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【アニータ・ムアジャーニ】誰でも自分の奇跡のマリネに浸ることができる(動画・翻訳)

この記事をご覧いただきありがとうございます🍀
この動画の音声を翻訳したはろ/Haloです。

今回の動画は、私自身にとっても、私達の日常の人生は、本当に奇跡の連鎖なのかもしれないと気づかせてくれる、2022年の年末、12月初旬のメッセージです。

私自身が、このアニータ・ムアジャーニさんを知ったきっかけは、今から数年前、2019年の初めだったでしょうか、海外に長年住んでいた私は、陽だまりの穏やかな静かな午後、一人自宅で、当時は、何の知識もなかったウエイン・W・ダイヤーの『ザ・シフト The Shift』(2009)という映画の動画が目にふと目に止まり、たまたま観たことでした。『ザ・シフト The Shift』(2009)の細かいあらすじは置いておいて、その当時、日々忙しいながらも、日本を離れて長い中、遠い日本は「平成」は「令和」へという節目感、亡くした母の年齢を前に、なんだか自分の先の見えないような、不安、無力感を感じていた頃、心にぽっと明るいランタンのような光が差し込んだ作品だったのを記憶しています。それから数週間は、2015年にはすでに亡くなっていたそのウェイン・W・ダイアー(彼の誕生日が亡くなった母の命日と同じ日というのも何かの縁に感じ)の、晩年の数々の名言や動画が、しばらく日々の心の支えになっていました。そうしたある日、彼の講演の中に出てきたアニータ・ムアジャーニさんが、5年前に、自分が死の瀬戸際を超えた時に体験したことを淡々と語っている動画に出会いました。

アニータさんが、臨死体験からの生還・自らの癒しを通してあちらの世界について語ってくださったこと、本来、私達は無条件の愛に包まれた存在であるというお話は、それまで誰にも話したことはないけれど、なぜかどこかで知っていたような真実のようで、疑いや違和感すらなく、やっぱりそういうことだったんだと、絶大で温かな光のような安心感と共に、すーっと心に注がれてきたのを覚えています。

さて、日常の忙しさにこれまで、”生きる”を頑張っていらした方も、何かに導かれるように、今日まで生きている私にも、そして、何らかのきっかけでこの記事をご覧になってくださっている方にも、ありがとうございます🍀

まず、誰しもどんな人でも人生のどの時点からでも、自分自身を、無条件の愛で受け入れた時点から、瞬間瞬間、同じ肉体の中でまるで生まれ変わっていくような、"奇跡"や人生の魔法と思われるような出来事は、自分自身で創り出せるのだと伝えてくれる、アニータ・ムアジャーニさんの動画、メッセージをご覧ください。

オリジナル動画 Creating a Miracle Marinade
2022/12/10 公開(15分04秒)
Anita Moorjani Official YouTube Channel
【オリジナル動画(英語音声)で聴きたい方はこちらの「オリジナル動画」からどうぞ】


アニータ・ムアジャーニです。
というわけで、ちょっとお邪魔してみました!お元気ですか。
信じられません、もう12月1日です。
12月も初日、私たちはちょうど今日、クリスマスシーズンの飾り付けの照明をつけ、クリスマスを迎える準備をしました。


2022年の世界を象徴する言葉として「心理的虐待(ガスライティング)」が選ばれる


そして、今日知ったのですが、最も定評のある世界的辞書の一企業である、メリアム=ウェブスター社(Merriam-Webster Dictionary)は、「Gaslight」という単語を、最も今年を象徴すべき言葉、2022年の流行語大賞に選んだそうです。

非常に興味深いニュースだと思いました。皆さんはガスライティング (Gaslighting)の意味をご存知の方も多いかもしれません。1940年の『ガス燈』(Gaslighting)という映画の内容から生まれた言葉です。
当時は、ガスで、街灯、灯りが灯されていたのですが、ある男が、毎晩、
そのガス燈を自分で少しずつ薄暗くするのです。
その男の妻が「ねえ、あなた、灯りが毎晩薄暗くなっている気がするのだけど、あなた、気づいている?」と聞くと、その男は「いや、そんなことはないよ」と答え、妻は「それでは、私は気が狂っているのかしら」と言い始めるのですが、そうやって、その男が、その妻が、自分の方がまるで気が狂っているかのように思い込むように仕向けていくという内容で、その話から、「自分が間違っている」「自分が狂っている」と相手に思わせるような行為をしたり、言ったりするという心理的虐待を、ガスライティング(Gaslighting)と呼ぶようになったということです。

