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掌編ごった煮

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文芸同人誌「琳琅」の仲間が書いた掌編をまとめているマガジンです。 どれも5分で読みきれてしまう作品ばかりですので、お暇つぶしにぜひどうぞ。
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記事一覧

掌編「サインポール」武村賢親

 新島さんの家の前に置かれている赤と青と白のくるくる回る看板の正式名称を知ったのは、内装施工会社の内定通知を受け取った日だった。うちの工業高校にだけ募集のかかる非公開求人で、毎日欠かさずに通った進路相談室の就活掲示板に募集チラシが張り出されるや否や、担任をつかまえて募集要項をもらい、誰よりも早く願書を提出した。夏が終わる前に就職活動を終わらせておきたかったから、目論見どおりに事が運んで内心は欣喜雀

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見下す憧景

   浴室で自殺があったから、家賃は半額だった。インターネットのサイトによると、亡くなったのは若い女性らしい。どうやって月三十万の家賃を払っていたのだろう。  

    もしも死ぬのなら、狭い浴室より、バルコニーから飛び降りる。時間は朝がいい。二十三階から、灰色の東京が橙色に染められる様子を見ながら死にたい。
   

   この部屋に決めたのだって、景色良いからだった。1LDKだが、一人では持

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掌編「ガラスを踏む」武村賢親

 どうにも居たたまれなくなり、話題を変えようと、萩村は谷戸が読んでいる本について訊いてみた。谷戸は萩村から受け取ったハンカチを左膝の上にのせた右足首に巻きつけながら、カフカを読んでいるんです、と簡潔に答えた。前足底を覆う白と黒のチェック柄のハンカチの下から土踏まずの外側まで、赤い筋が細々と伸びている。

「カフカの『審判』を読み返しているんです」

 知っていますか、訴訟の話なんですけど、主人公の

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掌編「ディッシュ」

 館の主人はそうとうな世話好きとみえて、私がたいして長くもない散歩から帰って来た時には既に食事の用意が整っている。それだけに留まらず、私が散々汚し放題に散らかした部屋も、窓ガラスに白く残っていた爪の油ひとつ残さず、きれいさっぱり掃除してしまっているといった始末だ。更に、館の一角を私に貸し出しているにもかかわらず家賃をとろうという気配が一向にない。これは良いところに流れ着いたと思ったが、ここまで親切

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掌編「セトナのキセキ」

「早坂は二万だなぁ。山本は一万で良いや。捨てたくなったら握りしめておいで」

 平気な顔でファイブショットを空けた海さんは、引いた五枚のカードを山札に戻して慣れた様子できり始める。彼氏からもとるのかよ、と早坂さんが呟くのが聞こえた。

 重たいグラスと山札がわたしの前に置かれ、八回目の勝負に挑む。正方形のテーブルをぐるぐる巡った焼酎の瓶はすでに半分を割っていて、前の回で山本さんが潰れ、早坂さんもテ

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掌編『ぬけがら』

 蜃気楼になりたかった。空気を揺らし、日差しへ体を預けたかった。

 太陽が毛羽立った畳を燃やす。冷たい布団とぬるい缶ビール。煤けた原稿用紙が畳を隠している。西武池袋線近くの安アパートは、電車が通るたび、木製のドアが軋む。がたん、ごとんと、規則正しい騒音が耳へ入り込む。
 柱に体を預け窓の桟に肘をつき、一メートル平方の窓から街を見下ろす。徹夜明けの目は充血して痛い。住宅街の合間にできた狭い道には誰

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掌編「たかんな」

 若竹汁という聞きなれない単語もさることながら、ズンと重かった筍の、穂先八センチ程度しか使わないという贅沢さにも驚かされる。そもそも土を落として皮を剥く段に至って、すでに驚きの連続だった。さんざん苦労してやっと掘り起こした顔より大きな筍が、食べられる部分まで外皮を剥がすと、手のひらに収まるほどの大きさになってしまうのだ。

 大きく膨らんだイボから白い毛を数本はやした祖母の隣に立って、筍の皮を剥く

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掌編『蓮華』

一筆申し上げます

 春の芽吹きを感じる今日この頃、いかがおすごしでしょうか。と言いつつも、私は貴方にお会いしたことがありませんので、以前とお変わりがあるのかどうかもわかりません。

 実の母である貴方に今まで何もしてこなかった無礼を、お詫びいたします。ですが、何かしたいと思っても、何もできなかった、というのが本当のところです。貴方の名前も、住まいもわかりませんでしたから。そして、何もしたくなかっ

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掌編「熱に弱く」武村賢親

 泥みたいな雲がけっこうな速さで東へと流れていた。さんざん騒いで火照った体も、さすがにアスファルトには勝てなかったらしい。背中が冷えきっていて痛いくらいだ。目の前を白い埃みたいなものが横切って行った。雪かと思って上体を起こす。しかし、雪などひとかけらも舞っていない。

 バカみたいに酒を飲んだあとみたいに、こめかみと後頭部が脈に従ってずきん、ずきんと痛む。胸やけもひどく、傍らに吐き捨てた唾液を見る

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掌編「たゆたふ」武村賢親

 ベビーベッドに寝かせた拓篤が寝返りをうつ気配がわかるほどの沈黙のなかで、和美が身体を少し動かすたびに、チェリー材のダブルベッドが微かにきしんだ。不惑を目前にしてセルライトの一筋も見当たらない和美のふくよかな太ももがシーツの上にゆったりと伸びている。義雄はベッドの縁に腰かけて、起きがけの頭の重さが去るのをじっと待っていた。起きているときには気にもならない和美の呼吸がずいぶん大きく聞こえる。その聞こ

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掌編「ベーシカ・プエゥ」武村賢親

 できたかな。

 できるわけないじゃない。

 うつ伏せのまま、あきこが応える。いぐさの匂いなんて初めからしなかったんじゃないかと思えるほど変色した畳の上に、安いせんべいみたいな布団を一枚だけ敷いて、裸のまま、だらしのない胸を押しつぶしている。胸はアレだが、ケツは良い。長い髪の向こうでつんと天井へ尖ってみせる脂肪と筋肉の集合体は、電球の明かりを滲ませて、白くてらてらと光っている。あついね、と言っ

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