の母の口癖は、ピンピンコロリが良いと。具体的なポックリ死の可能性は、心筋梗塞か脳梗塞、クモ膜下出血の3つで、実際は発作と当時に意識を失う訳じゃなく、命を落とす痛みが襲う。老衰死も不自由と惨めさに長期間耐えたあとでようやく楽になれるという。医者が癌での死を選ぶ理由に納得した。

同居中の実母の話。以前私を「車のアシ」と言って揉め、今度は「貸しを作ってる」と電話で話す母に背筋が凍った。訳あって主人と別居中の私が、実母名義で購入した車を全額支払った折、1年分の生活費に当てると約束しておきながら、話が違う。私は年金を搾取するお荷物と。もう母の子供でいたくない。

1

毎回してくれてるからと、同居後何かと私をアテにする母。していないと気付くなり、それは思いやりがないと言う始末。親孝行してあげたい気持ちに嘘はないけど、子供が親の面倒をみる義務があるとは思わない。子供の私も年を重ね、心身がキツいと感じる。母の中に芽吹く甘えは、犬や猫と違い煩わしい。

1

私の和室は、明け方5℃と外界並み。築50年の昭和漂う木窓に綿壁がネック。サッシ窓の和室に終日エアコンで過ごす母に、私の不快さは分かるまい。私が自腹でリフォームすると言うなり、自分の家にケチを付けると不機嫌だ。仕事で不在がちとはいえ、不当な扱いとしか思えず、共感能力の低さに嘆く。

娘の私との同居後、何かと私の世話を焼きたがる母。私の状況や感情を理解するよりも、自分の思いが成就されないと知るや、不機嫌でかなり面倒臭い。自分の気持ちの埋め合わせには55歳の娘は適任者で、他の事に目を向けて貰えず辛い。過度な愛情は迷惑だと伝えても、86歳の母には自己受容できない。

昨年から実母と同居したが、住環境からのストレスに気付く。未だ築50年の6畳1間を借りてる感覚だ。新しい畳以外は全て子供時代の昭和感が色濃く残り、過去の自分への嫌悪感なのか、今の自分に似つかわしくない。目につく天井の黒ずんだ木目、綿壁からの隙間風。仕事休みの日に寛げたもんじゃない。

激動だった2023年

noteの投稿をすっかりご無沙汰してしまいました。 遅ればせながら、新年のご挨拶をと思いましたが、元旦に能登半島での地震に始まり、羽田空港での事故等のニュースに、心痛め…

4

今朝オーブントースターを使用した折、焼けたパンを取出した後、兄は蓋を閉め、私はワザと開けっ放しにした。普段その場に居ない兄は危ないと1言。母は放熱し蓋を開けるルールを私に強要しながら兄には無言。誤解は晴れたが、母は終始ダンマリ。物事を多角的に見られない面倒な家族に疲れる。

56歳で早期退職した未婚の兄が帰省。ファイヤー後はどこにも属さず、都内で更なる自由を満喫中だ。独り暮しの長い高齢の母と気が合うのは当然と気付いた。働きながら母と同居中の私には、僅かな自由しかないのだから、せめて滞在期間中だけでも母の相手を兄に任せ、2人と境界線を引く様にしている。

1

私の親切心をタダ受取りする親族は、感謝や労いの言葉もなく、過去の代償で当然という感覚だ。親孝行してあげたい気持ちに嘘はないが、犠牲や義務と感じるなら線引きし、時には断り自分を守る私。高齢な親が、様々依存してくるのは避けられないから、自分の心をより満たし癒す時間が必要不可欠と思う。

86歳の実母との同居後、何かと面倒事が増えた。例えば2回分のパスタソースが1袋余ったら私は即棚へGOだけど、母がホッチキス止めして保管してた。ソースに穴があいてたと伝えた途端に『した覚えない』と自分のした事を受け入れない。私の前迄立派な母親面をしなくて良いのにと思うこの頃です。

