見出し画像

まるでミヒャエル・ハネケ

時に、音を遠ざけた生活を送る。
 
私は眠るとき、必ず耳栓をつける。朝目覚めて、何だか現実に億劫になった時、耳栓を外さずに一日を過ごしてみる。
 
すると当然、日常に潜む全ての音が遠くなる。豆を挽く音、トーストが焼きあがる音、食器のカチカチ音、洗い場で水が流れていく音。洗面所で顔を洗う時の音が特にお気に入りだ。
 
なんだか自分の日常を画面越しの映画のように感じる。矛盾するようだが、遮音した音の方が粒立って聞えてくる。まるでミヒャエル・ハネケの映画のように。
 
外に出てみると危険が多い。となると、視覚の情報が際立つ。街の雑踏がうるさくない。でも一人一人の人間の行動が細かに目に止まる。少し混乱してくる。
 
苦手な同僚と話をする。冷静な思考を保てる。自分の心音を観察する。好きな同僚と話をする。遠い言葉を耳の深くで反芻する。自分が日常の中で求めているものが何か、知ることになる。
 
聞きたい音も聞きたくない音も平等に聞こえてくる。何もかも公平に心に届く。段々不安になってくる。耳に違和感を感じ始める。心がムズムズする。耳栓を外す。
 
すると、何もかもがクリアになっている。私の五感も、日常の風景も、思考も、現実の輪郭も。そしていつも通り日常を過ごす。
 
近くに感じたいから遠ざける。何かを本当に失いたくないから、せめて自分から少しだけ。現実逃避は、現実を失わないために、時に必要だと私は思ってる。
 
逃げて大丈夫。
今日もぬくぬく眠る。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?