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#ヤングケアラー
伺って得て 失って痛くて、 囚われて
「子供は、何があっても親を愛するものだよ」という言葉は、呪いであり救いであると思っている。”子供”という言葉が、年齢を指すのか関係を指すのか、”愛する”という言葉が温かいものなのか冷たいものなのか、それによって変わるのだけれど。
そんなことを考えていたら、また文章が綴れない気がして、早く言葉を紡ぐことにした。数分前に、[完成しない下書き]が また1つ増えたので焦りながら。精一杯で話すから、聞いて
怒りは鋭く痛むということ
その感情を知ったこと
19歳で精神科に入院するまで、私には"怒り"という感情が少なかった。人並みに苛立つことはあったけれど、生きてきた環境に対しての怒りを抑えていた。
19歳。精神科に入院して沢山の手続きをした。生育歴を書く書類。入院を続けるために休むために1人で向き合う過去。そうして初めて、生かされてきた道のことを振り返った。手続きが終わる頃、私の中の怒りに気がついた。
19歳で気づけたの
多分、 私はもう戻れない。
多分、私はもう戻れない。
そのことは随分前から気づいていたし、知っていた。
見ないふりをする訳でもなく、ただ、そんな私と一緒にいることにしていた。
この生き方を望んでは無かった。
いつだって、誰にでも優しくて 丁寧で気が利いて、 ”素直な Senaちゃん” を求められていた。私の生きる術は、”素直” と "優しさ" を両立して演じることで、親が関わる全ての場所は舞台で、主役は私だった。
主役
慣れるしかなかったことを笑う、 私と君へ。
帰りの電車が遅延していた。左右に目を動かして早く帰る方法を考えるけど、言葉を読み上げるだけの機械になったようで何も考えられない。体力ゲージも少ない。駅の端っこにいき人混みを避ける。深呼吸して左耳のイヤホンを外す。こんな時は音から逃げることが出来ない。雑音の中からアナウンスを聞いて、頭の中に組み立てる。大丈夫、いつもと同じように冷静に。
電車に乗ってからも、アナウンスを聞いて確認する。大丈夫、いつ
プロットのない人生を送るということ。
4月の末にライティングの案件をいただいて、ショートストーリを書くようになり、”プロット” に沿って書くということを覚えた。
今までは、小説を書くときもnoteを書く時も、頭の中に全てがあって(今思うとそれがプロットなのだけど) 書き出すということをしていなかった私にとって、”プロット”に沿って書く”ということは、とても新鮮で 同時に、それが実はとても楽なのだということに気がついた。
それでも私は
私と理解者さんの、優しくて痛いお話。
昨年、私は理解者さんに出会った。
人生で初めての経験だったと思う。
とても優しくて、今となっては痛い、そんなお話。
今でも私は、ずっと待っているのかもしれない。
そんな短くて濃厚な時間の話を、書いてみようと思いました。
ずっと言ったらダメな気がしてたけど、時効だと思うのです。
(少し長文です… 3,300文字程度)
初めてのグループホーム見学で、死を決意した話。
”生きてていいのか不安になった” という感情に向き合ったこと
急に不安になったという話
自転車に乗って買い物に出かけた時、ふいに「私は生きてていいのかな…。」って不安になりました。どうしてか分からないけど、定期的に襲ってくる負の感情。特に辛い出来事があったわけでも落ち込んでいるわけでもないのに。
だからこそ、この感情に向き合ってみようと思いました。
そろそろちゃんと考えたいなと思いました。上手くいえないけど、今 そういう時期なのだろうと。
生きてていい
「もったいない」って それ、誰のため?
過去の話をした。
どうやって乗り越えてきたか、どうやって立ち上がったか、どんな幼少期だったか、どんな風に福祉サービスを利用してきて、何を自分でしてきたか、どんなお仕事をしてきたか。
「大変でしたね 頑張ってきたんですね」と言ってもらって・・・
最後に言われたのは
「もったいないね〜」「そんなに経験してきて、こんなに色々出来るのに」
「これからは生かせたらいいね」という言葉。
今まで何回も何回