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”生きてていいのか不安になった” という感情に向き合ったこと

急に不安になったという話

自転車に乗って買い物に出かけた時、ふいに「私は生きてていいのかな…。」って不安になりました。どうしてか分からないけど、定期的に襲ってくる負の感情。特に辛い出来事があったわけでも落ち込んでいるわけでもないのに。
だからこそ、この感情に向き合ってみようと思いました。

(そうだよね生きるのって辛いね)とか(生きていたくなんて無いよね)(生きてる価値ないよね)と自分に言い聞かせて流すのは 私にとって習慣だった。
「生きてていいんだよ」って言ってもらえる その言葉は、本当に優しいものだけど、私は分からなかった。そうだとしたって苦しいんだよね って思ってしまうから 深く考えるのを止めた。

そろそろちゃんと考えたいなと思いました。上手くいえないけど、今 そういう時期なのだろうと。


生きてていいのか不安 という言葉の意味

いくつか種類があると思う。
例えば、
・私が生きてることで迷惑をかけてる気がするの。それを考えると辛いから私は生きていない方がいいと思う。生きてていいって思えない、不安。
・こんな過去を背負って、今もずっと辛いままで苦しくて、生きていけるのかな。本当に生きてていいんだろうか、不安。

私がもつ この感情は、明確に区別することが出来なくて、だから別の方向から考えてみました。

何が出来れば、何があれば、その不安は薄くなるのだろう?

金銭的に生活が安定して、障害年金や生活保護みたいな福祉を使うことが無くなれば。きちんと仕事が出来ていれば。過去の記憶が薄くなってトラウマが無くなれば。不眠症が治って、フラッシュバックが無くなって、心を安定させる薬も要らなくなって、病んでいる私じゃなくなれば。

そうすれば、迷惑をかけていると思うことは減るのかも、不全感は減っていくのかも、生きてていいって思えるのかも。生きてていいのか不安になって、抱えきれない感情に潰されることなんて、無くなるのかも。

そうやって色々考えて。
・・・そんなの どれも 難しいことばかりじゃないか。って思った。

もっと言うなら、
"この感情を持ってしまう 私 ” が嫌いだと思った。
「つべこべ言わずに生きろよ!死ねなくて、どうせ生きるんなら黙ってろよ。」と、私に言いたくなった。「生きていたくないから、生きてていいか分からない なんて言うんだろ!」と。

「あれ?そういえば…」という時を重ねて

今もずっと、”生きてていたくない理由を 淡々と言う私” と "黙って生きなよ と言う私" は我慢比べをしている。そこに時々 "「今が楽しいな嬉しいな るんるん♪♪」という私" が通りかかるものだから、私の中の世界は、なかなかに大変なのかもしれない。 苛立ちもするのだろう。

私は、この感情が消えることは無いと思っています。消えることに期待してない。でも「そういえば最近 あの不安感が減ったかも」みたいに、薄くなっていけばいいなと思う。期待するのはいつだって辛いことだから。

過去を消すことは出来ないし、頑張って無理をし続けることも 私にはもう出来ない。ただ楽しいことを出来るように、そのためにだけ、もう少し生きてみよう。不安で当たり前だと思うから、それでいいんだよ、きっと。

Sena.


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