怒りは鋭く痛むということ
その感情を知ったこと
19歳で精神科に入院するまで、私には"怒り"という感情が少なかった。人並みに苛立つことはあったけれど、生きてきた環境に対しての怒りを抑えていた。
19歳。精神科に入院して沢山の手続きをした。生育歴を書く書類。入院を続けるために休むために1人で向き合う過去。そうして初めて、生かされてきた道のことを振り返った。手続きが終わる頃、私の中の怒りに気がついた。
19歳で気づけたのなら、精神科に入院しているのなら なんとか出来たのだろうと、一般的にはそう思うのかもしれない。私もそう思った。助けを求めた。でも実際には、そう上手く行かず、誰も私に対処方法を教えられなかったし、私は扱いきれない その感情を心の奥深くにしまった。
今でも。気づかなければ良かったのにと思う。喜びの感情がぼやけたままに、怒りの感情が出ないほうが楽だったのかもしれない。感情の全てに薄い膜があるほうが苦しくなかったなと。
また、その感情
数年前、いろんなことがあって、その感情を思い出した。噴火するかのように湧き上がって、目の前の状況に対する怒りと混ざりあって、たぶん私は間違えた。正当性を持って傷つけたくない人を傷つけたし、やりすぎた痛みに自分をも傷つけたようだった。それを愉快に感じた。
1ヶ月ほどが経過して落ち着いた後、もう二度とこんなことはしないと私に言い聞かせた。抑圧してしまい込んだ怒りを出すことの危険性を覚えた。
また、ずっと、その感情。
最近、いや最近と思って もう何ヶ月だろう。発狂して何かを壊しそうな憤りと、心が壊れそうな痛みを抱えている。
現実を考えると、 (それはもう仕方ないだろう) と思う。いろんな要素が、月を追うごとに重くなって重なって、それはもうキャパオーバーだ仕方ない と。そうして納得したつもりでも、痛みは増すばかりで ここ数日は分からなくなっている。
身体の底から噴き出るような感情、それを抑え込む時の鋭い痛み、眠れないほどの苦しさ。
これは現在に対する感情なのか、それとも過去の感情なのか、それを考えることで息が出来るようになるのか。何も分からなくなって、今更ながら、怒りは鋭く痛いのだな と思った。
それを感じるほどの状況から逃げ出せない事と、逃げることを選ばない私を呪いたくなった。
目標に縛られた今のことも、それを手放せない私のことも。虚しいと感じる私の心も、頑張りきれないことも、痛む心も、過去も。楽しい予定で紛らわせようとする私も、それを否定する周りも、私に向き合いきれない私も、痛みに耐えるだけの夜も、零す水も、無駄な全てを。
いつか救われて欲しいと、楽になって欲しいと、願えない私を。
呪って傷つけて消したいばかりで、それでも消さないことを私は知っていて、それでだからせめて、こんな夜が一日でも減ることを願うことにした。
それでもどうか、君の夜が変わらずに在りますように。
Sena.
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