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遠い記憶[趣味編]スキー⛷️

あんまり暑いから,話題くらいは涼しい話にしようと思います💦


これを読んでいただく人の何人が『私をスキーに連れてって』を
見たことだろう。
そして、実際に志賀高原や万座温泉に出かけたかな。
もしかして『何?それ⁈』って言われているかもしれない。
映画を観たのは、スキーを始めてからずいぶん後(それもTVで)に
なるけれど,スキー場を駆け降りた車と偶然同じシリーズの車
(でもFF車)に乗っていたのでとても記憶にある
原田知世がバキューンって打つと向こうで転けるんだな😃

スキーを始めたのは大学2年。
当時、在籍した大学祭の実行委員会は冬は唯一オフシーズン。
なので、先輩の多くはスキーを好んだし,年に一度はツアーを
主催し、関係女子大の面々と遊びに出かけた。(企画作りは
お手のもの)最初は少し引いていたけど、先輩のお古の板と
ブーツを譲ってもらえることになった辺りから,ハマりだす。
3年4年の頃は同期の仲間と岐阜の山へ何度も出かけ、
ボーゲンはすぐに卒業した。

辛いのは生活費。何人かで行くにしても、交通費やリフト券,
昼飯代と、貧乏学生には高額だった。なので、秋に貯めた貯金は
使い果たし、2月も後半になると、日々の生活がやばい状況だった。
時には同居人にたかり凌いでいたのを思い出す。


そんな訳で本格化したのは社会人になってから。
長野の南端,蓼科辺りから,乗鞍高原、八方方面がメインゲレンデ。
何故か、年に一回は必ず志賀高原まで遠征した。
最初の頃はオリンピック前で道路事情は今ほど良くない。志賀高原
に行く時は,22時前に出発して、交代交代で夜通し走った。

そう言えば,会社に入って即買いした前述の車は、FF車で雪に弱い
ことを痛感(何回スピンしたことか。でも一度も凹ませてない👍)
して,4年で手放す。でバリバリの四躯RV車を購入。この車は
良かったあ。ショートボディの為、子供が産まれて手狭になり手放し
たが今でも乗りたい❣️ 要はスキーのためにこの車を選んだのだが,
その後、3代目まで同じ理由で四駆RV車を乗り続けた🚙🚗。
妻さんも反対せず!まぁ⛷️滑るからねぇ。お陰で子供達は小学生
低学年から連れ回された結果、今でもスキー派。ボーダーの友人
達と、同行してもスキーで通している様子)

オリンピック前でも、八方は夜明け前には到着できて、仮眠が
取れた。時には日帰りで八方まで往復したこともある。
若くて元気で、無謀だったなあ。
お陰で自己流だけど大方のコースは全部滑った。残念ながら,
遊びの域なのでコブコブのモーグル斜面は体力がもたなかったが。

そうそう当時,夜中に『スキーなう』とかいう番組があって,新雪
❄️をかっこよく滑るもんだから,無茶が好きな自分たちも新雪を
見つけては突っ込んで行った❣️今のように、滑走禁止エリアにまで
は入り込むことなく,せいぜいコースのショートカットくらい。
それを思うと今の人達は,バックカントリーまで入って行くって
聞いたから,すごいなぁと感心する。
 我が長男もその口なので『死んでも帰って来れるよう最低限の
 装備(探索用の発信機とかの意味)は持てよ』ってアドバイス
 したら、『判ってる,ガイドが一緒の時しか裏には入らないから』
 と返された😔そういう話じゃあないだろうに。。

八方と岩岳には常宿が出来て行く度によくしてもらった・・・
ワインをもらった八方のペンションはまだやってるかな,
岩岳でもらった野沢菜の漬物のバター炒めは絶品で,もらった
どぶろく一升を三人で空にした時は呆れられたっけ。(半分は酒豪の
女性が一人で開けたから!)

