『来世まで泳ぐ鯉のぼり』 泳泳
小学生の頃、幼馴染にK君という男の子がいた。
口下手で、怒ったり恥ずかしがったりするとすぐに顔が真っ赤になる子だった。
毎日のように遊んでいたが、何をして遊んでいたのかは覚えていない。家が近いという理由だけで毎日一緒に遊べる人がいるなんて、今となっては考えられないぐらい幸せなことだ。
学校終わりに何人かでK君の家に向かい、玄関前でK君が出てくるのを待つ、というのが毎日のルーティーンだった。
5月。いつものようにK君の家に向かい、庭を見て私は驚愕した。
大きな大きな鯉のぼりが、何体も飾られていたからだ。
鯉が、空を泳いでいる。
それはとても不思議な光景なはずなのに、ただただ美しいと思った。
何かを確信しているようなまっすぐな目。色とりどりの鱗に覆われた体が、うねりながら風に乗る。重力から解放されて、自由に泳ぐその様は圧巻だった。
本当に生きているようで、恐ろしささえ覚えた。
毎年、K君の家の鯉のぼりを見るたびに目を奪われたが、小学校を卒業する頃には別の友人たちと遊ぶようになり、その鯉のぼりを目にすることもなくなった。K君が今どこで何をしているのか、私は全く知らない。
私がこのオチも何もない思い出話を語っている間、変に茶化すこともせず、深く深く頷きながら聞いてくださったのが、山岡寛泳さん。鯉のぼりブランド「泳泳」を手がける人物だ。
16歳で「泳泳」を立ち上げ、2022年には「GOOD DESIGN NEW HOPE AWARD」を受賞。各界から注目されている、新進気鋭のクリエイターであり、アーティストだ。
「小学生のときに岐阜で目にした鯉のぼり。あれが僕の人生の中で、最も心が高揚した瞬間でした」
眩しそうな目でそう語る山岡さんが、そこまで鯉のぼりにこだわる理由とは。
鯉のぼりに一度でも心惹かれたことがある方、鯉のぼりと聞いて思い浮かぶ情景がある方には、ぜひこの後の文章を読んでいただきたい。
きっと、「泳泳」の鯉のぼりが泳いでいる様子を一目見たくなるはず。
空を泳ぐ鯉に、目と心を奪われた
時を遡ること、十数年。
当時小学生だった山岡少年の心を撃ち抜いたのは、岐阜県のサービスエリアで見た「郡上本染鯉のぼり」だったそうだ。江戸時代から続く伝統的なこの鯉のぼりは、木綿に手染めで丁寧に色付けされており、引き締まった力強い彩色が特徴である。
「車から降りて、あの鯉のぼりを見た瞬間、経験したこともないような感情になりました。今まで見たことも無い独自のデザインと、優雅なフォルムが空を泳いでいたんです。あのときの感覚をよく反芻しますが、いまだにうまく言葉にできません。圧倒されて、息が止まって、体が震えて。子どもながらに、ああ、この景色は死ぬまで忘れないだろうなと思いました。その一瞬だけで、鯉のぼりのことが大好きになったんです」
以来、寝ても覚めてもその鯉のぼりが頭を離れずいてもたってもいられなくなった山岡さんは、見よう見まねで鯉のぼりを作り始めたそうだ。
「夏休みの作品として、本腰入れて鯉のぼりを作ったときのことはよく覚えています。書籍を漁り『郡上本染鯉のぼり』の伝統的な技法を調べながら、一工程ずつなんとか進めていきました。白い布に澱粉糊を置いてから色付けし、水にさらして丁寧に糊を落とす。こうすることで糊を置いていた部分が模様になるわけです。着色方法を理解するたび、あの美しい模様はこうしてできていたのかとワクワクしました」
暇さえあれば絵を描いたり写真を撮ったりと、普段からものをつくり続けていた山岡さんは、鯉のぼりを鑑賞するものではなくものづくりの対象として捉え、何度も何度も作り続けたという。
なぜ、そこまで鯉のぼりづくりにのめりこんだのか。
その理由を山岡さんは「ものづくりに対する憧れがあったんだと思います」と語る。
「絵や音楽、写真、工芸品と、先人たちの作品に多大な力をもらってきたんです。ものづくりに支えられて生きてきたと言っても過言ではありません。だからこそ、自分も誰かに力を与えられるようなものづくりをしたいとずっと思っていました」
同時に、自分の現状に対する違和感や葛藤も抱えていたという。
「ものづくりに没頭する一方で、正直、学校には馴染めずにいました。人と同じでなくてはいけない。みんなと違うことをする奴は阻害してもよい。そんな価値観が蔓延っていて、けれど自分はその価値観についていけなくて、苦しくて仕方ありませんでした。どうしてみんなができることができないんだろう。正解がわかっているのに、不正解ばかり当ててしまうのはなぜだろう。そんな気持ちを抱えていたから、違う世界にいきたい、この環境から抜け出したいと考えていました」
この場所から一刻も早く飛び出したいが、どの山に登ればいいかわからない。どの山に登りたいのかもわからない。そんな鬱屈した状況を変えてくれたのは、兄だった。
「これ、寛泳に合ってるかもよ」と山岡さんの兄が勧めてくれたのは、東京大学が主催する「異才発掘プロジェクトROCKET」(※)というプログラム。突出した能力はあるものの、現状の教育環境に馴染めない小・中学生を選抜し、継続的な学習保証や生活サポートをするプロジェクトだ。このプロジェクトで出会った講師たちの姿に、山岡さんは衝撃を受けたそうだ。
「『この景色を他の人にも見せたいから』『この感動を共有したいから』という純粋な動機で、誰も成し遂げていないことに果敢にチャレンジしている姿を見て、なんてかっこいいんだと感動したんです。自分もそんな人間になりたいと思いました」
