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生活 と たいせつにする こと。
久しぶりにnoteを書こうと思って、近況をどう書こうか考えている。
綴っていない2ヶ月を思い返すと、喜びと苦しさが混ぜこぜになっていて、それをここに書くことも誰かに言うことも、私は出来ないだろうなと思った。
一つなのに沢山の感情で溺れそうな、それは優しさであって痛みであって、そして、それが ”たいせつ” なのだと思った。
(これまでの”大切” や ”愛” や "幸せ" の記事)
我ながら、
伺って得て 失って痛くて、 囚われて
「子供は、何があっても親を愛するものだよ」という言葉は、呪いであり救いであると思っている。”子供”という言葉が、年齢を指すのか関係を指すのか、”愛する”という言葉が温かいものなのか冷たいものなのか、それによって変わるのだけれど。
そんなことを考えていたら、また文章が綴れない気がして、早く言葉を紡ぐことにした。数分前に、[完成しない下書き]が また1つ増えたので焦りながら。精一杯で話すから、聞いて
怒りは鋭く痛むということ
その感情を知ったこと
19歳で精神科に入院するまで、私には"怒り"という感情が少なかった。人並みに苛立つことはあったけれど、生きてきた環境に対しての怒りを抑えていた。
19歳。精神科に入院して沢山の手続きをした。生育歴を書く書類。入院を続けるために休むために1人で向き合う過去。そうして初めて、生かされてきた道のことを振り返った。手続きが終わる頃、私の中の怒りに気がついた。
19歳で気づけたの
ずっと転校生のような心地で。
引越しの多い家族だった。
母親と一緒に、平均して約2年ごとに引越し。実家を18歳で出てからも よく引越しをした。計23回。
「転勤族だったの?」と聞かれることがあるけど、違う。何かから逃げていた訳でもない。
最近のこと。
幼少期。
知らない土地に行って、一時を初めましての方と過ごす。国内だからもちろん言葉は通じるのだけど、会話の内容が分からない。あれもこれも初めて知ることばかり。
今年はよく
ずっとの思いに向けて。
AAT/AAE(動物介在療法/教育)を初めて知ったのは10年以上前、初めてAAEを受けたのは15年前、動物に関わって生きていくと思って20数年。
そうして今。馬と仕事をしながら 思いが現実味を帯びて来て。ふわっとずっと考えていた。
心が向くほうへ目を向ける作業
動物に関わりたいのか 動物を通して何かと関わりたいのか、それを迷っているような、それでいて私は決めているような気がしていた。迷ってい
声を出して形にして苦しくなったこと
思い出すと涙が零れるような、そんな話。久しぶりのnoteに この話を書くか迷ったのだけど、私のごちゃごちゃしたものを広げて見てみようと、それが必要だなと思った。
少し前のこと
バランスを崩したような それでいて落ちてはいないような、平均台を揺れながら歩いているような感覚。いつからだっけ? それでも止まっていないから大丈夫だと言い聞かせながら歩くようになったのは。
お話 と お喋り のすれ違い
久しぶりに飛行機で東京へ。雲の上から雲を見て、本を読みながら「そうか。」と思った。
本の紹介みたいなことを少し
読んでたのは昨晩買った「タイタン」(著 野崎まど)
飛行機の中で読もうと買ったのに、搭乗ゲートに並んだ時には残り20ページ。
私はAIやロボットが登場する話が好きで、今回も、さらっと… 私にしては比較的 軽い気持ちで選んだ本だった。
読み始めはとても軽くて、新しい世界を見てい
「下方修正」? 忘れていた、それだけのこと。
文字を叩く時間も無いままに時間が過ぎている。ここ数ヶ月、ずっとそんなことを言っている気がする。相変わらず頭の中に言葉は浮かんでいるけど、曖昧に紡いで、完成させないままに眠って、朝が来て、仕事に行って。くたくたで楽しくて、もっともっと、って。
何かを落としながら走っているような、でも拾うためにスピードを落とせないような、そんな感覚。
昨晩と今朝。
何故か分からないけど、昨日は息苦しいまま眠りに
ずっと気が散っている話と、泣いてしまうような夜
ずっと気が散っている。
いろんなことが頭に浮かんで、タスクや仕事が積み上がっているのに、散らばっている。なんともいえない空回り感と無力感が消えない。
先月、いやもっと前から。「全然出来てないよ」と言う私に悩んでいる。
環境と人間関係の変化、タスクが増えたこと。思い当たることがあったから、そのうち落ち着くだろうと深く考えなかった。
最近、忙しさはそのままに、慣れという落ち着きが出来てきた。それ
理不尽な話とアンガーマネジメント
昨年から、ずっと。抑圧された怒りのことを考えていた。
私には ”怒り” という感情は無いのだと思っていた。諦めと自責の中で埋もれていた。
埋もれていた怒りが出てきたのは、19歳から成人するまでの半年間 精神科に入院していた時。ふと怒りを感じたことを今でも覚えてる。その時に「怒りを感じれるようになったのは良いことだよ」と言ってもらったことも。でも、それをどうしたらいいのか分からなかった。苦しい感
幸せ という言葉の重みと呪い
「幸せになりたい」その重さと痛みを書くことを避けていた。
「幸せなんてない」その呪いをかけたのは私だった。
大したことないはずの、でも痛い出来事があった。
だから、「幸せ」ということを避けてきた。
頭に「幸せ」という言葉が浮かぶたびに「嬉しい、楽しい」そういう言葉で言い換えて。今もまだ書くことが痛くて、何回も下書きに戻した。でも私は充分避けてきたから、そろそろ向き合おうと思った。
誰にとっても
「やりたいこと」 と 「やるべきこと」
最近、少し焦っている。やりたいこと、そのために頑張ることが出来てない。時間が無いと諦めたり自分を責めるのは簡単だけど、私は簡単に逃げたくない。それでも流れる毎日の中で、諦めたり責めたりしながら私はずっと考えていた。「どうしてだろう」って。
「どうして? 」 と会話したこと
時間が無い。疲れてる。それは分かってる。だけど、そこで諦めるの?
私は私に聞き続けた。返す言い訳の合間に悔しさが込み上げる