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村田紗耶香さんの「殺人出産」の解説を勝手に書いてみた

先日読んだ衝撃作

村田紗耶香 / 殺人出産

文庫本なんですけど、解説が入っていなかったので、大変おこがましいのですが、ちょっと、解説を書かせていただくような気持ちで書かせていただけたらと思います。

本作品は、表題作「殺人出産」を含む4つの作品を収録した短編集。割合としては、表題作「殺人出産」が全体の3分の2を占めていて、他の作品は徐々に少なくなってゆく。最後の「余命」は約4ページほどだ。

「殺人出産」の世界は、今から100年後。
医療技術の発展と価値観の変容により、出産は人工受精が主流となり、セックスは単なる愛情表現と快楽のためになされるようになった。この世界では、女性は基本的に手術をして避妊を行い、男性も妊娠が可能になった。偶発的な妊娠がなくなるため、人口は減少し、社会が維持できなくなったことから、「殺人出産システム」が採用されることになった。それは10人産んだら一人殺してもいい、という殺意を原動力とした人口維持システムである。
P15「恋愛とセックスの先に妊娠がなくなった世界で、私たちには何か強烈な『命へのきっかけ』が必要で、『殺意』こそがその衝動になりうるのだ」。

次に、以前読了した「消滅世界」を例に挙げたい。今の時点で挙げるのは順番としておかしいかもしれないけれど、この流れの中で伝えたい。


この世界は、セックスではなく人工授精で子どもを産むことが主流となり、女性は避妊処置を行い、男性も妊娠が可能な世界。夫婦でのセックスは近親相姦としてタブー視され、夫婦とのセックスで産まれた子どもは特殊で、人工授精で産まれた子どもこそが普通であるという世界だ。好きな人と結婚して、セックスをして子どもを産むこと。それを「正しい世界」として母親にたたきこまれた主人公。だんだんと、その「正しい世界」に疑問を抱くようになり、夫婦間でのセックスを忌避するようになる。また、この世界では夫婦=家族であるので、セックスは夫婦間ではなく恋人とすることとされていて、婚姻関係を継続させながら他の人と恋愛、セックスをするのが普通だ。お互いの恋愛の話をする夫婦もいる。

そして今回の作品に収録されている「清潔な結婚」。それはつまり、「『性』を可能な限り排除した結婚」のことだ。夫婦間で、セックスを行わない結婚。
P167「性とは僕にとって、一人で自分の部屋で耽る行為か、外で処理する行為なんです。仕事でつかれて、ただいま、と帰ってくる家にセックスがある。そのことに生理的嫌悪感があるんです」「のんびりくつろいでいたのにいきなり相手の手つきが性的になったりすることが、辛いんです。性欲のスイッチは自分で入れたり切ったりしたいし、家ではオフにしていたいんです」。

「余命」では、医療技術の発展により「死」がなくなった世界を描いている。
「トリプル」では、「二人で付き合う」ことに疑問を持ち、「三人で付き合う」ことが認められている世界を描いている。しかし主人公の親は「正しい人」であって、その正しさとぶつかる。

ここまで書いてきて、改めて「消滅世界」と重なり合う部分が多い作品だと思った。「殺人出産」の初出は2014年7月。「消滅世界」の初出は2015年12月。「殺人出産」の方が早いのだ。
本作に収録されている世界の共通点、それをベースに「消滅世界」という長編を作り上げたのかもしれない。


・性に対する疑問
・夫婦=家族
・夫婦がセックスをした結果の妊娠であることへの拒絶感
・家族を性の対象としてみることへの違和感
・性別がなくなることを切に祈るような医療技術発展に対する願望
そして
・過去の常識を「正しい」と押し付けてくる人たちとの、正義とのぶつかり合い
※彼女の作品では、正しさを押し付けてくる人は家族など、近くにいる人であることが多い。「コンビニ人間」でもそうであったように。



今わたしたちが生きる社会の中での「正しさ」や「常識」はもちろんあって、それは人それぞれに異なるのだけれど、ある程度共通した「正しさ」や「常識」というのは、ある。例えば、人を殺してはいけませんよ、であるとか、不倫をしてはいけませんよ、であるとか、そういった類のものだ。
わたしたちは、それを生きていく中で学んで身につけて、常々それを意識しなくてもいいくらいの気持ちで、生きていくようになる。だって、常に「人を殺してはいけない」とつぶやきながら生きてない。たとえそういう気持ちを持っていたとしても、それは外には出ていなくて、心の奥深くに眠らせているのだ。

彼女の作品は、人の心の底に眠らせている、社会を機能させるために封じ込めている感情、つまり倫理的によしとされない感情をぐいぐいと引っ張りあげて、そのような感情を持っていることが当たり前であるという世界に連れ出してくれる。他の作家さんの作品にももちろん同様に、普段封じ込めている感情をぐいぐい引っ張りあげてくれるものはあるけれど、彼女の作品のすごいところは、倫理観や性といった、タブーとされがちなところにフォーカスし、しかも現実世界に作品の世界を落とし込むのではなく、倫理観やタブーと向き合うために、世界をゼロから構築し、今ある現実世界の方を「異常」にしてしまうことだ。そして作り上げたその世界から、絶対に目をそらさない。描き始めたその世界を諦めない。

相変わらずクレイジーだし、共感はしにくいんだけど、彼女の作品は共感とかそういうところとは別のところに位置している。この作品でいうところの100年後の世界を、想像し、軽蔑しないことができるかどうか。自分が正しいと信じ切っている世界がいつか、正しくなくなることを受け入れられるかどうか。
身近にいる、過去の常識にしがみついて、その視点でしか社会を見ることができない人たち。つまり、正しさを押し付けてくる人たち。
コロナウイルスが蔓延している社会で絶対にテレワークを導入しない会社、女性がお茶汲みをするのが当然だと思っている男性、結婚するのが当然だと思って結婚をけしかけてくる人たち、家事や子育てを一切しない男性。
彼女が描く世界は極端だけれど、「常識が異なる世界」と考えれば、今わたしたちが生きている世界でも、こんなに自分の常識を信じて疑わない人たちがいる。
今自分が生きている時代の常識は今の時代の常識であって、時代が変われば常識だって異なる。その変化についてゆけなければ、過去の自分が心地よかった時代の常識を持ち続けて、他人に押し付けようとする。それが醜いのだ。

時代は変わる。それに伴い変わるべきは、人だ。
人が、価値観と常識、つまり時代を作っているのだから。
未来に対して想像力をもって、来る未来を尊重すること。
それができるのは、人だけだ。

余談になりますが、例えば、恋愛の先に結婚があるという今の価値観こそ、今の常識ではあるけれど、それは未来の常識と異なる可能性は十分にある。
最近、芸能界では不倫をすれば猛烈にバッシングされる。一人収まればまた別の誰かが標的にされる。その繰り返し。このバッシングの背景にあるものは、何か。結婚したらその人としかセックスをしてはいけない、というしがらみに実はみんな苦しめられていて、でも本当はどこかで、家族は家族、恋愛は恋愛って分けたいと思ってるとか。でもそれは倫理に反しているからしていないのに、パートナーは恋愛を楽しんでいる。それが悔しくて、その怒りをぶつけるために、自分とは全く関係のない人たちをたたいてるんじゃないかな…なーんて。

本作品をお読みになる際は、ぜひ「消滅世界」とセットでお読みください。


※こちらでは他の作品のレビューも公開しています。

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