掌編「セトナのキセキ」

「早坂は二万だなぁ。山本は一万で良いや。捨てたくなったら握りしめておいで」

 平気な顔でファイブショットを空けた海さんは、引いた五枚のカードを山札に戻して慣れた様子できり始める。彼氏からもとるのかよ、と早坂さんが呟くのが聞こえた。

 重たいグラスと山札がわたしの前に置かれ、八回目の勝負に挑む。正方形のテーブルをぐるぐる巡った焼酎の瓶はすでに半分を割っていて、前の回で山本さんが潰れ、早坂さんもテーブルに肘をついて潤んだ眼を瞬たせている。まだまだいけるだろう、と言って山本を揺すり起こそうとしている海さんだけがなんともないように元気だった。

 熱を帯びてむくれたように感じる指先でつまみ、祈るような気持ちでルーレットを回す。人生ゲームから引っぺがして来たそれは蝉の飛び立つ瞬間みたいな音を立てながら回転し、無情にも七の文字を指示した。山札からカードを七枚めくる。運良く、絵札は三枚で済んだ。ロックグラスに山崎がスリーショットぶん注がれる。八周目にもなってくると、匂いを嗅いだだけで胃がムカムカしてくるようだったけれど、海さんと早坂さんの声援を浴びながら一気に飲み下した。ここまで、どうにか運の良さだけで切り抜けてきている。早坂さんより先に潰れてなるものか。

「あたし女の子もいけるタチだからさ。同じようなのには一万で、興味ありますってだけのノンケには五千円で寝てあげんの。ほら、あたし同性にもモテるから。わりといるのよ」

 十一周目になって、とうとう早坂さんがロックグラスを取り落とし、ダ・ヴィンチクリスタルのグラスが重たい音を立てた。透き通った黄金色の液体がテーブルに広がって山札の一角を濡らす。あたしらの勝ちじゃんね、と言って海さんが手際よくテーブルを拭き、湿ったカードをばらばらに並べてゲームはおひらきとなった。

 男子二人が再起不能なのをいいことに、海さんは持ち前の闊達さを発揮して、早坂さんの弱点だとか、買ってやった後輩の初心さだとか、普段なら聞くだけで赤面してしまいそうな下世話な話まで、身振り手振りも大きく話してくれた。わたしより二つも年上だけれど、頬と耳がほんのり赤くて、黒く濡れた瞳が妙に幼く見えて可愛らしかった。でも立ち上がると頭ひとつぶん視線が高くて、きれいなあごのラインが目の前に見える。背伸びして噛みついてみたくなる。

 わたしたちはバスルームに入り、お互いの体を洗い合ったり、ムダ毛を見つけてつつきあったり、戯れながらシャワーを浴びた。わたしが体を流しただけで脱衣所に出たのに対して、海さんは湯船の底にやっと踝くらいまで溜まったお湯を爪先でかき混ぜたりしていた。

 バスタオル一枚を身にまとって部屋を覗くと、山本も早坂さんも床に突っ伏したまま、小さくいびきをかいていた。沢山の酒瓶が並べられた部屋の端を通過して、化粧品ポーチの隣からシャネルの長財布を摘みあげる。海さんからの御下がりで初めて使う有名ブランドの長財布は、ファスナーの滑りが悪く、ちょっと角度を工夫しないとなめらかに開かない。

 早坂さんを見る。体格のわりに狭い背中が小さく上下していた。

 ロックグラスに焼酎を注ぎ入れ、一息で飲み干す。ひどく喉が渇くようだった。

 財布から抜き出した一万円札を握りしめて、脱衣所に戻った。

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