会社に入ってお金もそこそこ使えるようになると遠征先の距離も
伸びて行った。東北,北海道。

安比高原に年末年始で行った時は雪が少なくて,❄️風に飛ばされ
地面が見えている状態。滑るのを諦めて、南部鉄瓶の展示場で、
わんこ蕎麦食べて時間潰ししたり。(でもツアー代の返金は無し)

北海道に遠征した時は,現地の空港に到着してから着陸まで30分
以上、上空待機という飛行機のトラブルも。(車輪が出たランプが
点灯しない⁉️)結果的には何事もなく済んだが、一番焦った

さらには,カナダ,ウィスラーにも遠征❗️
広いスキー場は3日では滑りきれず、隣接するブラッコム踏み
入れることすらできず。後日のリベンジにつながった。
この頃には、仕事で海外出張も何回か経験していて,いい気に
なっていたと思う。喋れない英語を駆使して,ゴンドラに同乗した
人たちとおしゃべりしたのは楽しかった❣️

妻さんと知り合ってからも、何度も一緒に出かけてる。
二人で近場に出かけたり、友人誘って遠征したり。
うーん若かったなあ❣️
蔵王に出かけたのは,結婚した年で、従姉妹の家に押しかけて,
泊まらせてもらったり。

妻さんの凄い所は、38度近くの熱出しながら、飛行機乗って
カナダまでスキーに出かけたこと。止めようと諭しても受け
入れられず。熱が下がったのは現地に着いた頃,なので
1日目はふらふらの状態で滑っていた。今でも頭が下がる。

この時も,飛行機でトラブル。バンクーバーについた上空で,
『飛行場で火災があり,着陸許可が出ないので隣の飛行場に行く』
とのアナウンス。おいおい、その先はどうなるの???
すっちーさん捕まえて尋ねたら『チャーターバスでバンクーバー
まで戻る』との話???
・・これはスキー場に着けるのはいつになることやら。どうにでも
してくれ〜と諦めモードに。。
でも、結局は、隣の飛行場に降りることなく,またUターンして
バンクーバーに戻ってくれて事なきを得た❣️良かった〜

この時のスキー場が先に行ったウィスラーの隣のブラッコムスキー場
負けず劣らず広く,こちらの方が放ったらかしのコースが多かった
気がする。やはりカナダのスキーは最高❣️とにかく広い,コースの
制限が弱くて、全て自己責任。(ってコース途中に書いてある)
突然木々の間から飛び出してくるボーダーも珍しくなかった。どこ
滑ってきたらここへ出てこられるの⁉️ってな感じ

会社の人と,妻さんと、トータル6日間滑ったが,雪に降られた
のは1日だけだったから,自分は晴れ男かな👍

その後は子供が産まれ,妻さんは一時期スキーから遠ざかったが
子供の成長と共にファミリースキーに行くことは何度もあった。
当時は蓼科に会社の保養所があったので,たくさん使わせて
もらった。
特に長男は覚えが早くて,低学年ではボーゲン直滑降していたが、
そのうちに曲がれるようになり、林間コースでは目が離せず、
追っかけるのも一苦労だった。(子供は止まることを知らない
から)そんなだから,中学校のスキー遠足では鼻高さんだったと
自慢してた。大学もスキーできる地域で選んだと、あとで聞いた
時は,妙に納得した。『やっぱりね❣️』

逆に次男の方は,小さい頃から寒い思いをしたせいか,好きには、
なれなかったようだ。水泳教室でも寒いのが苦手そうだったし。
今はどうなんだろう,とふと思う。弟は辛いなぁ😭


最後にスキーに行ったのはいつだろう。3代目の車はそんなに車高が
高くないものの、一応4躯。でもスタッドレスタイヤを買わなかった
ので一抹の不安もあり、行く機会も減った。
あんなに行こう行こうと騒いだ妻さんも,興味が冷めたと全く乗り気
なく。そんなんで自然消滅してしまった。


そもそも自分がジョギング🏃を始めたのは,
『いつスキーに誘われてもその時は存分に楽しめるように
足腰だけは鍛えておこう』と思ったことに始まる。
いつの間にか、目的がすり替わって行ったみたいだ。
まぁそれも時の流れと受け止めよう。

最後の最後に買ったブーツは,結局3日くらいしか履かずに
リサイクルショップへ出した。

後くされ無し。満足したスキーでした‼️
🤗


最後までお付き合い⛷️ありがとうございました

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