そして、同時期に読んだ吉野源三郎著の『君たちはどう生きるか』にも影響を受け、「何かを与えられる人になりたい」と改めて感じた山岡さんは、鯉のぼりを世の中に届けていこうと決意した。
「自分が心を強く惹かれた鯉のぼりを、世の中に届けたい。こんなにすごいんだ、こんなにかっこいいんだということを知ってほしい。まだ鯉のぼりに感動したことのない人の、心を動かしたい。そのために鯉のぼりととことん向き合おうと決めました」
高校生にして、鯉のぼりを世の中に届ける生き方を選んだ山岡さんは、そこから本格的にブランドの立ち上げを目指し始めた。
『元の気』にする鯉のぼりを
ブランド立ち上げに向けて、まず取りかかったのはコンセプト策定だった。どう売るか、誰をターゲットにするかということを考えるよりも先に、絶対にブレない軸として「元気にする」というコンセプトを決めたそうだ。
「そもそも鯉のぼりとは、我が子に元気に人生を送ってほしいという願いが込められたものなんです。そこはベースにしつつ、自分なりの『元気』を届けられるブランドにしたいなと考えました」
山岡さんなりの「元気」とは?と聞くと、返ってきたのは「元の気」という言葉だった。
「気分がハイになるとか、毎日をエンジョイするとかそういうことではなく、ナチュラルでいられる状態のことを元気というのだと思うんです。その人がその人らしい心意気で、無理せずその日を過ごせる状態。家を出て、今日は風が気持ちいいなと気づいたり、温かい料理を食べて顔がほころんだり」
そうした「元気」を届けるために、どんな鯉のぼりをつくるべきか。コンセプトを軸にデザインや制作方法を考えていったそうだ。
デザインでは「水面」をモチーフに色使いや模様を検討していった。水の波紋の広がりや波打つ様子と、人間の心や人生で起きていく「陰と陽」を重ね合わせたそうだ。
波が立っている方が良い、窪んでいる方が悪い、ではなくどちらも含めて一つであること、そういうものだと受け入れて生きていくこと。そこにはまさに「元の気」という考え方が反映されている。
制作方法や商品化に向けては、来世まで続くものをつくりたいという想いから、かなりシビアに工場選びを進めていったそうだ。
「大量生産・大量消費ではなく、そのプロダクトの寿命がずっと続いていくようなものを作りたいんです。今売れれば良い、ではなく、これからもずっと愛されるもの。もっといえば、時代を超えてあらゆる人にフィットするものが理想です。長く愛されるものって、誰が見ても、どこで見ても無条件に心に響くものだと思うんですよね。そうしたブランドを作るのは簡単な道のりではないと思いますが、妥協せずに挑戦してみたかった。だから、工場選びはかなり時間をかけて行いました。化学繊維ではなく綿100%で作れるか、伝統的な美しい染め方を採用しているか、一社一社調べていきました」
染め方については、布に1色ずつ手作業で染めていく「手捺染」という伝統技法を採用している工場に一件一件コンタクトをとったとのこと。当時まだ高校生だったため、まともに話を聞いてもらえないことも多かったが、それでも諦めずにアタックし続けている中、京都にある西田染工さんに出会い、染色方法を一から一緒に考えてくれたそうだ。
「生地や染色方法、色味など全て決まって、最初に刷ったときは本当に感動しました。ついにここまできたかという気持ちと、早く人々に届けたいという気持ちが入り混じっていましたね」
商品化を実現してすぐ、身近な知り合いから注文が殺到。その後噂が噂を呼び、現在では企業への出展、ギャラリーでの展示などにまで広がっている。
なるようになるから、好きに泳いでいけばいい
こんなに鯉のぼりのことばかり考えていて、飽きませんか?と聞くと、「それが、むしろどんどん興味が湧いてくるんです」と山岡さんは笑って答えた。
「飽きるどころか、知れば知るほど面白いなと思います。最初は純粋に鯉のぼりに興味があったんですが、今はそれを生み出した先人たちにも興味があるんです。どうして布切れに鯉の絵を描いて掲げようと思ったのか、江戸時代という決して生活が楽ではない時代にその風習が広まったのはなぜなのか。そんなことを考え出すと止まらなくなってしまうんです(笑)。そこを紐解いていけば、さらに魅力的なプロダクトを生み出せる気がしています」
「鯉のぼりって、触れれば触れるほど発見があるんですよ。最近は、日本に止まらずに世界にもこの魅力を発信していきたいと考えています」と山岡さんは続ける。
「日本には美しい文化がたくさんあるのに、目立ったもの以外の認知度はまだまだ低い。それがなんというか、やきもきするんです。『こんなにかっこいいものあるよ!』『こんなものみたことある?』と世界に発信していきたいので、世界における日本の文化のプレゼンスを上げる一助を担いたいです。『泳泳』の鯉のぼりを見た海外の人に、日本の文化に興味を持ってもらうこと。それが今の僕の夢です」
取材の最後に、居場所がないと感じていたあの頃の自分に声をかけるとしたら、何て伝えたいですか?と聞いてみた。
「なるようになるから、焦らずいけばいい。自分の思うままに行動していたら、勝手に道はひらいていくから」
そう語る山岡さん自体が、鯉のぼりのように見えた。
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執筆者:望月さやか
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