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雑記

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#毎日note

読後について

これは特に小説に顕著な現象で、本を読み終えると、何だかモヤっとした読後感が残ることが多い。あの登場人物はなぜああいう行動をしたのか、あの時の心理は、そもそも言わんとしているテーマは何か、など。

しかし、不思議なことに時の経過とともに、その理由や仮説が閃いたり、誰かとの会話からそのヒントを得ることが多々ある。

本は自分の中で日々生育していくものなんだろう。

本を読む環境

今まで小説も概説書も専門書も場所を問わず読んでいたのだが、ある時電車に乗りながら小説を読んでいると、自分が思っているほど小説の世界に入り込めていないことに気づいた。電車の揺れや騒音によって、絶えず小説と外界を行き来しているようになっていて、全く集中できていなかった。

その経験から最近は、静かな環境では集中して読み込む必要のある小説を、逆に騒がしい環境では気が散っても問題がない新書を中心とした概説

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西行の和歌

『西行全歌集』、家の中を2,3時間探し回ってやっと発見・・

たかだか1000円くらいだからもう一冊買えば良かったんだけど、なかなか見つけられなかったからこそ改めて愛着も湧いて来る。

それにしても和歌はやっぱり面白い。
この『西行全歌集』から1首引いてみよう。

茂りゆきし原の下草尾花出でて招くはたれを慕ふなるらん

「野原に茂っている草に、尾花がひょこりと顔を出し、風にそよがれている。そよいで

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静止による笑い

Web会議で誰かの通信が悪くなった時、その人の画面が制止すると面白くて笑ってしまう。

これは本来の人間の自然本性とかけ離れているからだと思われる。ベルクソンは『笑い』の中で、繰り返しの芸が笑いをもたらすと論じている。例えば、昔、ひたすら乳首にドリルされることに対して「ドリルすな」と繰り返し言う芸のお笑い芸人がいた。この面白さは徹底的な繰り返しによる。

この繰り返しがなぜ面白いのかというと、絶え

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歩みのズレ

散歩していると少し先にお父さんと子ども2人が仲良く手を繋いで歩いていた。僕の歩みの方が早く、追い抜かしそうになったのだが、何故か追い抜かせない。3人の姿を少しでも長くこの目に留めておきたいという思いもあったが、そうではない、追い抜かすことが何か一線を超えるような感覚を同時に覚えた。3人が作り出す空間から抜け出してしまうという感覚、あるいはその空間に再び自分が入ることができるのだろうかという疑念。

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購入本ドトン

新宿区でPayPay25%還元キャンペーンをやっていたので、紀伊國屋本店で爆買い。

ざっくり35000円くらい…😅

和歌にハマったので西行と古今和歌集、美学に少し関心が出てきたので小田部先生の『美学』、望月先生訳の『戦争と平和』が完結したのでまとめ買い、などなど。

まぁ、いつ読めることやらという感じではある。笑

散歩コースに潜む悲哀

いつもの散歩コースに、窓に障子がなく外から丸見えのお家がある。そのお家のある一室では、いつもオッチャン一人が酒を飲んだり、テレビを観たり、新聞を読んだりしている。長年住んでいるからか、外から見られることに気を向けていないようだ。

ある日、いつものように部屋の様子を軽く覗いて見ると、奥さんと思しき遺影が置かれているのを見つけた。

それと同時に、あの部屋はオッチャンが気を紛らわせる部屋なのではなく

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罪を犯すこと

同級生が逮捕されたらしい。昔仲良くしていたが、改めてその人の生い立ちや現状を周りの人に聞くと色んな負の要因が重なっただけに過ぎなかった。

たしかに法に触れてしまうのは許されないことだけれども、だからと言って恵まれた環境で悠々自適に暮らしている人間が軽々と断罪していい問題でもない。

連日報道される痛ましい事件に「なんでこんなことをするのか。けしからん!」と言うのは簡単だが、ただただ自分がそういっ

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百人一首44番

逢ふことの たえてしなくは なかなかに
人をも身をも 恨みざらまし 

百人一首44番の歌である。逢わなければ自分と相手を恨むことはないだろうに、逢ってしまうという人間の弱さ、矛盾を突いている。

ただこういう状況の最中にあっては、そんな人間の弱さすら愛おしく思えてしまう。

こんな面倒を強いる神こそ恨めしい。

俗世におります

ひさびさに会う友人と話すと大体、「俗世から離れた?」聞かれる…💧 そりゃ、和歌、聖書、クラシック、哲学、文学、映画といった、あまり一般的ではない道楽に耽っていれば、そう見られてもおかしくない。

ところで、歌人西行は23歳で出家したらしい。奇しくと今の僕と同年齢で出家を志したらしく、彼の覚悟たるやという感じである。

まだ俗世は離れていない、いや離れられてはいないが、西行に敬服してしまう自分もど

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あの頃の彼

周りの人間が次々と煌々たる光に溶け込んでいく中、彼は自分を飲み込んでゆく暗黒と契りを交わし、ただただ身を委ねた。むしろ、委ねることに愉悦すら感じていた。

そんな時期に出会った人たちは、当時の彼自身を映す鏡であると同時に、光は遍く平等に降り注いでいるという逆説を確信させてくれる。

SNSは無駄?

YouTubeやTwitterなどのSNSに接しているのは時間の無駄という考え方はあるが、それは使い方が良くないのだと思う。むしろ有効に活用できれば、それらはわれわれの卓越した教師となり得る。

YouTubeは今や何かについて知りたいと思えば、専門家やその分野に造詣の深い人々が解説してくれている。しかも無料で。日本語でなければ、英語で調べてみると大抵は網羅されている。

またTwitterも同様

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真実を語ってくれる夢

ワクチン接種2回目を終えた。副作用も特になく、健全な状態なまま眠りにつくと、久々に悪夢が。

思い返せば、僕は風邪を引くときによく悪夢を見る。つまり、健全だと頭で思っていても、どうやら無意識的に体は苦しんでいたみたいだ。

嘘だらけの意識の世界で、夢だけは自分についての真実を正直に語ってくれる。

音楽の魔力

某音楽フェスでマスクをせず叫んでいる人がいたことで、主催者に支援金が下りなくなったという趣旨のニュースを見た。その映像を見てみると、たしかにライブ会場はコロナ禍であることを感じさせない無法地帯と化し、マスクをしない人々によって会場は熱気と興奮に包まれていた

人を狂気に駆り立てる音楽の魔力というものをまじまじと見せつけられたし、音楽を愛する僕自身を振り返る契機にもなった。

ここ数日、ブラームスの

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