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【note毎日連続投稿30日】ネタは尽きても、書き続ける限り、井戸は枯れない

昨夜投稿した通り、連続投稿は30日目に入った。

ネタは尽きても、書き続ける限り、井戸は枯れない

30日という一里塚を超えるにあたり、気付いたことがある。それは「書くことがなくても、書くことはできる」という不思議な感覚だ。

少なくない人生を生きてきたのだ。当初は、書くことなんていっぱいあると思っていた。

でも書く日数が増えるにつれ、書けることがなくなっていき、ネタ不足を切実に感じるようになった(それは今この瞬間も感じている)。自分の引き出しにはもう、すぐに書けるものがないのだ。

そこから自分の生活は変わった。日々それとなく見かけるもの、読む流す文字列の一行、感覚が訴える場面、そういう日常の5秒後には忘れてしまいそうな出来事をメモするようになった。

何か心が動くたびに、スマホを開いて、noteの下書きに殴り書きをするようになった。自分の繊細さはいまフル稼働だ。

空き時間は限られている。その殴り書きをもとに記事を書き始める。明確なゴールは見えていない。考えがまとまりきっているわけではない。それでもゴールに到達することを信じて、なんとか書き始める。

完璧なものはつくれなくても、少しでも誰かの役に立ったり和んでくれるものを書ければそれで良いじゃないか。そう信じて、なんとか記事を書きあげるたびに安堵感をえる。

井戸の水が枯れたなら、さらに深く掘ればいい。連続投稿は訓練として素晴らしい。自分を少し信じられるようになった30日間だった。

ぼくのすすむ軌跡とnoteがくれた奇跡

物事を継続することが苦手な自分が、どれだけ仕事が忙しくても、どれだけ気分が乗らなくても、書くことに向き合い投稿を続けられたのは、いまこの瞬間にもぼくの記事を読んでくださる皆さんのおかげだ。

読者として投稿を読んでいただき、noteクリエイターとして新しい物事の見方を教えてくれる皆さんのおかげで、病めるときも健やかなるときも、ぼくは書くことを続けられた。

noteのコミュニティはクリエイターにやさしい。ぼくはnoteでなければ最初の一歩を踏み出せなかったし、noteでなければ継続して書くことはできなかった。

特定対象への攻撃やネガティブな粗さがしより、踏み出そうとしているもの、歩みだしたものを後押ししてくれる、そんな皆さんのつくるnoteの澄んだ空気がぼくはとても好きだ。

昨年10月、noteの月間アクティブユーザーは2000万人を超えた。ひとりひとりのささやかな投稿の合算が、莫大で強力な力を生む。

そのドメインパワーのおかげで、ぼくの書いたような記事でも、Google検索上位に表示されることがある。これはnoteのおかげだ。

もちろん個人として、PVやスキ、フォロワーは欲しい。それでも、noteというコミュニティへの恩返しを思いながら、これからも連続投稿を第一目的に頑張っていきたいと思っている。

次の目標は90日。その後は遥かなる365日の連続投稿だ。

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