1

20年以上離れて暮してきた実母との生活が始まり、親孝行ではなく自己犠牲に思えてきた。結婚後に母から金銭的援助を受けたばかりに、母との境界線が引けず苦しい。今までは私の方が近いからという建前で雑務依頼をしてきた母。遠方に住む無援助な独身の兄と違い、私は買収されたとしか思えず悲しい。

姪っ子の結婚式の話。立場上出席すべきと思いつつ、主人に任せ私は欠席。息子が4 ヶ月の頃に弟夫婦からお祝いを貰って以降、年賀状やお年玉のやり取りはしないと言ってくる義妹だから、欠席理由を聞かれずに済んだ。この先義父母の葬儀でしか会う事もなく、かかわる必要の無い人達だと改めて感じた。

孫育て中の50代友人の話。別居娘の2歳児を預かり、2ヶ月間のオムツや食事代さえ貰わず、娘婿は蚊帳の外。ネグレクトではと心配になる。孫は友人にスッカリ懐き、甘えるべき親の元には帰りたがらない。各家庭の母娘・母子の関係は様々あれど、育児は育自という大切な視点が欠けている様に感じる。

1

子離れを迎えた今、自分の母の呼び方を改めようと思う昨今。子を持つ母になった私は長く『母の名前+おばあちゃん』が当たり前となっていた。兄からの指摘にハッとさせられ、言い間違える度に訂正するけど、なかなか難しい。これまでの失礼をお詫びすると共に、親子間であっても大切な事だと痛感した。

1

30年前に購入した婚礼家具。部屋に長年鎮座し、処分に困る厄介物の代表だ。老老介護中の義父母宅に、いつでも主人が同居できる様にと提案し、我が家の断捨離を兼ねて搬入。手放した喜びに浸る私とは裏腹な表情の3人。長男長女夫婦の故、難しい選択だけど、義父母は主人、私は実母をみる事に決めた。

1

86歳の母の口癖は、ピンピンコロリが良いと。具体的なポックリ死の可能性は、心筋梗塞か脳梗塞、クモ膜下出血の3つで、実際は発作と当時に意識を失う訳じゃなく、命を落とす痛みが襲う。老衰死も不自由と惨めさに長期間耐えたあとでようやく楽になれるという。医者が癌での死を選ぶ理由に納得した。

同居中の実母の話。以前私を「車のアシ」と言って揉め、今度は「貸しを作ってる」と電話で話す母に背筋が凍った。訳あって主人と別居中の私が、実母名義で購入した車を全額支払った折、1年分の生活費に当てると約束しておきながら、話が違う。私は年金を搾取するお荷物と。もう母の子供でいたくない。

毎回してくれてるからと、同居後何かと私をアテにする母。していないと気付くなり、それは思いやりがないと言う始末。親孝行してあげたい気持ちに嘘はないけど、子供が親の面倒をみる義務があるとは思わない。子供の私も年を重ね、心身がキツいと感じる。母の中に芽吹く甘えは、犬や猫と違い煩わしい。

私の和室は、明け方5℃と外界並み。築50年の昭和漂う木窓に綿壁がネック。サッシ窓の和室に終日エアコンで過ごす母に、私の不快さは分かるまい。私が自腹でリフォームすると言うなり、自分の家にケチを付けると不機嫌だ。仕事で不在がちとはいえ、不当な扱いとしか思えず、共感能力の低さに嘆く。

娘の私との同居後、何かと私の世話を焼きたがる母。私の状況や感情を理解するよりも、自分の思いが成就されないと知るや、不機嫌でかなり面倒臭い。自分の気持ちの埋め合わせには55歳の娘は適任者で、他の事に目を向けて貰えず辛い。過度な愛情は迷惑だと伝えても、86歳の母には自己受容できない。

昨年から実母と同居したが、住環境からのストレスに気付く。未だ築50年の6畳1間を借りてる感覚だ。新しい畳以外は全て子供時代の昭和感が色濃く残り、過去の自分への嫌悪感なのか、今の自分に似つかわしくない。目につく天井の黒ずんだ木目、綿壁からの隙間風。仕事休みの日に寛げたもんじゃない。