そこで、今日は、今年2022年の世界を象徴する英語の言葉がガスライティング(心理的虐待)であることの意味がいかに興味深いものであるか、考えたことをお話したいと思います。
この言葉が選ばれた背景には、 近年、起こっている分断、分裂、わだかまり、世界の政治情勢、CO-VID19に関すること、マスメディアを中心に溢れ混乱する情報など、あらゆることが思いあたるでしょう。

臨死体験・生還直後当時の私のこと

同時に、私は、自分が臨死体験(NDE)をしたばかりの頃を思い起こしたんです。
その当時、自分が臨死体験をしたことや、どのように自分が癒しを体験してきたのかを何度も何度も人に話す時、それを聞いた人々の私に対する反応や、そんなわけはないと説き伏せようとしたりする態度は、今日でいうところの「ガスライティング」(心理的虐待)と呼べるものだったかもしれません。私はその言い回しを聞いたことがなかったし、その当時はそんな語彙が自分の中にありませんでしたが、自分の臨死体験、癒しの体験を話すだけで、気が変になりそうな気分で座っていた私は、今だったら、きっと自分が「ガスライティング」(自分が狂っていると思わされるように仕向けられている心理的虐待)という状況にあったと思います。
臨死体験直後の私はただ、末期癌から数日で治癒が起こり、数週間で癌から解放され退院したという、誰もが実際目のあたりにしたこと、その明らかな事実として知っていることを、自分の視点からなんとか説明しようとしていただけなのに、私は、まるで自分が狂ってしまったかのように、自分がおかしくなってしまったかのように感じてしまっていました。

実は、同じ今日、面白いことに、私アニータ・ムアジャーニのオンラインメンバー制プラットフォーム「サンクチュアリ(The Sanctuary)」で、何人かのメンバーとビデオ会議があったのですが、そのうちの一人のメンバーであるSabrinaから、私が臨死体験をして生還してから、その後、私の体験談が、ウェイン・W・ダイアー氏によって見出されるまでの数年間、私の人生に何が起こったのか、私に何があったのか、もっと話すべきだと言ってくれました。そんなわけで、まだまだ皆さんにお話できていないたくさんの出来事や気づきについても、これから時間を解き明かしていこうとつくづく色々考えていて、その話の一つを紹介させていただきました。

私が伝えたいのは、私が特別恵まれているということではない


私が、今日、私が改めて、皆さんにお伝えしたいことの一つについてお話します。
おそらく、私の著書が出版された後や、最近になって私のことを知った人の多くは、私が臨死体験(NDE)を経て、生還し、私の人生は素晴らしく、本当に幸運で、とても恵まれているという印象を持つでしょう。実際に、私は本当に恵まれているし、多くの守護を受けており、あの世からもとても愛されていますし、それを否定するつもりもありません。私はそうしたことを感じることができることで、自分がとても力強い存在に感じることもできます。

ただ、私が言いたいのは、その一方で、こちらの世界に戻ってきた当初から100%良かったわけではありません。努力も仕事をしなければならない、それは避けられないことです。私が自分の話をしたり、自分の身に起こったことを人に話したりするのは、「私は恵まれている、私は見守られている、私には守護天使がいる、だから私は生きている、私の人生は素晴らしい」と、自分の得意のラッパを吹き鳴らす(自慢)のためではないのです。

私が日々創造しながら私を連れてきているのが世界だと気づいた


それは、違うんです、私が、この私について話をし始めたのは、臨死体験が私に明晰さを与えてくれたからかもしれません。しかし、それはなんというか、まるで扉、パンドラの箱を開けてしまったかのようでした。びっくり箱(ジャック・イン・ザ・ボックス)のように開いた箱から飛び出してきたものを、私は次から次へとすべて拾い集めならければならなかった、そんな感覚なのです。それは、それらの体験によって、実際、この世界が、以前、私が考えていたようなものではないことに気づいたからです。
それまで私が考えていた、私が生きている世界というのが、うーん、イリュージョン(幻想)とでも言おうか、もっと良い表現を探してはいるのですが、私が生きている世界は、私がその世界に私が連れてきたのです。以前の私の目からは、私が住んでいた世界は、とてもじゃないですが、変えられるようなものだとは思ってもみませんでした。ただ、実際には、自分の生きている世界というのは、変えていくことができるんです。実際に自分で、そこから、その時見ていた世界とは何か違うものを創りだすことができたのです。その何か違う世界を創りだす、創り出す方法を知るために、私は死の淵を彷徨う体験が必要でしたが、これを聞いてくださっているみなさんは、誰しもがそんなことをする必要はないと言いたいんです。

