マガジンのカバー画像

震災と町での記憶

19
東日本大震災関連と震災前の記憶の記事
運営しているクリエイター

記事一覧

忘備録⑧

忘備録⑧

早いものでもう2月も中頃。

2024年は災いから始まってしまいましたね。

能登沖地震で被災された皆様にお見舞い申し上げます。

惜しくも亡くなられてしまった方々のご冥福をお祈りいたします。

発災後、人命救助、医療支援など様々な支援活動に尽力されている自衛隊、消防、警察、医療従事者等の皆様に、心から敬意を表します。

フラッシュバックに襲われて怖かったと話す知人がたくさんいました。

私は、

もっとみる
地元なのに『泊まりに行く』しか出来ないのが現実

地元なのに『泊まりに行く』しか出来ないのが現実

久々に地元で呑んだ。

ここのお店は震災前に数回行った事があり、保育所の保護者会のメンバーと飲みに行った思い出もある。

もちろん、前のお店の場所はここじゃないけど、それでも『久しぶり。懐かしい。』と思ったし嬉しかったので飲み過ぎた・・・😅

ワン達を連れての泊まりなので、『車中泊』。

キャンピングカーと言えど、家の様に『めっちゃ快適❗️』とまではいかないのが事実💦

いつもならワン達専用の

もっとみる
帰りたいのは私だけ?いや、明日もあるさ、、。

帰りたいのは私だけ?いや、明日もあるさ、、。

説明会。

私の行政区は私1人しか来ていなかった、、、。

明日が最終日だから、明日いっぱい来るのかな?

前回までに来ているらしき人数は2組、、、。

同じ行政区の職員さんと担当者と、三者面談状態の私は寂しかった、、。

これが現実なのか、、、。

でもね、私は帰るよ。

だって、我が家だからね。

息子の鯉のぼり

息子の鯉のぼり

先日のイベントで、13年ぶりに息子の鯉のぼりが陽の目を見る事が出来た

めっちゃわかりやすい場所に飾っていただけた
他の2体もみんなと一緒に空を泳いでいた

感慨深いものですなぁ、、、

寄付して良かったと、心から思った次第であります

線量とかどうでも良くなる程、慣れ親しんだ山林は楽しいね

線量とかどうでも良くなる程、慣れ親しんだ山林は楽しいね

帰還困難区域にある、同級生の家の敷地内で牛が飼われている場所があります。

そこの場所から、取水口に土砂が溜まり水が流れなくなったとSOSが届いたので急遽行ってきました。

遊びに行ってたのは小学生の頃。

子供が出来て、近所にお友達がいたので何度か近くには行っていたけど、そこの家を見るのはもう何十年振りだろう、、、。

とりあえず、薮をくぐって川にある取水口へ。

時間も道具も無かったので、応急

もっとみる
たまには、真面目な話をします

たまには、真面目な話をします

移動日も含めると6日間。

その内滞在期間は2日間。

キャンピングカーで高速道路をひた走る事十数時間。

思っていた以上に広島市は遠かった、、、。

今回の目的は観光ではなく視察研修。

知り合いの団体に参加させていただき、念願の広島の地に行く事が出来た。

被爆体験者のお話を聞かせていただき、平和公園の碑巡り、被爆建物、樹木の見学に比治山見学、伝承者との交流など、非常に濃い内容の2日間だった。

もっとみる
心中複雑

心中複雑

年末年始休暇初日

家族で映画を観て来た

前作の時
「監督は、地球の環境問題とかをすごく気にしているのかなぁ、、、。」
などと勝手に思って観ていた

今作、前評判を聞いていて、観るのをためらっていたが、『みんなで観れば怖くない』の精神で行ってきた訳で、、、

映画館であんなに泣いたのは初めてかも知れない

泣いた理由も、『感動した』『感激して』『可哀想で』とかではなく、

『ツラくて、苦しくて』

もっとみる
住みたい場所はひとつ

住みたい場所はひとつ

『どこでも住めるとしたら』

と言われても、住みたい場所は1ヶ所しかない。

昔のように、家族みんなで暮らせる場所。

そう、あの場所。

2011年3月12日に避難して以降、ひたすらに帰りたいと願う場所だ。

周りから、
「なんでそんなに帰りたいの?」
と聞かれる度に、
「家に帰りたいと思う事は普通じゃないの?」
と、逆に聞きたくて仕方がない。

『家に帰りたい』

そう思って何がおかしいの?

