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10年そこそこの記憶ですら…

東日本大震災から13年。あの年に生まれた赤ン坊も中学生になるわけで、ことほど月日が経つのは早いもの。年齢を重ねれば「ついこの間」という時間の隔たりだが、その感覚的時間の近さは、必ずしも記憶の正確さを担保してくれない。

「東日本大震災の時に母親から来たLINEが~」って言うのは全部嘘。真っ赤なウソ。断言できるけどウソ。 何故なら東日本大震災の時にLINEが無くて、LINEのサービス開始は 2011年6月23日

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ここで述べられている事実はまったくもってその通りなのだが、そのように語っている人々のすべてが意識的に〝嘘を言っている〟のかというと、必ずしもそうではない場合もある。

人間は現実よりも観念で生きている領域がかなり大きい。目の前の他者と話をするにしても、家事や仕事などの日常作業を行うにしても、物理的な現実に相対しながら行動するが、その行動の意味や価値、その他もろもろの注視や認識は人間の観念が方向づけている。それはフッサールの言うところの“ノエシス的契機”なのだろうが、その過程において、特に感情的な主観に支配される時には、得てして客観的事実が見過ごされ、あるいは誤認される事がある。

ましてや発災後まもなく(2011年6月23日)提供の始められたアプリであり、それからの急速な普及を考えれば、この時間軸の前後関係の齟齬は致し方ないともいえる。

「十年一昔」という古くからのコトバも思い起こせるだろう。
その、10年そこそこの記憶ですらそうなのだ。

思い込みという、誰にでもある陥穽おとしあなは、特に客観性の必要な話題の際に注意すべき事で、心のウチとソトのバランスを取りたいものと自戒する。

もっとも、この件については最後のコメントにある

メッセージアプリを全てLINEと呼んでる可能性

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…ああ、これに尽きるかな。
Skypeで連絡取り合うのでも「あとで電話する」とかつい言っちゃうしね。
「筆箱」とか「衣紋掛け」のように、日常的には普通名詞として定着しているものも少なくない。いずれLINEもその列に入るのだろうか。

だから若い皆さん。今時の高齢者が「TVのチャンネルを回す」と言ってもバカにしちゃダメですよ(笑)。これはもはや雅語の領域と言ってもよい。

ちなみに当時、知人の安否確認に役立ったのはFacebookとSkypeだった。

海外の知人から即座に見舞のメッセージが届いたり直接話したりして、ニュースの広がる速さを再認識する…と同時に、止められない流言飛語の異様なほどの拡散に恐怖も覚えた。

発災間もなく、Facebookの友達申請を受けて、承認した時の初めてのやりとりが

「そちらは大丈夫?」
「大丈夫」

なんて事もあったっけ…

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