私は、私の臨死体験・生還を経て、自分を再調整、再プログラム、学習、失敗、再出発をしてこなければならなかったのです。その過程で経験した気づきの旅こそ、私が共有したい、私が人々と分かち合いたいと思う旅なんです。

だって、その旅は、大病にかかったり、臨死体験をする必要もなく、どんな人にでもできることだからです。だからこそ、私ができたことは、「誰にでもできるんだ」とそれをお伝えするこそが、私が最も重要だと信じていることです。

ミラクルマリネード"奇跡のマリネード"はどんな人でも創ることができる


今日は、私が皆さんにお話していることの中で、最も重要なことのひとつ、私自身がその旅を通して、自分で創造できることを学んだこと、私はこれを「ミラクルマリネード"奇跡"のマリネード(奇跡の漬け汁)」(以下、ミラクルマリネード)と呼んでいるのですが、それをご紹介したいです。

私は、ここまで自分でミラクルマリネードともいえるものを創造してきました。ミラクルマリネードは、どんな人でもそれを創造できることを知ってほしいと信じていることの一つです。
なぜ私達、そして私達の住む世界は、ミラクルマリネードを作ることにあえてこだわらないのか理解できません。まるで、奇跡なんかないかのようにそれを遠ざけて、信じないようにしているようです。

では、私がここで言う、ミラクルマリネード とはどういう意味なのか、詳しく説明させてください。
あちら側に行って気づいたことなのですが、私達人間が、ある事象が起きることを妨げたり、奇跡が起こることを妨げたり、癒しが起こることを妨げたりするのは、すべて、私たちの中にある、それが起こることに対する不信、起こるという事実への不信、私たちが抱いている奇跡や魔法に対する不信、実際には導かれていて周りのあらゆるところにサインがあるという事実に対する不信から、なのです。それらを信じないからこそ、それが真実となるのです。そういうことなのです。

もし私たちが本当の自分を知っていて、常に導かれていることを知り、自分がパワフルであることを知っていたら、私たちの人生は大きく変わっていたでしょう。もし、最初からそう信じるように仕向けられていたら、私たちの人生は大きく変わっていたことでしょう。
だからこそ、私たちはいかにそのように創造するか、または、いかにして、私達が、それらを信じることを始めるかが、まず最初の事なのです。それがスタートラインなんです。それを信じるかどうかあなた自身が気づくこと。
これこそが、私が臨死体験(NDE)から戻ったときに気づいたことなのです。

臨死体験後の5年間:ガスライティングされた思いを経て、自分のミラクルマリネードを創り浸ると決める


臨死体験から帰還した時に、私があちらの世界で学んだ、その信念というか、あちらで学んだことを、みんなが私から引き剥がそうとしているような気がしたんです。
あ、ごめんなさい。みなさんにきちんとお伝えできるように、もう一度、言い換えさせてください。
私の中で、今、多くのことがいっぺんに降りてきていて、チャネリングを始めると同時に、それらは、直線的に進んでいってしまい、私から消えてしまう前に、なんとかキャッチしなくてはいけない感覚があるので。

言い換えると、臨死状態から生還したとき、人々はまるで、私からその体験があたかもなかったかのように、私を論破することで、私の手からそれを奪おうとしているかのように感じていました。私が経験したことを、多くの人々が否定したり、論破したり、挑戦したり、否定したがって、まるで、私からその経験を奪おうとしているようだったのです。
その当時、私の話を聞いた人々は、どうやって治したんですか、その癒しの部分をもっと知りたいんです、とか、もっとこういう事例が起こって欲しいとか、そういった種の好奇心を投げかけてきてくれたりするでもなく、あるいは、医師や医療従事者の方々が、一体あなたがどのように治癒したのかを研究したいんですと言ってくださることもなく、実際はその反対で、私の体験を否定したり、なかったことにしたりすることに関心を向けられたのです。