激動だった2023年

激動だった2023年

noteの投稿をすっかりご無沙汰してしまいました。
遅ればせながら、新年のご挨拶をと思いましたが、元旦に能登半島での地震に始まり、羽田空港での事故等のニュースに、心痛める日々かと思いますので、
この場では控えさせて頂きますが、今年もどうぞ宜しくお願い致します。

私にとって昨年の2023年は、かなりの激震が走りましたので、皆さんにお話ししようと思いますが、今年は登り龍にあやかれる1年でありたいです

もっとみる

今朝オーブントースターを使用した折、焼けたパンを取出した後、兄は蓋を閉め、私はワザと開けっ放しにした。普段その場に居ない兄は危ないと1言。母は放熱し蓋を開けるルールを私に強要しながら兄には無言。誤解は晴れたが、母は終始ダンマリ。物事を多角的に見られない面倒な家族に疲れる。

56歳で早期退職した未婚の兄が帰省。ファイヤー後はどこにも属さず、都内で更なる自由を満喫中だ。独り暮しの長い高齢の母と気が合うのは当然と気付いた。働きながら母と同居中の私には、僅かな自由しかないのだから、せめて滞在期間中だけでも母の相手を兄に任せ、2人と境界線を引く様にしている。

私の親切心をタダ受取りする親族は、感謝や労いの言葉もなく、過去の代償で当然という感覚だ。親孝行してあげたい気持ちに嘘はないが、犠牲や義務と感じるなら線引きし、時には断り自分を守る私。高齢な親が、様々依存してくるのは避けられないから、自分の心をより満たし癒す時間が必要不可欠と思う。

86歳の実母との同居後、何かと面倒事が増えた。例えば2回分のパスタソースが1袋余ったら私は即棚へGOだけど、母がホッチキス止めして保管してた。ソースに穴があいてたと伝えた途端に『した覚えない』と自分のした事を受け入れない。私の前迄立派な母親面をしなくて良いのにと思うこの頃です。

20年以上離れて暮してきた実母との生活が始まり、親孝行ではなく自己犠牲に思えてきた。結婚後に母から金銭的援助を受けたばかりに、母との境界線が引けず苦しい。今までは私の方が近いからという建前で雑務依頼をしてきた母。遠方に住む無援助な独身の兄と違い、私は買収されたとしか思えず悲しい。

姪っ子の結婚式の話。立場上出席すべきと思いつつ、主人に任せ私は欠席。息子が4 ヶ月の頃に弟夫婦からお祝いを貰って以降、年賀状やお年玉のやり取りはしないと言ってくる義妹だから、欠席理由を聞かれずに済んだ。この先義父母の葬儀でしか会う事もなく、かかわる必要の無い人達だと改めて感じた。

孫育て中の50代友人の話。別居娘の2歳児を預かり、2ヶ月間のオムツや食事代さえ貰わず、娘婿は蚊帳の外。ネグレクトではと心配になる。孫は友人にスッカリ懐き、甘えるべき親の元には帰りたがらない。各家庭の母娘・母子の関係は様々あれど、育児は育自という大切な視点が欠けている様に感じる。

子離れを迎えた今、自分の母の呼び方を改めようと思う昨今。子を持つ母になった私は長く『母の名前+おばあちゃん』が当たり前となっていた。兄からの指摘にハッとさせられ、言い間違える度に訂正するけど、なかなか難しい。これまでの失礼をお詫びすると共に、親子間であっても大切な事だと痛感した。

30年前に購入した婚礼家具。部屋に長年鎮座し、処分に困る厄介物の代表だ。老老介護中の義父母宅に、いつでも主人が同居できる様にと提案し、我が家の断捨離を兼ねて搬入。手放した喜びに浸る私とは裏腹な表情の3人。長男長女夫婦の故、難しい選択だけど、義父母は主人、私は実母をみる事に決めた。