歴史の教科書の行間に私たちは生きている

先日、参議院選挙で不在者投票を済ませた。

選挙の度に「どうせ今回投票してもなにも変わらないんだろうな」と思いつつ投票に行ってて、今回もたぶん変わらないんだろうなと思ってもいる。
(余談だけど、かつて民主党政権が誕生した時の選挙はワクワクした。「世の中変わるかも」と期待できたのはあの時くらい。結果は肩透かしなところはあって批判する人も多いけど、改善の可能性があまり無い現状より余程まし。)

ただ、今回の参議院選挙(と、おそらく近々あるだろう衆議院選挙)の結果次第では、自民党改憲案を元にした、緊急事態条項を含めた憲法改正が行われるわけで、これって選挙後にナチスによって全権委任法が成立した1933年3月5日のドイツの選挙並みに、歴史的な選挙なんだよなと思うと、なかなか興味深くまた絶望も深い。
未来の日本史の教科書にも載るだろう。日本史という科目が残ってればだけど。

子供の頃、第二次世界大戦前の人々が、何故ファシズムや軍国主義、権威主義や独裁体制を止められなかったのかが理解できなかった。
それはその後の敗戦なんかを知っているから言えることなんだというのは、今は流石にわかる。

未来の人達も、今の状況を止められない私たちを「理解できない」と言うかもしれない。
でも、私たちは彼らにはわかる「このあとの展開」や「採るべきだった正解」がわからない。
フロントガラスが曇った車で旅をしているようなものだ。わからない中で、最善と思うことを行うか、最悪と思うことを避けるか。ともかくやれることをやるしかない。

私たちは歴史の教科書に書かれてない行間に暮らしている。
私の判断や行動が後世に語られることはまあない。それでも、歴史の一部を担っているのは確かだ。

少なくとも、「なんであの時代の人はなんであんな政権を支持したんだろう」と言う未来の人に「私は反対したよ」と言うことだけは出来る。
願わくば、この私の感覚がポンコツで、選挙の後、どんどん生活が良くなり世界が平和になりますように。

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