ここで、また、先ほどでいうところの「ガスライティング(Gaslighting)」が起こった話になるのです。
それは、そういう人達というのは、目に見えるもの、触れるもの、実際に匂うものだけを信じる必要がある、五感の物理的世界のパラダイムに適合しようとしているからなのですが。そういった人々のその世界観に合うものでないと、私の話すような内容は、信じてもらえないのです。
そうなると、先ほどのガスライティングされたような気がして、人は自分を疑うようになります。私はよくそういう目に遭い、よくそういう思いをしました。臨死体験から5年間、私はそうやって、自分の身に起こったことに対処してきました。
そういう日は、帰ってきたときは、本当にわめきちらしたい、泣き出したい気持ちになって、屋根の上から自分の伝えたいメッセージを叫びたくなって、世界中のみなさんと分かち合いたいと思うようになりました。
ですが、それを分かち合えば分かち合うほど非難されることが多かったので、一旦は共有するのを辞めてしまいました。

でも、私は決めたんです。その当時はまだ、そんな言葉はなかったし、最近になって、私がそう名付けた言葉ですが、私はそこから自分の「ミラクルマリネード」を創ることを決めたんです。

そこでしたことというのは、まずは、私の体験談に挑戦的・否定的な態度を示すコミュニティや、体験の前の以前の私の姿を望んでいる人々のコミュニティから、自分を引き離し、そのコミュニティから離れることにしたんです。そこから、私は今日、奇跡のマリネード(奇跡の漬け汁)と呼べるような、私のミラクルマリネードとも呼べるような、新しいコミュニティーを創ってきたのです。

ミラクルマリネード"奇跡のマリネード"を創造すると決めてから


さて、ここでミラクルマリネード創造の大事なコツをご紹介します。

それは、あなたと同じように考えている人、またはあなたが信じようとしている方法を信じて考えている人、または、あなたが創造しようと努力している人生を持っている人、そして、あなたがあなたの人生に魔法と奇跡を望むなら、あなたは、そういう人達の友達になり、それらが起こると信じている人々に囲まれて、そういう人達と時間を過ごさなくてはならないのです。そのようなことが起こると信じている人たちとは仲良くし、付き合い、そのような魔法や奇跡が起こったときに挑戦しようとする人たちとは付き合わないのです。

臨死体験してからそれを構築するのに何年もかかりましたが、今では、私の友人の輪というのは、私のこのミラクルマリネードの一部、私の小さなチームの仲間と言えます。毎日毎日一緒に働く仲間たちは、私のミラクル・マリネードの一部です。日常的に一緒にいる人たちは皆、もちろんのこと、夫もそうですが、みんな私が、日常的に一緒に過ごしている人たちは
ミラクル・マリネードの一部なのです。

このところ、こういうプロジェクトに参加しませんかというご連絡をいただ区ことも増え、今日も、先ほどある電話会議で、ある女性達のグループから、あるプロジェクトに参加しませんかと聞かれたりしたのですが、まず、私の方から、こう最初にお伝えしています。
「聞いてください、私は、まずこう思うのです。こう感じるのです。私は、こういった信念に合致するプロジェクトにしか参加しません。つまり、その私が参加するプロジェクトに関わる人たちは、次のようなことを信じている必要があると言うことです。

それは、ある特定の事柄について独断的であってはならないということです。
その意味とは、私たちは本当に心からこの肉体を超えたところに生命があることを信じ、奇跡が起こりうるということを信じ、知っていなければならないということです。
マジック・魔法とは、普通の日常的な出来事であること、ガイドが私たちを見守ってくれていること、起こるであろうことは、私たちがしなければならないことが展開されていて、起こるべくして起こったことであるということ、もです。

私たちが、他の人と円滑に仕事ができるようになるためには、これらのことを本当に本当に信じている人たちとでなければできないんです。

これが、私、個人が長年をかけて築き、創ってきたミラクルマリネードです。時間はかかりましたが、私がただ運が良かったというわけではありません。どうしても私のミラクルマリネードを築き、それを創り上げなければならなかったんです。

今日、私の周りの親しい人たち全員が、カリーヌであろうと、エリカであろうと、あるいは、ニコラも......みんな......みんな......仲間が、ロズ、アビー、ミッシュ、ラスなどなど、私のチーム全体がみんな私のミラクルマリネードの一部です。
というのも、ブレインストーミングをするとき、私たち全員の波長が合うからです。そうだからこそ、マジックや奇跡を生み出すことができるのです。

