シミー

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シミー

読書が好きで、読書会に参戦しています。文化系トピックに興味関心あります。記事では、読んだ本の紹介を中心に配信しています。よろしくお願いします。

最近の記事

『五等分の花嫁』から考える人が何かを好きになる理由

よく少女漫画で、例をあげるならば『僕等がいた』で、マッキンゼー勤務高身長顔も性格も良い竹内ではなく、何故無頼漢の矢野なのか。つまり明らかにそっちと付き合った方が良いのにこっちの彼を選んでしまったのか問題。いや、結論から言えば、人が人を好きになるのに理由なんかいらねぇんだ。てやんでい。 『五等分の花嫁』はハーレムものであるけれども、まずもって主人公の目的は5つ子ちゃんの家庭教師として生計を維持することにある。金銭を介してではあるけれども、彼女たちと関わらざるを得ない理由がある

    • 映画『バブル』はコーヒーフロートじゃないか説

      えー、ほぼ『バブル』の批判です。お好きな方、またお会いしましょう!僕の立場としては作画派というよりストーリー派です。もうなんか、これだけのクリエイターを集めながら「コーヒーが飲みたい人」「アイス食べたい人」の妥協点としてコーヒーフロートができたんじゃないかとか、東京オリンピック開会式第二幕かとか、まあそんなことを思うわけです。 まずもって、人魚姫という題材。 現代風に何かアレンジが入っていれば、たとえば王子側の事情とかあればまだしも、何もなく、ただ無批判に最初からお互いがお

      • 飲み会の隅の方で生まれる好きという感情のままならなさ-『街の上で』

        最大公約数の話題で盛り上がる飲み会が苦手だ。 喧騒と笑い声から外れた、飲み会の隅の方に、なんかこうもやもやっとした、人を好きになる感情がある気がしてならない。 リモート飲み会には隅がない。みんなフレームだ。 対面であることの、微妙な重力を持った空気感。 主人公の荒川青は恋人にフラれ傷心している。経営する下北沢の古着屋に来た女の子がちょっと俯いてなんかすると気になってしまう。そういう時期。目に見える異性がすべからく気になってしまう時期。そんな青のもとに、自主映画を作っている女

        • 悪口の正体、そして茨城について。

          『悪い言語哲学入門』の著者の方がアフターシックスジャンクションというラジオ番組で、悪口の定義について解説していた。悪口とはすなわち「ランク付け」だ。 相手が傷ついたかどうかを基準にすると、鈍感な人には何を言っても悪口にならないことになるけれど、んなこたぁない。たとえ相手が傷ついていなくても、悪口は悪口だ。 一見して、悪口と捉えにくいものもある。 「〇〇ちゃんは勉強できて良いね〜」 相手との関係性ができていて単なる褒め言葉なら良いが、これが「あんたは勉強できるけどブスだよね

        『五等分の花嫁』から考える人が何かを好きになる理由

          怪物は見られることを嫌う-『ナイトメア・アリー』

          主人公のスタンは異形者が集まるカーニバルで読心術をマスターする。「自分には力があると勘違いするなよ」という警告を無視し、スタンは読心術を使って成り上がっていく。心理学者のリリス博士と出会い、さらに深みに…という感じの筋立て。 怪物は見られることを嫌う。フランケンシュタインがそうだし、オペラ座の怪人がそうだ。カーニバルにも獣人と呼ばれる怪物が見せ物になっている。鶏の生き血を飲む(カーニバル・祝祭だ!)、人の領域を外れたモノ。スタンは獣人に同情を寄せるが、読心術によって見る側に

          怪物は見られることを嫌う-『ナイトメア・アリー』

          令和版かぐや姫が問うもの-『葬送のフリーレン』

          『葬送のフリーレン』が電子書籍で無料だったので読んだ。2巻。高畑勲監督は『かぐや姫』において、昔話の無感情な登場人物たちの中に感情を入れた。かぐや姫がいかに故郷を愛し、周囲の善意が彼女を故郷から離し、当てつけに行ったことが罪を生み、無感情という罰が下るまでの話。『葬送のフリーレン』は、みんなが知っている冒険のフォーマットに、弔いという感情を入れた物語だ。 さて、フリーレンはエルフである。数千年の寿命がある。よって、10年の冒険をともにし魔王を追討した仲間たちは先に老い、死ん

          令和版かぐや姫が問うもの-『葬送のフリーレン』

          俺は部品だ。

          『呪術廻戦』で主人公の虎杖が言う。「俺は部品だ」 一見して、主体性のない、気力も面白味もない言葉に見える。ただし。ただし、独りでできることってどれだけあるだろう? これまた漫画であるが、『Dr.STONE』は少年科学冒険ロマンである。科学の本質は再現性にある。同じ手順でそれをこなせば、男子であろうが女子であろうが、同じ結果が出せる。想いは引き継がれる。巨人の肩にのる。大きなモノの一部であることを自覚した時、人としてのステージがたぶん一個上がる。 協業。 確かに、人類の認

          俺は部品だ。

          同じ景色を見ているからと言って仲間だとは限らない-『パワー・オブ・ザ・ドッグ』

          離れている恋人同士が月とか見てて連帯を確認するシーンがある。あれは、自分たち2人が通じ合っていることを確認するのと同じく、他の人にはこの景色は見えていないんじゃないか、というエゴイスティックな孤独がある。世界に唯一私たちだけだ、という感覚。 フィルは、(たぶん)やりたいことが残っていたけどモンタナ州の牧場をつぐことになった。粗野なナリをしていながら明らかに教養がある。(イェール大で古典を修めている)。リチャード3世の子孫だというカンヴァーバッチの佇まいとマッチしている。

