《サンプル版》金の糸と黒の糸 2

《第六章》動揺する金の糸
 
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 その日は朝から晴天だった。
 初夏を感じさせるまぶしい日差しを浴びながら庭で洗濯をしていると、遠くからガラガラと馬車の音が聞こえてきた。
 大きなたらいの中で洗濯ものを踏み洗いしていたカリーナは、その音に気づいたが、来客はマーヤが対応するからとのんきに足を動かしていた。
 洗濯を行うときは、ふだんの格好では無理だ。下着と変わらないワンピースの裾をまくり上げ

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《サンプル版》眠れぬ夜

《第一章》三年前 五月 1

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 この日、正午を過ぎたころ、一人の男が日本に帰ってきた。
 彼は入国手続きを済ませたあと、すぐに到着ロビーへ向かい、どこかに電話し始めた。
「もしもし、ただいま帰国しました。今から向かいます」
 事務的に告げたあと、男は腕時計を見た。
「お帰り。あっちに向かう前にホテルにチェックインだけしておいてくれ」
「分かりました。では失礼します」
 電話の相手とやりと

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《サンプル版》イヴのめざめ 1

《第一章》闇の中から現れたもの
 
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 秋の日暮れは速い。
 井戸の中へ釣瓶(つるべ)が落ちる速さで日が暮れる。
 日没とともに、日の光に暖められた空気は徐々に熱を失い、やがて肌寒ささえ感じるものだが、歩(あゆむ)は薄手のセーターに細身のパンツ姿という軽装で歩いていた。
 ボストンバッグを持ちながら歩く彼女の表情はとても暗かった。気が強そうな目は涙ですっかり潤み、疲れたような顔をしている。

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《サンプル版》黒真珠の君と白銀の君

《本 編》
 
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「まあ。あのお方がいらっしゃってるわ」
 紳士淑女でひしめくホールに入るなり耳に入ったものは、心ない言葉だった。フレイアは内心でため息を漏らす。
「相変わらずお美しい黒髪だこと。あの黒髪には、殿方を惑わせる魔力がこめられているのですってよ」
「それにあの褐色の肌。あれにも媚薬が塗りこめられているんだとか」
「それでは、どれほど真面目な殿方であっても、あの方に夢中になっても

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《サンプル版》あなたと夜と音楽と

Riunione -再会の夜-
 
 仕事を終えた頃には既に夜更けになっていた。
 窓の外に広がるオフィスビルから漏れる光を一瞥したあと、ラップトップの電源を落とす。完全にシャットダウンしたとき、仕事から解放された気がしてようやく人心地つくことができた。
 薄暗いフロアを見渡してみると、しんと静まりかえっている。腕時計を見ると、もう二十二時を過ぎていた。
 仕事も終わったことだし自宅にまっすぐ戻っ

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《サンプル版》春の雨

《春の雨》
 
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 春の雨は優しくて温かい。
 霧状の細かな雨がしとしとと降ってきて、乾いた大地をしっとりと濡らしていく。細かな雨が街の景色を濡らすたび、彼と出会ったときのことを思い出してしまう。きっとあのとき、雨が降っていなければ、彼とは出会っていなかっただろうと。
 午前の仕事を終えて窓の外を見てみると、灰色の雲が空を覆い尽くしていた。目線を下げると、一階の中庭が見えた。霧のように細か

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《サンプル版》金の糸と黒の糸 1

《第一章》縺れた金の糸
 
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「誰が、誰に、何のために、何を教えるのです?」
 一言一句区切りながら問いかけると、それまでソファに顔を突っ伏して嘆いていた父親の肩がびくっと震えた。
 それを見てカリーナは確信した。やはり泣きまねであったことを。
 父親の泣きまねは年季が入っている。それだけに、一見すれば本当に嘆いているように見えるから厄介だ。
 しかし、泣きまねと分かったからには手加減は無

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《サンプル版》約束のキスのあと

《第一章》夢
 
 あれは十年前のこと。
 十八才の誕生日の夜に、わたしは不思議な夢を見た。
 真っ暗闇の中、わたししかいないはずなのに、わたし以外の誰かがすぐ側にいるような気がした。
 きょろきょろと辺りを見回してみたが、その人の姿はない。視線を動かしているうちに、香のような匂いが鼻を掠めた。
 懐かしさを覚える匂いだった。だが、なんの匂いなのかは分からない。記憶をたぐり寄せてみても、いつ嗅いだ

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《サンプル版》コンクパールの指輪 1

《第一章》
 
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『今週末人生最大のアクシデントとハプニングに見舞われることに! でも心配しないで。その出来事はあなたにとって最高の幸せをもたらしてくれる出来事になるでしょう』
 女性週刊誌の巻末にあった占いの記事を見せてくれたのは美里だ。だから大丈夫だと、彼女は自信たっぷりに言っていた。しかし、このお見合いは絶対に断られることになるだろう。
 煌(あきら)は目の前に置かれているフルーツタ

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《サンプル版》別れた相手とよりを戻すまでのこと

CASE1 ボスからの頼み
 
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「阿部、頼みがある」
 唐突にボスからこう言われたときは、要注意だ。
 ほぼ間違いなく面倒なことを押しつけられるから。それを分かっているだけに、できることなら無視したかった。
 しかし、視線に耐えきれずチラリと見ると、すぐ側にいるボスから眩しいまでの笑顔を向けられていた。ボスの笑顔と案件の面倒くささは、見事なまでに比例していたし、わたしが知る限りそれが違っ

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