絶望の味

「ここは俺に任せて先に行け!」みたいなのが実は好きだ。それが絶望的に悲劇的で切ないほどいい。

平野耕太の『HELLSING』のベルナドットの最後のシーンとか、イギリス軍基地で凡庸とされた将軍と部下たちが命をかけて敵を足止めしようとするシーンとか好きだ。(そもそも『HELLSING』は私の性癖に響くシーンが多い)。

一方で、絶望的な状況で抵抗できない残虐なシーンを見ると精神的にしんどくなる。

昔で言えば、映画『二百三高地』でロシア軍のトーチカの堀に突撃して落ちてしまった日本兵がマシンガンの餌食になるシーンとか、エヴァ旧劇場版2作目で2号機が量産型エヴァに食われるシーンとか、『HUNTER×HUNTER』で虫の王様に捕まったやつが脳みそを弄られるシーンとか、嫌だ。 本当に嫌。

でも、嫌ということは私にとって生理的に響くシーンということなんだろうと思う。

例えば、『夢幻回路2003』に有る箱入り少女に無理矢理大福を食べさせるシーンは、元々無理矢理〇〇させるが生理的に嫌だったからこそ思いついたシーンなんだと思う。

基本的にこれまで、こういうイイとかイヤから目を背けてきたような気がする。
イイとかイヤは精神力(MP)を変動させる。
MPが枯渇すれば、何も考えられなくなり、普通のやりとりすら出来なくなる。
人として安定した生活を過ごすためには、MPを安全な範囲でキープする必要が有る。

宗教や心理学に興味を持ったのもその辺の必要性からだった。

最近は身体の老化に伴い、身体の欲望が減ったおかげで、安定した生活がしやすくなった。
でも同時に、イイとかイヤとかがわからなくなってきた。
イイとかイヤの根底は欲望だったのだと思う。欲望(こうあってほしい)があるからそれに対するイイとかイヤが出てくるのだ。
失って初めてわかるなんとやら。

このところ、台本が書けない。書きたいと思わない。いや、書きたいことが無ければ書かなくて良いのだ。でも、なんだか漠然となにか書きたいとは思っていて始末に悪い。自分がどうするべきかわからない。イイのかイヤなのかわからない。ぼんやりしている。
これって、あまり良くない状態なのではないかと思うだ。
若い時「死ぬ時に後悔しないで済むようにしたい」と考えていたけど、イイとかイヤが最低限わからなければ後悔すら出来ない。

ともあれ、今更ではあるけど、今後自分が感じたイイとかイヤを少しずつ書き残していこうと思う。それで若さや欲望を取り戻せるとは思わないけど、自分のこれからの生活のなにかの足しになればと思う。

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