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春に寄せて…

アリア:春風の中で (ピアノ組曲《スケッチ帖》より第2曲)

四月生まれの筆者にとって、訪れる春は常に一年の節目であり、何かが終わり、何かが始まる季節でもある。四季折々、どのときにもたのしみや喜びはあるが、初めて生を受けた瞬間に肌に触れた春の〝気〟は、常に次のステップを踏み出す力を授けてくれるように感じられる。

古今の作曲家で春を愛さない者はいなかったのではないか。とりわけヨーロッパのクラシック芸術につながる音楽家たちにとって、緯度の高い北半球の長く暗い冬を経て迎える春の陽光は、まさに死の深淵から復活したキリストの輝きであり、生命いのちの芽吹きの祝祭の凱歌であったに違いない。それゆえ〝春〟にちなむ音楽は幾多となく作曲され、それらの多くが明るく生き生きとしたメロディとリズムで後世の人々を愉しませてくれるのである。

季節感は、それぞれの国や地域に生きた人々の、遥か昔から辿られる水脈であり、国や言語の文化的背景によって受け止め方や表現の仕方が異なる。それぞれが固有にして特別なものであり、同じ水脈でも枝分かれした先同士の態様たいようは別の形であったりもする。作曲においても然りで、ヨーロッパで培われた和声法や様式を遥か東の先の日本に生まれ育った作曲家が用いたとしても、そこに描かれる〝春〟の情景は、その国ならではの湿度と香気を不可避にまとっているだろう。


2006年に書き上げて翌年春に初演したピアノ組曲《スケッチ帖 Cahier d'esquisses》の第2曲は〈アリア:春風の中で Air … dans le vent du printemps〉という表題を持つ。他の曲に先立ち、ロシアのグネーシン音楽学校からの依頼で1999年に作曲された小品である。

簡素な三部形式(A-B-A)で書かれ、気まぐれに舞う春風の印象を感傷的な旋律と和声で描く。楽譜の見た目はハ調(主音C)であるが、歌い出してからすぐに近隣調の色彩にずれ込んでゆくため、短調のようでもあり、そうでもないような揺らぎを持っている。初春のまだ風の冷たい中、しかし明るみを帯びた陽の光に誘われてそぞろ歩きするような期待感と心許こころもとなさが混じり合う感傷。そこに減五七の和音進行が予期せぬ風向きの変化を生んで足元の裳裾もすそからませる。中間部では日差しの暖かみが肌身に慣れてきたところに、より強い一陣の〝春一番〟が吹きつけてくる。そして冒頭の主題が回帰するが、すでに心には暖かい季節への期待が静かにあり、ハ調のリディア旋法の音階で優しく締めくくられる。


ロシアの委嘱側、この曲を弾く若い生徒たちの感想は〝とても日本的〟との事だった。手法的には西欧クラシック音楽の流儀に則っているものの、この曲で思い描かれた〝春〟の心象風景は、やはり筆者が生まれ落ちた瞬間に感じた、この風土の持つ春の〝気〟なのだろう。

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