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ミラ・イース(LA300S H24年製)のヘッドライトバルブ交換顛末記
うちの車ミラ・イースの右ヘッドライトのバルブ(電球)が球切れした。
ハイビームは使えるがロービームだと片目になっている。
ネットで調べると比較的簡単に交換が出来るようなので、とりあえずハイビームで誤魔化しつつ、バルブを買って自分で交換しようと考えた。ちなみにうちのミラ・イース(LA300S)の場合バルブの種類は「H4 Hi/Lo」というタイプ。ハイビームとロービームが一つのバルブに組み込まれてい
「触れ合い」への揺り戻し
コロナの影響で世界の常識が変わり、「触れ合いへの忌避」が今後起きてくるのでは…という話を最近よく聞くけど、個人的には「安心して触れ合える人とそうでない人」のギャップが大きくなるだけで、「触れ合い」そのものの価値はむしろ高まるんじゃないかと思うのだがどうだろう。
人は触れ合いを採って生きているスキンシップ神話でよく取り沙汰されるお話に、神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ2世が行った50人の赤ちゃんに衣
話の軸を安易に手放すこと
作品作りで、特に推敲の段階でしていけないのは、話の軸になる要素を安易に手放すことだ。初期段階ならば追加要素を取り込んだり要素を入れ替えても軌道修正できるが、最終段階でそれをやるとほぼ確実に作品は求心力を失い空中分解して頓挫する。何度経験したことか。
しかし、心がひ弱な創作者は自分が温めてきた作品への疑いを持ってしまいがち。
疑うならもっと早い段階で疑うべきだったし、すでに大詰めならば、それがたと
「レ・ミゼラブル」たちの世界
少し前に、青年時代に折々心に移り行く由無し事をそこはかとなく書き付けていたノートを何冊か見つけ、読み返して、あの頃の灰色と言うか仄暗い(漆黒でも色鮮やかでもない)日々を思い起こしうんざりしてしまった。
何よりうんざりしたのは自分が今で言う「自己責任」だったり「新自由主義的」なことを書いていたことだ。曰く、今の自分はダメで、このままではジリ貧で、この状態から脱するためには強くならねば、変わらなければ
歴史の教科書の行間に私たちは生きている
先日、参議院選挙で不在者投票を済ませた。
選挙の度に「どうせ今回投票してもなにも変わらないんだろうな」と思いつつ投票に行ってて、今回もたぶん変わらないんだろうなと思ってもいる。
(余談だけど、かつて民主党政権が誕生した時の選挙はワクワクした。「世の中変わるかも」と期待できたのはあの時くらい。結果は肩透かしなところはあって批判する人も多いけど、改善の可能性があまり無い現状より余程まし。)
ただ、
ハイヒールにせよネクタイにせよスーツにせよ制服にせよ、望まないものを無理矢理着用している人々を見てそそられる(凛々しい!も含む)人々がいる限り、なんのかんの理由を付けて生き残る。そういう人が別なものを見つけたらそちらに移るけど、数世代越しのフェチだから時間がかかるのだろうと思う。