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脱学校的人間(新編集版)〈35〉

 誰の親でもないがゆえに実際の親子からは外側の立場に身を置く他人の大人たちが、子どもをその親から分割し引き剥がすことによって、むしろ親は自分の子どもを単に「一般的な子ども」として、自分の外側において見出すことができるようになる。
 そしてそのことにより親たちは、その「自分自身の外側」に生じ浮かび上がってくる「子ども」からの、「収奪の可能性」に気づかされることになるのである。それは、誰の親でもない大人たちが「親から子どもたちを収奪する」ことによってはじめて、「それ=子どもたち一般なるものが、収奪しうるものとして見出されてくる」ことにより可能となるわけだ。
 誰の親でもない他人の大人たちが、子どもたちを親から守り救済するためには、まずは親から子どもたちを取り上げ奪い取らなければならない、すなわち収奪しなければならない。何であれ彼ら=大人たちは、いったんはそのようにして子どもたちを収奪するのでなければ、けっして彼ら自身としてはその子どもたちを保護しえないのである。
 しかし、彼ら誰の親でもない他人の大人たちには、なぜそれが可能となるのか?
 それは「子どもたち」が彼ら「誰の親でもない大人たち」にとって、そもそもはじめから分割されて存在しているものだからであり、なおかつ「子どもたち自体」として自立的に存在しているからである。そのように、その「もの」としてあるようなものだけを、人は所有し支配し、なおかつ保護することができる。そして保護することとはまさしく、一つの「支配」の形態なのであり、それは何よりもまず「奪い取らなければけっしてできないこと」なのだ。

 ところで親は「自分自身の子どもが、自分自身から他人に収奪されること」によって、「子どもというものは収奪されうるものである」ということに、そこではじめて気がつかされるのだが、そのまま反転して彼自身においても「他の大人たちと同様に収奪しうるもの」として、「子どもたち」なるものを見出すことができるのだということに、そこで同時に気がつかされることになる。つまり彼はそこではじめて、「自分もまた、子どもを収奪しうる立場にあること」をようやく知りうるところとなる。
 そしてそのように「子どもを収奪しうる立場」となったからには、「子ども」とはもはや親にとって「自分そのもの」などとはけっして見なしえないものとなっている。すでにそれは自分から切り離されていて、それ自体として存在する「もの」なのである。もはや彼にとって「彼の子ども」は自分の手足ではありえない。彼においても、彼以外の他人の大人においても、「子ども」なるものとはそのように、大人であれば同様に扱うことのできる「もの」なのである。
 そのように見出された「子ども」を、そこではじめて親は「自分たちの好きなように、自分のものとして扱うことができるようになる」のだ。彼自身の利益のために、彼自身にとって有用なものとして、彼はここでついに「子どもを所有することができるようになる」のである。
 ある意味で彼はそこでようやくはじめて、彼自身がこれまでも「自分自身のために子どもを働かせていたのだ」ということに気づくことになるだろう。子どもを働かせることは、自分自身が「利益を得るためだった」ということを、彼はこれまでを振り返ってそこではじめて認識することになるだろう。そしてそのような「方法」が自分にも可能であったということを、ここで知るに至ってようやくはじめて、彼はこれまでもその方法を自らのために、知らず知らず用いていたのだと気づくにいたるわけである。
 そこで彼は、「これ」をもっと自分自身にとって有用であるように扱いたい、と考えるようになるかもしれない。いつまでも自分のそばに置いて、自分と同じことをさせているばかりでは、現に得ている以上の利益などは、とてもではないが見込めまい。自分とは別なことを自分とは別なところに行かせて「これ」にやらせることで、こことは別なところから自分のための利益が得られるようになるというのなら、自分が現に得ているものよりもさらに高い利益を、こことは別なところからさらに多く獲得できるというのなら、自分にとってはその方が断然有益なことではないか。そしてそれが可能となる「もの」が、ここにはあるのだ。
 そこで、彼は一体どうするのか?
 彼は、彼の所有する「これ」を、他人に売るのである。「労働力という商品」として。
 商品は、売られなければ価値とはならない。そして商品は、自分から切り離して手放すのでなければ売ることはできないし、よってそこから何も得るものがない。利益とは常に「他人からもたらされるもの」なのである。だから彼は「これ=彼が所有する子ども」を商品として他人に売る。そしてここにおいてはじめて親は、「子どもから何か得るものを見出すことができる」のである。

〈つづく〉


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