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お話 と お喋り のすれ違い

久しぶりに飛行機で東京へ。雲の上から雲を見て、本を読みながら「そうか。」と思った。

本の紹介みたいなことを少し

読んでたのは昨晩買った「タイタン」(著 野崎まど)

飛行機の中で読もうと買ったのに、搭乗ゲートに並んだ時には残り20ページ。

無職の私は働き疲れたAIと旅に出た。

「タイタン」(著 野崎まど)

私はAIやロボットが登場する話が好きで、今回も、さらっと… 私にしては比較的 軽い気持ちで選んだ本だった。

AIが人類の仕事を奪い終わったユートピア

「タイタン」(著 野崎まど)

読み始めはとても軽くて、新しい世界を見ている気がしていた。読み進めるうちに、少しずつ気づかない間に、気づいていたとして処理が追いつかない間に、私も考えていた。

誰も仕事をしなくていい世界、そこで働くことの意味をAIと。


仕事と私、 感情。

最近数ヶ月、(私は働くことが好きなのだろうな)と思う時があった。 働くことは楽しい。ルーティンをこなし、トラブルに対処して、イレギュラーに戸惑い、人間関係に直面し、悩んで迷って悔しくて泣いて。その過程でいろんなものを拾って、先にあるものを掴むこと。

それが、私はとても楽しい。苦味のあるチョコレートは毎日食べたくなるような、そんな感覚。

そうやって働く私を見て喜んでくれる人がいて、私は言い表せない不思議な気持ちになった。少し考えて、これは表さなくていいものだと思った。昨年から時々、私には扱いにくい感情がある。

同時に(幸せだなぁ…)と思って、この気持ちを持ち続けるために頑張りたいなと思った。この気持ちが私を支えてくれる、そんな気がした。

経験したことのない感情は、難しくて怖くて、だからこそ、たいせつにしていきたい。

読書のあとの気持ちで。

読み終わったあとの気持ちで、ふわふわの雲を眺めながら「そっかそうなのか…」と気づいた。

仕事をしなくても、生活が出来たとしたら。仕事をしない人と、仕事を続ける人と、その間のバラバラの割合でいろんな人がいるんだろうな。どれが正解でも間違いでもなく。

それと同じように、もしかして。

少し前から持っていた歪な気持ちを取り出すと、当てはまる気がした。


例えば。
お話をしたい= これはどう感じる?それならこれは?と互いに話すようなものだったとして。思考を見せ合いっこするような。

お喋りをしたい= 近況の話から趣味のこと、昨日食べたものを話す、時間の共有も含めたものだったとして。

お話をしたい と思ってるAと、お喋りをしたいと思うB。AとB、2人のバランスが崩れたらどうなるのだろう。他者が居ない時。どちらかに沿って、お互いに居心地がいい場合もあれば、逆もあるだろう。どちらが正解でも間違いでもなく。

そんなことを考えながら、「やさしい」ってそういうことなのかもしれないな。と思った。分かっていたよ、でも。

当たり前のような話を、私の話として飲み込むのはいつだって難しい。頭での理解から、心まで浸透させるのは。

悲しいのに光のような、そんな時間。

Sena.

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