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【新刊案内】台本集『赤ずきんと死神』
筆者の作曲した歌劇(オペラ)等の台本について、このたび電子書籍の形で公開することと致しました。
※なお本電子書籍は Kindle Unlimited に対応しております。
一人の少女の旅を描いたモノローグ・オペラ《赤ずきん》(2007) のほか、古典落語に題材を仰いだモノドラマ《死神》(2009) と《一眼国》(2013)、同じく古典落語を題材としたオペラ作品(〝ラクゴ・オペラティック〟と銘打
昭和昭和と云ふけれど…
「昭和」といっても、時代としては西暦で言えば1926年(12月25日)から1989年(1月7日)までの半世紀を優に越える長期にわたり、その間には世界恐慌や太平洋戦争(大東亜戦争)という社会的にも文化的にも大きな混乱の節目を迎えていて、その全ての期間を一括りに語ることはできない。
もっとも世間では、ざっくり(本当にざっくりと)〝ショーワ〟とまとめて、その時期のあれこれを並べて「古いモノ」として一蹴す
最近〝あたりまえにあるもの〟は「あたりまえだから感謝しなくてもよい」という物言いが散見されるけど、感謝はヒト相手だけではなくモノや状況、事象にだって湧き上がるものだと思います。そんな時「ありがとう」と一言口に出すだけで、まずなにより自分がシアワセになれます。実践するとHappy!
この記事は〝琴線に触れる〟か?
「須らく(…べし)」が〝すべて〟を意味する言葉として誤用されているのをしばしば耳にする。皆んなそういう意味で使ってるからいいじゃないか、と容認する向きもあるが、間違いは間違いであり、少なくとも知っている者としては自らの誤用の言い訳にはならないし、また「それは違う」と指摘する義務があるだろう。(ちなみに正しい意味は「当然〜するべきである」)
最近では「琴線に触れる」の意味を〝怒りを買う〟と取り違え
書き出し(イントロ)が肝心
先の投稿で、テンプレ的小説の書き出し文言について触れた。
小説(長短編問わず、またエッセイなどにおいても)の書き出しは重要で、その一フレーズが作品世界を象徴し、読者の注目と期待を一点にフォーカスさせる力が求められる。それは音楽においても同様だが、特に時間芸術であり、聴覚・空間において直線的な時間経過の制約を受けるため、楽譜を「(ページを行きつ戻りつして)読む」という〝振り返り〟をするのでない限り
未完だからこそ面白い
〝小説家〟スヌーピーの代表作『ある真っ暗な嵐の夜だった It Was a Dark and Stormy Night』–––––
––––– 〝なろう系〟が世の読書人口への供給過多を起こすかと思われる昨今。スヌーピーの小説執筆の執念は、特に文章を趣味として書く人種の共感を呼ぶものではないか。出版社に原稿を拒否されて落胆するスヌーピーの姿に、コンクールなどに楽譜を送っては不発に終わり苦渋を舐めさせ
ゴジラとラヴェル、時々 私
映画『ゴジラ-1.0』が、アカデミー賞で日本の作品として初めて視覚効果賞を受賞したというニュース。
世代的には〝ゴジラ〟映画にリアルタイム(つまり映画館に足を運ん)で触れた最初の作品は『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』(1966)だっただろうか。粗筋はもはや記憶の外ではあるものの、当時すでに子供の人気者(=人類の味方、というワケでもないが)であったゴジラにワクワクし、田圃で見慣れたザリガニ