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遠い記憶

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記事一覧

遠い記憶[趣味編]スキー⛷️

遠い記憶[趣味編]スキー⛷️

あんまり暑いから,話題くらいは涼しい話にしようと思います💦

これを読んでいただく人の何人が『私をスキーに連れてって』を
見たことだろう。
そして、実際に志賀高原や万座温泉に出かけたかな。
もしかして『何?それ⁈』って言われているかもしれない。
映画を観たのは、スキーを始めてからずいぶん後(それもTVで)に
なるけれど,スキー場を駆け降りた車と偶然同じシリーズの車
(でもFF車)に乗っていたので

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遠い記憶[セミの声と夏の空]

遠い記憶[セミの声と夏の空]

毎日ジメジメ暑い日が続きます
でも,天気予報では、この地域は、来週くらいに梅雨が明ける
だろうとのこと。

暑さ本番を迎えます。

良いか悪いか,先週,最高気温の記録更新日を、自宅で過ごす
経験をしたおかげで,「明日の最高気温30℃」と言われても,
涼しく感じるようになりました。人間慣れると強いですね。

これを書いている今も,部屋の窓から入る風と,扇風機の弱風
だけ(エアコンなし)で汗もかきませ

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遠い記憶[趣味編]自転車〜冒険🚴〜遠征

遠い記憶[趣味編]自転車〜冒険🚴〜遠征

自転車に乗り始めたのは小学校二年か三年生。

最初学校で何日か練習させてくれて,テストがあって合格すると、
親と一緒、自宅近隣,一人の時は主として公園、で乗ることを許可された。

次の学年でも検定試験があって、当時自分達は“自転車免許“とか
言っていたが、合格すると公道フリーの合格証(免許証)がもらえた。
自転車に乗る時は必携であるのは,車と同じだ

各々一発合格したので、四年生には公道で走れてい

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遠い記憶[趣味編]〜釣り🐟fishing〜

遠い記憶[趣味編]〜釣り🐟fishing〜

久しぶりに『記憶』シリーズ。
思ってた以上に長編になりました(2900文字‼︎)

年齢,世代を追いかけてきたけれど社会人にもなったので、これからは、
テーマ別に記憶を振り返ってみようかと思う
今回は、趣味編の一。釣り🎣

自分が趣味と自覚した最初のこと
始めたきっかけは父親。よく連れて行ってくれた。自宅から1kmほどの
お堀(お城公園の周囲を囲む)には週に何回となく出かけた。

父は自営だった

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花粉症

花粉症

まさか自分の記事の見出しにこの写真を使う時が来ようとは。。

自分が花粉症になったのは高校3年生の受験の時,まだアレルギー性鼻炎などと言う言葉すらない頃からなので40年以上のお付き合い…最初の時の事はしっかり覚えている。鼻はダラダラ鼻の頭は真っ赤,目は充血して瞼も腫れていそうな感じ…そんな状態で、実家に近い病院(記憶では「国立病院」と呼ばれていたはず)に診療に出向いた。

まず最初に眼科『“結膜炎

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遠い記憶〜その九〜(社会人デビュー)

遠い記憶〜その九〜(社会人デビュー)

この表題で書こうとして手が止まって,随分と経ってしまった。と言うのも
同じような話を前にも飼いたような気がしたので重複もやだなあとか思って。
振り返ってみたら、次男くんの内定が発端の投稿だった。

その次男くんは、ただいま新人研修中

今回は自分の昔話。新人の思い出

大学を単位ギリギリ,『何年かに一度の奇跡』と先輩・後輩に揶揄🤣されながらも、4年で卒業,とある中堅企業に就職。地元に事業所があっ

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遠い記憶 〜その十〜

遠い記憶 〜その十〜

前回の続きで社会人デビュー当時をもう少し振り返ろうと思う。

壱、今では想像を絶する当時の会社の様子。

・喫煙者の多い事,事務所内でタバコが吸えた事。さらに自席に灰皿を置いても良かった事。
今見たらすぐに逃げ出すような環境。そこに一日中いて仕事するのだから、体に良いわけがない。入社してしばらくはそんな状態だったが,ある時他の事務所で,タバコの煙でスプリンクラーが誤作動して大騒ぎになり、その後,自

