『五等分の花嫁』から考える人が何かを好きになる理由

よく少女漫画で、例をあげるならば『僕等がいた』で、マッキンゼー勤務高身長顔も性格も良い竹内ではなく、何故無頼漢の矢野なのか。つまり明らかにそっちと付き合った方が良いのにこっちの彼を選んでしまったのか問題。いや、結論から言えば、人が人を好きになるのに理由なんかいらねぇんだ。てやんでい。

『五等分の花嫁』はハーレムものであるけれども、まずもって主人公の目的は5つ子ちゃんの家庭教師として生計を維持することにある。金銭を介してではあるけれども、彼女たちと関わらざるを得ない理由がある。主人公の風太郎自身は勉強パーフェクトにできるのだけれども、他人を見下し孤立しがちだ。よって、ハーレムものにありがちな主人公がモブ的立ち位置で成長しない話と違って、主人公もまた彼女たちとの関係を通じて成長する余地がある。

彼女たちの方は、5つ子だ。血縁。それはどんなに性格が違い、考え方が違くとも、「違うけど一緒」の関係性だ。それぞれがそれぞれに、風太郎を好きになっていく過程があるのだけれども、家族である他の姉妹との関係が強く、他作品のハーレムもののように、簡単に友人関係を切断するように、家族を切ることはできない。従来、ハーレムものは主人公好きだけどライバルがいてハーレムにする以上女の子同士の関係性はなよっとぼかすしかなかった。もしくは『School Days』のように振り切って血祭にするしかなかった。5つ子ちゃんたちの、風太郎との、そして何より大切な家族との折り合いの付け方も見どころになっている。

繰り返すけど、人は人を好きになるのに理由なんていらねぇんだ。べらぼうめ。

とはいえ、本作は、それは風太郎のこと好きになるかもなぁという機微にあふれている。冒頭の少しの部分だけふれると、三女の三玖。彼女は戦国武将好きであるが、そのことを他人に言えない。周りはイケメン好きなのに、要は好きなものにちゃんと理由があるのに、自分が好きなのはひげのおじさん…。繰り返すが、(略

三玖の好きなものに気づいた風太郎は、はじめは勉強に活かそうという打算もあり、話をあわせる。その過程で、三玖の戦国武将好きの深さが、自分の知識量を上回っていることを悟る。失望する三玖。せっかく同志を見つけたと思ったのに。

とここで、風太郎は諦めない。戦国武将を勉強する。三玖と同じ深さまで、潜っていく。潜っていく中で、三玖の心情の読めなさの、確信に近づいていく。そして彼のある言葉が、彼女の認識を変える。世界を変える。風太郎は勉強という孤独な努力によって自信をつけたが、それは他人との競争ではなかった。だからこそかけられた言葉に、重みがある。その上で、三玖の好きなものを、ひいては三玖自身を、全肯定する。

人が人を好きになるのに理由はないが、タイミングというものはある。その時その場にいたとして、どう人と関わるか。だ。

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