リフはるろ剣でいうと天剣の宗次郎だ。ーウエストサイドストーリー

映画『ウエストサイドストーリー』は、白人の不良集団ジェッツと、プエルトリコ移民のシャークスとの抗争を描く。街は再開発のため建物がばんばん壊されていく。連帯すべきなのだ。本当は。彼らが守ろうとしている街は、消されようとしているのだから。

ジェッツは、何者にもなれなかった青年たちの連帯だ。白人保安官から白人の底辺と罵られ、プエルトリコ移民たちのように家族や故郷も持たない、ただ、「自分と同じやつ」の集まり。だからジェッツの現リーダーであるリフは元リーダーのトニーが更生して何者かになろうとしていることが理解できなかった。

んで、るろ剣の宗次郎。
彼は志々雄真実率いる10本刀で異質の存在だ。10本刀の下の方の連中はだいたい快楽戦闘狂で、一部「失ったモノを取り返そうとするアベンジャー」だった。上の方はみなアベンジャーだ。安慈は子ども達を、宇水は歪んだプライドを、そして志々雄は動乱を取り戻そうとしていた。

宗次郎は何者でもなかった。感情を殺した(抑圧した)から快楽戦闘狂ではない。大切にしていた失った過去もないからアベンジャーでもない。志々雄真実と緋村剣心という、まったく別の道を歩こうとする二人の先達がいただけだ。よって、宗次郎が中途半端に迷っている剣心の逆刃刀を折るのは必然である。剣心が悔恨の気持ちから不殺をうたっているうちは、未だ動乱の中にいる志々雄と同じフィールドなのであって、新しい世を創るために刀を振るわなければならなかったのだ。

というわけで、リフと宗次郎は何者でもなかった点が共通していて、宗次郎には先達がいたけどリフには先を歩む者がいなかった点が違っている。

トニーを雇ったドラッグストアの店主は、プエルトリコ系で、ジェッツの少年たちを小さな頃から見ている。けれども彼女はジェッツの少年たちの将来の先にいる人物ではない。審判でもある。リフを殺され怒り狂う少年たちがプエルトリコ系のアニータに性的暴行を加えようとするシーンがあるのだけども、審判たる店主はそれを止め、「お前たちがレイプ魔になるとはね…リフの面汚しが!」と激昂する。死者たるリフを代弁している。そんなことのためにリフは戦ったわけではない。

では、何のため?
プエルトリコ移民がいなくても、上流白人の再開発でやがてリフ達の居場所はなくなる。守るべき家族もない。いや、守るべき家族もない、からか?

宗次郎は剣心との最終決戦のとき、抑圧していた過去を思い出す。それまで自分が信じてきた道を、根底から揺るがす事実。自分をバラバラにする、自分とはまったく逆の存在。分からない。分からないからこそ、剣で見極めようとした。

リフにとってのシャークスもまた、自分とはまったく逆の存在だった。家族がいて、なんならアメリカンドリームを掴もうとする未来まである。その未来を、親友だったトニーは歩もうとしている。自分はどこだ?拳銃という過剰な防衛手段は凶行を生み、リフは何者でもないままに倒れる。

リフは宗次郎のように、旅に出るチャンスはあった。
トニーの悔恨をきいた時だ。たぶん、おそらく、ジェッツの仲間たちの存在が、それを邪魔した。リフが孤独であれば旅に出れたかもしれない。家族はいなくても、彼には仲間がいたのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?