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【生産性至上主義という病】障がい者は排除されるべきなのか

Twitterのタイムライン眺めてて、腰から崩れ落ちた。

福祉総合情報を流すNHK番組での一般投稿らしい。

障害者は私たちプロの社会人戦士から見たら
目障りかつ邪魔以外 何者でもありません
お願いですから 障害者はこの世からすべて消えてください

書き写してて反吐が出る。なんなんだ、この投稿者たちは?どういう神経してんだ?

ほとんどの人間は常識をもっている。

投稿者も、テレビに取り上げらるために極端な意見を述べ、NHKも問題提起のため、あえてこれらの投稿を取り上げたのだろう。

なぜ彼ら彼女らは障がい者を排除すべきと思うのか

ぼくはこの投稿が、差別の根幹を物語っていると思う。

(省略)
正直今の日本に 障がい者を保護する余裕はありません
普通の人でも生きるのが精一杯なのに
生産性のない障がい者を守ることはできません

障がい者は(経済的)生産性がないため、(たとえ憲法の公共の福祉として日本人すべてに与えられた権利があったとしても)社会的に擁護する必要はないー

この思想が先鋭化すれば、労働者としての存在価値はないという結論になるし、存在価値のないものは存在してはいけないという極論になる。

人間の価値は生産性によってのみ決まるー それを仮に生産性至上主義と名付ければ、このカルト主義は(あなたをも含む)すべての人間を貫く刃になる。

生産性なき者は罪なりや

経済発展は生産性の飽くなき向上によってもたらされる。そのため、生産性の向上が(おそらくビジネスにおける)最も重要な指標のひとつであることはぼくも知っている。

生産性の向上という単一の視点に立てば、生産性の低い者、生産性のない者は疎外され、排除されるのかもしれない。

だが、それだけが人間の生活ではないだろう。

ぼくたちは、子どもは生産性が低いから捨てるのか。専業主婦(主夫)は経済的価値を生まないから召使いとして扱うのか。外国人研修生は日本人より日本語がうまくないから奴隷のように処遇するのか。全部違うだろう。

あなたはむかし親に庇護された子どもだったし、あなたのパートナーは経済で測れない大きな価値(たとえばあなたの健康や子どもの幸せ)を築いてくれているし、あなたが外国で働かなければならない(日本がいつまでも経済大国とは限らない)ときあなたは外国人だ。

あなたは単にいま障がいをもっていないだけで、障がいをもって生まれてくる可能性だってあったはずなのだ。単に運が良かっただけだ。

また、後天的な事情により障がいをもつ可能性だってある。(ぼくの親族は交通事故で障がい者になったし、職場環境により精神疾患を抱えた知人を多く見てきた。)

生産性至上主義という病

反社会性のあるものを除き、障がいそのものに善悪はない。

生産性に差が生まれることはあるだろうが、それは人間の営む、人間として生きるための生活にはまったく関係ない。

どんなときでもあなたを愛してくれた(くれる)人がいるように、どんな人にもありのままに愛してくれる人たちがいる。それは生産性だけでは測れないものだ。

あなたが他人に否定され排除されないように、あなたは生産性という単一の物差しだけで他人を否定し排除してはいけないのだ。

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