脱学校的人間(新編集版)〈83〉
発展途上諸国での活動経験も豊富なイリッチは、その自身の体験も踏まえて「人々は学校がよいものだと熱狂的に信じ、現実には貧しい生活をしながらもその頭の中では、学校によってもたらされるはずの裕福な生活を思い描いている」(※1)とその印象を語っている。
教育を受けさえすれば、あるいは学校がありさえすれば「誰もが幸福になれる」ような社会。しかし「実際にはそれがない社会」において実際に生きている人々は、そのような幸福を他から見せつけられ、そしてその幸福に憧れ「させられ」、「それがありさえすれば、自分たちも同じように幸福になれるはずなのだ」として、そのような幸福の来臨を熱狂的に信じている、もしくは信じ込まされているわけだが、一方その「反面」では、「教育が受けられないこと」で、あるいは「学校がないこと」で、「誰もが幸福から遠ざけられている社会」が現実に存在しており、「それこそが自分たちの現実なのだ」という認識が、「不幸な人々」においてすでにあるわけだ。その認識が彼らの想像を、つまり彼らの「頭の中にある、裕福な生活への渇望と信仰」を支えているわけであり、「今はまだここにはない幸福」に対する彼らの忘我の熱狂を支えてもいるのである。
「ともかく幸福になりたい」彼らは、前のめりになるくらいに熱狂的な態度で、「今はまだここにはない幸福=彼ら自身の欠如」を、何とかして埋め合わせようとするのであろう。どの発展途上国・後進国においても、そこに初めて学校ができたときの熱気たるや、たしかに全く驚くばかりのものがある。そしてこの熱狂が、たとえば片道数十キロもの険しい道のりを越えてまで、来る日も来る日も学校に通わせるような「力」ともなる。彼らは、「そうすることでしか幸福になれないのだから、何であれそうするしかない」のだ。「幸福になるためには、この道しかない」のだから、彼らはこの険しい道のりを命懸けで辿るのである。彼らに与えられた幸福とは、まさにそのような幸福なのだ。
立ちはだかる困難を決死の思いで乗り越え、「未だ幸福ならざる人々」は、彼らの「頭の中の幸福」を目指して険しい道のりを駆け抜け、彼らの思い描いた理想郷へと、我を忘れてひたすら突き進む。
しかしもし、いずれはその場所に何とか辿り着くことができたとして、彼らははたして「それで幸福になれた」と言えるようになるのだろうか?
どうも、必ずしもそうとは言えないのではないか?とイリッチは考えるのだった。
「…彼らは学校で教育を受けたことによって、自分たちよりもよけい学校教育を受けた者に対して劣等感をもつようにされてしまっている。…」(※2)
彼らはそもそも「他よりも遅れたところ」からスタートしている。ゆえに彼らが「幸福になろうとしはじめたそのとき」には、すでに他の多くの者たちが「彼らよりもすでに、そして余計に幸福だった」わけである。そのような先行者たちを「常に前方に見ていなければならない」彼らは、それら先行者たちに対して「常に遅れている」のだということを、常に意識させられ続けなければならない。はたして、そのことに彼らが少しも劣等感を持たずにいられるだろうか?
一方で、それら先行者たちに対して彼らが常に遅れをとっているということが、逆に先行者たち自身の幸福に「利用されてさえいる」のだとも言える。「彼らよりはまだしも自分たちは幸福なのだ」という意識が、先行者たちの「自分自身の幸福を感じる基準」になってさえいるのだ。そのように、「遅れている者たちに対して、少なくともそれより常に前にいること」は、先行者たち自身の欠如感や、今よりもさらに幸福になりたい欲望を、それなりに埋め合わせてくれるものにはなっているのである。
〈つづく〉
◎引用・参照
※1 イリッチ「脱学校の社会」
※2 イリッチ「脱学校の社会」東・小澤訳
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