掌編『蓮華』
一筆申し上げます
春の芽吹きを感じる今日この頃、いかがおすごしでしょうか。と言いつつも、私は貴方にお会いしたことがありませんので、以前とお変わりがあるのかどうかもわかりません。
実の母である貴方に今まで何もしてこなかった無礼を、お詫びいたします。ですが、何かしたいと思っても、何もできなかった、というのが本当のところです。貴方の名前も、住まいもわかりませんでしたから。そして、何もしたくなかった、というのも事実です。貴方は何もしてくれなかったじゃないか、と、そう思いました。今ではそれが恥ずべきこととわかります。
実は「蓮華」という名前があまり好きではありませんでした。我が家の姉はすべて最後に「子」がつきます。古臭い、と思われるかもしれませんが、老舗旅館の娘ですし、祖父が名付け親になっていたのも一因です。しかし、これがいたく羨ましくもありました。姉からは中華の子、といじめられました。祖母もあえて名前を呼ぼうとしませんでしたし、母も「れんちゃん」と呼びました。父はそのたび、ばつの悪そうな顔をするのです。そうです。貴方の愛した、父です。私も父のことは大好きでしたから、そんな父が私の名前を聞くたび悲しそうになるのは、幼心に切なく残っていました。
なぜだか風当たりが強いことに気づいたのは、七五三の時でした。私のときだけ、着物が安っぽいのです。写真館に連れて行かれることもなく、自宅の前で一枚撮っておしまいでした。親戚も、誰も挨拶に来ませんでした。料理もいつもとかわりませんでした。お赤飯は得意ではありませんでしたが、それでも出されないとわかると、自分だけ下に見られているような気がしました。父だけが、ケーキを食べに連れて行ってくれました。
小学六年生のときです。私だけ、熱海の寄宿制中学に入学させられることになりました。父は猛反対しましたが、祖母は聞きませんし、母も黙っていました。寝室から二人の怒鳴る声が聞こえてきました。頭を枕に置きながらも、耳はやけに冴えていて、喧嘩が聞こえてきてしまいます。そのときでした。祖母が泣き叫びながら「あの子は妾の子なのよ」と叫んだのです。そして、父は黙ってしまいました。
妾の意味は、時代劇を見てなんとなくわかっていましたが、まさか自分にゆかりのある言葉だとは思いませんでした。そして、どうして私だけお赤飯がなかったのか、わかりました。自分だけ肌が少し黒いことも、髪の毛の癖がつよいことも。それから、この家を出て行きたくて、たまらなくなりました。
しばらくすると、母なる貴方を恨むようになりました。なぜ私を産んだのか。私を引き取らなかったのか。勝手に捨てられた、と思っていたのです。
熱海の寄宿舎を卒業しても、私は東京の家に戻るつもりはありませんでした。ひとりでいることの自由さを知ってしまったからです。それは同時に、ひとりでいる寂しさになれたことでもあります。
卒業式には、父が来てくれました。それから二人で、植物園に行きました。ホステスをしていた貴方と父は、たまに熱海へと足を運んでいたのですね。
三月になり、植物園にはたくさんのレンゲが咲いていました。薄紅色の、品のいい花でした。それでも、私は気持ち良く花を見られません。貴方のことをおもいだすからです。おもいでなんて、ないのに。
父は、レンゲの前にあるプレートを指さしました。そこには「花言葉はあなたと一緒なら心が和らぐ」と書いてありました。
涙が止まらなくなりました。母なる貴方は、私をお腹に宿しながら植物園に来たそうですね。私は、貴方の心をやわらげていたのでしょうか。私のせいで、ひどく胸を痛め、悲しみに暮れる日はなかったのでしょうか。生まれてすぐに引き離された私は、貴方を傷つけてばかりだったのではないでしょうか。
先日、祖母が亡くなりました。毎年私の誕生日に、手紙をくれていたそうですね。祖母が隠していました。そのどれもが、母のそれでした。私のことを、遠くから愛してくれていたのですか。どうか、祖母を恨まないでください。彼女はすべて読んだ上で、捨てることもなく、すべてを取っておいたのですから。
お会いしたいような、お会いしたくないような、不思議な気持ちがします。ですが、やはり一度、貴方にお会いしたい。
来週の日曜、あの植物園にいらしてください。何時でも構いません。気が進まないのでしたら、それでも結構です。
もし、もしも会ってくださるのなら、その時は、ただ私の名前をよんでください。そうすれば、私は貴方を母と呼びます。それだけです。
長々と失礼いたしました。貴方の日常が幸せであふれていることを、お祈りいたします。
かしこ
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