もっとみる
12年ぶりのおひな様

12年ぶりのおひな様

震災後初めて飾った娘のお雛様は虫喰いも無くキレイな状態だった。

私の母がとても喜んでくれたのが嬉しかった。

去年の息子の5月飾りの兜といい、状態良く残っていてくれた事が嬉しい。

認知症の父には初節句の写真付きで説明したけど分かってなかった。

兜の時もよくわかってなくて、まぁいいかと思ったけど、一刻も早く家族みんなで帰りたいね。

そしたら父も、思い出して喜んでくれるかな?

私はいつになったら帰れるのでしょうか?

私はいつになったら帰れるのでしょうか?

この話題に触れるか迷ってましたが、帰りたいので触れます。

新聞のトップページに載っていましたね。

正直、
「あぁ、やっぱりな…。」
という感想です。

帰還意向調査に
「一刻も早い帰還を希望します。」
と書いて送ったハズなのだが、、、。

空間線量も、割と低めな場所ですよ?

『帰りません宣言』

とやらが影響しているのならば、言わせてください。

「あれ、聞いてません。ニュースで知りました。

もっとみる
蘇る思い出

蘇る思い出

保育所の解体に伴い、荷物の持ち出しの立ち入り案内状が
届いたので、娘と行って来ました。

あいにくの雨でした。
雨女の娘、本領発揮でしたね。

子供たちが通った保育所。
中に入るのは12年ぶり。
当時の所長先生がいらしてました。
所長先生に会うのは何年ぶりだろうか?
震災後に何回かお会いしたけど、私が事故に遭って引きこもり始めてからは誰にも会ってないから10年近く経つかなぁ、、、。

中庭にあった

もっとみる
12年ぶり

12年ぶり

大熊町で3月11日を迎えた。

仕事は休んで、町民のつどいに参加した。
準備から参加させてもらった。

本当に久しぶりに、
『好きな事をやっている』
と思えた。

顔見知りの皆さんと鶴を飾り、黙祷する。
そして花を配り、片付ける。

穏やかな一日だった。

ここに両親がいない事が残念でならなかった。

野上の家ではなく、楢葉町の家に帰るのがとても寂しく感じた。
(楢葉町、いい所です。間違いなくいい

もっとみる
忘備録として、、、①

忘備録として、、、①

noteを始めてから、震災の話ってあんまりちゃんと書いてなかったなぁ、、、。
と思い、間もなく3/11もやってくるので忘備録代わりに書いていこうかと思います。

2011年3月11日のあの時間、私は富岡町夜ノ森地区にある某電力会社の社宅の看板前に愛車のクロネコ号を停めて、伝票に書いてある部屋番号を探して看板を見ていました。

地鳴りの音がして
「何事?」
と思ったら地震発生。

エンジン停止状態に

もっとみる
忘備録、、、②

忘備録、、、②

3月12日。
午前6時ちょっと前。

町の防災無線から『全町避難』という放送が流れて布団から出た。
まぁ、起きてはいたけど子供たちの寝顔を見ながら1日の流れを頭の中で組んでいた最中だった。

子供たちを起こして着替えをさせ、とりあえず朝ごはんを食べさせる。

その間に、父と避難についての情報を集めるも、電話は未だ混線状態。
とりあえず集会所に行こうという事で、私はヤマトの格好から普段着に着替えて出

もっとみる