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『五等分の花嫁』から考える人が何かを好きになる理由
よく少女漫画で、例をあげるならば『僕等がいた』で、マッキンゼー勤務高身長顔も性格も良い竹内ではなく、何故無頼漢の矢野なのか。つまり明らかにそっちと付き合った方が良いのにこっちの彼を選んでしまったのか問題。いや、結論から言えば、人が人を好きになるのに理由なんかいらねぇんだ。てやんでい。
『五等分の花嫁』はハーレムものであるけれども、まずもって主人公の目的は5つ子ちゃんの家庭教師として生計を維持する
映画『バブル』はコーヒーフロートじゃないか説
えー、ほぼ『バブル』の批判です。お好きな方、またお会いしましょう!僕の立場としては作画派というよりストーリー派です。もうなんか、これだけのクリエイターを集めながら「コーヒーが飲みたい人」「アイス食べたい人」の妥協点としてコーヒーフロートができたんじゃないかとか、東京オリンピック開会式第二幕かとか、まあそんなことを思うわけです。
まずもって、人魚姫という題材。
現代風に何かアレンジが入っていれば、
悪口の正体、そして茨城について。
『悪い言語哲学入門』の著者の方がアフターシックスジャンクションというラジオ番組で、悪口の定義について解説していた。悪口とはすなわち「ランク付け」だ。
相手が傷ついたかどうかを基準にすると、鈍感な人には何を言っても悪口にならないことになるけれど、んなこたぁない。たとえ相手が傷ついていなくても、悪口は悪口だ。
一見して、悪口と捉えにくいものもある。
「〇〇ちゃんは勉強できて良いね〜」
相手との関係
怪物は見られることを嫌う-『ナイトメア・アリー』
主人公のスタンは異形者が集まるカーニバルで読心術をマスターする。「自分には力があると勘違いするなよ」という警告を無視し、スタンは読心術を使って成り上がっていく。心理学者のリリス博士と出会い、さらに深みに…という感じの筋立て。
怪物は見られることを嫌う。フランケンシュタインがそうだし、オペラ座の怪人がそうだ。カーニバルにも獣人と呼ばれる怪物が見せ物になっている。鶏の生き血を飲む(カーニバル・祝祭だ
令和版かぐや姫が問うもの-『葬送のフリーレン』
『葬送のフリーレン』が電子書籍で無料だったので読んだ。2巻。高畑勲監督は『かぐや姫』において、昔話の無感情な登場人物たちの中に感情を入れた。かぐや姫がいかに故郷を愛し、周囲の善意が彼女を故郷から離し、当てつけに行ったことが罪を生み、無感情という罰が下るまでの話。『葬送のフリーレン』は、みんなが知っている冒険のフォーマットに、弔いという感情を入れた物語だ。
さて、フリーレンはエルフである。数千年の
同じ景色を見ているからと言って仲間だとは限らない-『パワー・オブ・ザ・ドッグ』
離れている恋人同士が月とか見てて連帯を確認するシーンがある。あれは、自分たち2人が通じ合っていることを確認するのと同じく、他の人にはこの景色は見えていないんじゃないか、というエゴイスティックな孤独がある。世界に唯一私たちだけだ、という感覚。
フィルは、(たぶん)やりたいことが残っていたけどモンタナ州の牧場をつぐことになった。粗野なナリをしていながら明らかに教養がある。(イェール大で古典を修めてい
最強の定義変更ー『呪術廻戦』
『呪術廻戦』はジャンルから言えばジョジョやHUNTER×HUNTERに近い、異能力バトルだ。登場人物が持つ能力は才能に由来していて、それぞれ相性がある。そうした場合、知略と組み合わせによって勝敗が決まる。
ただし、そもそも能力がずば抜けている場合はこの限りではない。五条先生は無下限の術式を持っていて、これはすなわち宇宙そのもの。攻撃は「アキレスと亀」の理屈によって五条先生に届かない。まあ、「有限
「お前にサンが救えるか?」についての考察ー『もののけ姫』
『もののけ姫』は『となりのトトロ』の前日譚だ。
タタラ(TATARA)
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トトロ(TOTORO)
タタラ場は、森を切り拓き、鉄を作る場所だった。森を殺し人間の領域を拡大する。主人公のアシタカは動機なく動く人物だが、彼には曇りなき眼で真実をみる役割がある。あ、動機なくって言うのは、アシタカは一応は自分の呪われた腕を何とかするために冒険に出るわけだけれども、そもそもその呪いは祟り神を退治したこと
リフはるろ剣でいうと天剣の宗次郎だ。ーウエストサイドストーリー
映画『ウエストサイドストーリー』は、白人の不良集団ジェッツと、プエルトリコ移民のシャークスとの抗争を描く。街は再開発のため建物がばんばん壊されていく。連帯すべきなのだ。本当は。彼らが守ろうとしている街は、消されようとしているのだから。
ジェッツは、何者にもなれなかった青年たちの連帯だ。白人保安官から白人の底辺と罵られ、プエルトリコ移民たちのように家族や故郷も持たない、ただ、「自分と同じやつ」の集
若者に言いたいことが多すぎる
今の子どもは大変だ。
英語をしゃべれない大人から「やはり4技能が大切!」とか言われ、ADSL時代からアップデートできていない大人から「これからの時代はプログラミング!」とか言われる。暑すぎである。あと、圧がありすぎである。
グローバル化と国際化は違う。人々の思考がある構造、端的に言うと言語によって規定されるとすれば、英語以外の考え方を学ぶにはそこの現地の言葉を学ぶしかない。これが国際化だ。そこに