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遠い記憶〜その八(祭)~

遠い記憶〜その八(祭)~

前回途中でストーリーを変えたので表紙の写真は継続です。
その七で書いたように,何かに導かれるようにして入った大学祭の実行委員会、もう一度よく考えるとそこに至るまでの付箋が見えて来るような

 元々小さい頃からお祭りが好き❤️花火がだーい好き🎆、市内の大きな花火大会は必ず連れて行ってもらったし(両親の実家の近所で開催)自宅近所の神社⛩️の祭りも高校生くらいまで出かけた。付き合う相手がいなければ一人

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遠い記憶 〜その七『ことば』編〜

遠い記憶 〜その七『ことば』編〜

前編で書いたように高一からの経験が、その後数年間の自分の性格が暗くなるきっかけだった。部活という狭い世界がかろうじて、昔ながらの明るさを保てたのかもしれない。卒業後も一年間の浪人生活はその性格は変わらなかった。バイトもさせてもらえず世界は広がらず。

そんな時間が流れた後、なんとか入学できた中京地区の某大学。当時は名前すら聞いたことがなかったが、最近は(自分達が卒業後)いつの間にか人気が出た様子で

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遠い記憶ーその六ー(のおまけ)

遠い記憶ーその六ー(のおまけ)

〜前編からの続き〜

自分は、親との約束『高校合格したらアマチュア無線やっていい』を掲げ、晴れて個人で開局、と同時にアマチュア無線部に入部した。よって3年間は存分にアマチュア無線を楽しんだ。国内はもとよりが海外の声も聞こえてくるのだから、楽しくない訳がない。更に、一年生の後半に電信(モールス信号)を扱う免許も取ったので,出力が弱い自局でも交信範囲が広がって、さらに病みつきに。勉強できないくせに将来

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遠い記憶ーその六ー

遠い記憶ーその六ー

前回,「次回は高校編」と宣言したので高校3年間について書こう
長くなりそうなので二編に分ける事にしました。

正直言って,自分にとっての高校時代は性格を悪く暗くした唯一の期間。多分、親も心配したと思う。いつだったか『顔つきが悪くなった』と言われたのも覚えている。

今思うとそれにはいくつかの理由がある。

自分が進学した先はそれなりの進学校で、周りの同級生も賢かった。という自分は,中学の進学指導で

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遠い記憶ーその五ー

遠い記憶ーその五ー

中学時代の思い出を書き出してみよう
その四でも書いたが,中学に入り、イハラくんに誘われ卓球部に入部した

部活ならたくさん卓球🏓ができて楽しいだろうと思っていたが甘かった。まず台の数が少なくて、場所も制限(廊下階段の踊り場)されているので,一年の時はほとんど打たせてもらえない。よって、身体作りに終始。しかもスパルタ❗️当時の部活なんて根性論が大手を振っている時代だから凄まじかった。とても卓球部の

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遠い記憶 =そのヨン=

遠い記憶 =そのヨン=

前編『...その三...』からの続き

四年生の時は、イイダ先生。
一年担任のエンドウ先生と二〜三年担当の三善先生の中間くらいの世代。この先生は、普段はとても静かな先生という印象しかない。四年生というと、自分が活発に動き出した歳頃、故に遊びの記憶が多くて、先生の事、忘れていたかも。

五年と六年生の時は、榎田先生
それまでの中でいちばん年齢は上だと思うが、剣道の高段者で他の若い先生から、尊敬・あこ

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遠い記憶…その三…

遠い記憶…その三…

今回は小学校の低学年の記憶。写真のように低学年時は、校舎木造だった。なので時々ワックス掛けとかもやったし、普段は箒で掃き掃除🧹の後,雑巾で水拭きをした。漫画みたいだが,廊下の端から端まで雑巾掛け競走をして遊んだりもした。この年代男子も女子もない歳なので,妙に女子軍が強かったのが記憶にある😖

 一年の時はエンドウ先生と言って若い体育会系の女性の先生で、よく怒られたから怖い😱イメージが強い。た

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