それと同じことで、私はオンラインの会員制プラットフォーム「サンクチュアリ (The Sanctuary)」を運営しています。「サンクチュアリ」は作ったのですが、今はアップグレードしています。私たちが常に気づかなければならないことの1つは、私たちは常に成長しており、成長のための余地を残しておかなければならないということです。私たちが成長し続け、魔法が展開し続けるための余地を残しておかなければならないのです。

ただ多くの人々は非常に独断的であり、そういう人というのは、例えば、2年前に私が言ったことをその通りにしないのを見たら、それは、私が気まぐれだか、もしくは、私がした約束を反故にしたと考えてしまうでしょう。

でも、実際に、自分が成長し、変化しているのであれば、そういう変化が起こることも当然、許容しなければならず、私のオンライン会員制プラットフォームの「サンクチュアリ」(The Sanctuary)もまた変化し成長している一部であり、私のウェブマスターを担当しているメリッサも、私との仕事を愛してくれているので、私のミラクルマリネードの一部となっています。

私と一緒に働いている人たちは、私にとって重要な存在です。
仕事の上で、そういう人々の専門知識や技術を雇用するために雇っているのであっても、その上で、私がしていることや、私の信念やそういったあり方が、私のやり方だと信じてくれているような人々でなければならないのです。
ですので、ウェブマスターでもアシスタントでも弁護士でも、私がチームのメンバーを雇うときは、彼らが私のやっていることを信じてくれることが、ミラクルマリネードを作る唯一の方法なのです。

ミラクルマリネード"奇跡のマリネード"を創造することから始めましょう

私は、聞いてくださっているみなさんにアイディアとして、これを共有しています。もし、あなたが意識あるビジネスを創造したいなら、奇跡的なビジネスや奇跡的な人生を創造したいのなら、ご自分の「ミラクルマリネード」を創りましょう!なぜなら、あなたが浸かっているのは、毎日、毎日、あなたの周りの人たちのエネルギーなのですから。
今日はそのことをお伝えしたかっただけです。
ご視聴ありがとうございました。

アニータ・ムアジャーニ 公式SNSリストこちら

【久しぶりの心理セラピストのつぶやき】〜嫌なことへの対処法〜
自分の人生や社会には自分にとって嫌なことって起きるものですよね。おそらく、今の日本の状況を憂でいる人も多いでしょう。今の日本の状況や良くない、困ったもんだ、嫌になってしまう・・・とか。
または、今の自分の生活の中に嫌な状況や嫌な人がいるかもしれません。
で、私たちは、嫌なことを避けたり、否定したり、攻撃する傾向があるでしょう。
でも、そうすることで、逆に嫌なものに力を与えてしまう。
なぜならその嫌なもの(人)は手強い、自分では変えられないと思っているから。
そんな時、私たちの心の中に「変えられない嫌なもの」「手強い嫌なもの」と「それに大して無力な自分」「小さな自分」というイメージがを無意識に出来ているはず。
そして、そのイメージを毎日毎日強く抱き続けることで、私たちは「小さい自分」と「難しい状況」、「強い相手」を強化し続ける。
だから、まずいわゆる「嫌なこと」がもうすでに起きているという事実を受け入れよう。それは肯定するという意味ではなく、抵抗したり、否定したり、攻撃(攻撃とは、心の中で愚痴ることも含む)することを辞めてみる。
起きているということを受け入れて、そして”どんな自分でいたいか?”と自分に聞いてみよう。
小さいイメージのままでいたい? どんな自分でありたい?
これが変化へのスタート地点。
サイコセラピストの父といわれるカール・ロジャースが、“どんな狂気じみたことでも、受け入れれば変化が始まる”と言ったように。
もう一度書くと、受け入れるとは肯定するということではなく、解釈なしにそれがあること、それが起きていることを認知するということ。
それがありがままを受け入れるということ。
そして、自分はどうありたいかと自分への宣言をすることで、新しい流れができていく。
生命はいつもあなたの味方、あなたの流れを必ず応援してくれる。だから生命を信頼して、100%委ねてみよう。
あなたの仕事は、ありたい自分を生きていくだけ。
人生を楽しもう♪
追伸:嫌なことや人への愚痴や嫌な感情が出てきても、それも受け入れてあげよう。または、笑いで発散してみても良いですね。
追伸2:嫌なことに対して苦しみがあるなら、そこに傷ついた自分がいるはず。なので、まずはその傷を癒してあげることが大切。

オープン・アウェアネス・ダイアローグ
溝口あゆか

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