          同じ景色を見ているからと言って仲間だとは限らない-『パワー・オブ・ザ・ドッグ』

          ナンセンスを笑うセンス

          お笑いのベーシックなものは、常識や日常からの逸脱と帰還だ。ボケ役が勇気を持って常識から逸脱する。ツッコミが愛をもって日常に帰す。この落差に人は笑うのであって、逸脱がすぎるとついていけないし、帰還があまりに常識にすぎるとしらける。 ノンスタイルなどは、石田のボケ方が多少過剰であり、井上は常識的なツッコミに終始するのだけれども、井上がイケメンっぽい雰囲気をかもすブサメン的キャラをとることにより、石田にもツッコミの余地を残し、常識的すぎてシラケるような事態を回避している。 Yo

          ナンセンスを笑うセンス

          正直なところ、希望がある時が一番きついかもしれないー米澤穂信『黒牢城』

          本作は信長に包囲された有岡城(クローズドサークル!)の城主・荒木村重と、地下に幽閉された天才・黒田官兵衛との心理戦である。 構図としては安楽椅子探偵であり、この場合は探偵に的確な情報を持ってくるワトソン役が重要だ。荒木村重は決して愚将ではない。堅固な城が破られる時は、籠る側の心が崩れた時であることを知っている。城内に漂う不安は一掃しなければならない。事件解決のための動機があり、能力も申し分ない。 方や官兵衛の側は、ハンニバル・レクター系の快楽殺人鬼でもない限り、村重に協力

          正直なところ、希望がある時が一番きついかもしれないー米澤穂信『黒牢城』

          最強の定義変更ー『呪術廻戦』

          『呪術廻戦』はジャンルから言えばジョジョやHUNTER×HUNTERに近い、異能力バトルだ。登場人物が持つ能力は才能に由来していて、それぞれ相性がある。そうした場合、知略と組み合わせによって勝敗が決まる。 ただし、そもそも能力がずば抜けている場合はこの限りではない。五条先生は無下限の術式を持っていて、これはすなわち宇宙そのもの。攻撃は「アキレスと亀」の理屈によって五条先生に届かない。まあ、「有限は無限に分割できる」って話なら、つまり有限のヒモって永久に分割していけるよねって

          最強の定義変更ー『呪術廻戦』

          「お前にサンが救えるか?」についての考察ー『もののけ姫』

          『もののけ姫』は『となりのトトロ』の前日譚だ。 タタラ(TATARA) ↓ トトロ(TOTORO) タタラ場は、森を切り拓き、鉄を作る場所だった。森を殺し人間の領域を拡大する。主人公のアシタカは動機なく動く人物だが、彼には曇りなき眼で真実をみる役割がある。あ、動機なくって言うのは、アシタカは一応は自分の呪われた腕を何とかするために冒険に出るわけだけれども、そもそもその呪いは祟り神を退治したことによる因果であって、彼自身もその運命を受け入れている。だから腕を何とかしようって

          「お前にサンが救えるか?」についての考察ー『もののけ姫』

          リフはるろ剣でいうと天剣の宗次郎だ。ーウエストサイドストーリー

          映画『ウエストサイドストーリー』は、白人の不良集団ジェッツと、プエルトリコ移民のシャークスとの抗争を描く。街は再開発のため建物がばんばん壊されていく。連帯すべきなのだ。本当は。彼らが守ろうとしている街は、消されようとしているのだから。 ジェッツは、何者にもなれなかった青年たちの連帯だ。白人保安官から白人の底辺と罵られ、プエルトリコ移民たちのように家族や故郷も持たない、ただ、「自分と同じやつ」の集まり。だからジェッツの現リーダーであるリフは元リーダーのトニーが更生して何者かに

          リフはるろ剣でいうと天剣の宗次郎だ。ーウエストサイドストーリー

          塞王の楯

          石垣積みの職人の物語なのだが、石垣にこんなに多様なギミックがあるとは思わなかった。石垣のライバルである、鉄砲の技術は進化していき、大砲に近い威力で桁違いに早い連写ができる怪物が生まれていた。主人公である穴太衆のお頭・匡介は、平和な世の実現の礎になるため、関ヶ原前夜の大津城での籠城戦に挑む。 物語を盛り上げるのは二項対立と、その矛盾が激突し合うなかで生まれる昇華にある。鉄砲を作るは、砲仙とも言われる稀代の天才、国友衆を率いる彦九郎。鉄砲は純粋な殺傷のための道具であるが、彼らは

          塞王の楯

          リメンバー・ミー!

          メキシコの人にとってのファミリアは、死者をも含む。祭壇に飾られないことがいかに孤独であるか。 道徳は後から来る問題。つまり、家族を、ファミリアを捨てて大成功したら「大切なファミリアを捨ててまで芸術に身を捧げた」と評される一方で、成功しなかったら「大切なファミリアを捨てたクソ野郎」で終わりだ。道徳は常に後からやってくる。 主人公のミゲルのひいひいお爺ちゃんは、いわゆるファミリアを捨てたクソ野郎だった。何者にもなれなかったし、したがって祭壇に飾られることもなかった。ミゲルのファ

          リメンバー・ミー!

          若者に言いたいことが多すぎる

          今の子どもは大変だ。 英語をしゃべれない大人から「やはり4技能が大切!」とか言われ、ADSL時代からアップデートできていない大人から「これからの時代はプログラミング!」とか言われる。暑すぎである。あと、圧がありすぎである。 グローバル化と国際化は違う。人々の思考がある構造、端的に言うと言語によって規定されるとすれば、英語以外の考え方を学ぶにはそこの現地の言葉を学ぶしかない。これが国際化だ。そこにいる人を、まさにその人を、理解しようとする営み。グローバル化は逆に、世界を1つの

          若者に言いたいことが多すぎる