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にがうりの人

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2020年9月の記事一覧

にがうりの人 #43
(汚れた断罪)

にがうりの人 #43 (汚れた断罪)

 夜になりようやく静かになった事務所で高峰はたまっている案件にとりかかっていた。私は彼のデスクに歩み寄った。

「高峰さん」

 それ以上、言葉が出なかった。高峰を疑った自分の愚かさ、浅はかさを呪った。彼は私を察し、再び力ないぼやけた笑顔を浮かべた。

「大丈夫だ。人の噂も七十五日って言うだろ。君は気にせずにいたらいいんだ」

 だが、高峰が抗弁しないのをいい事に記事は日に日にエスカレートしていっ

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にがうりの人 #44
(隠匿の果てに)

にがうりの人 #44 (隠匿の果てに)

「黙ってちゃわからへんねん。やめて下さい、お願いします、やろ」

 後頭部に蒲田の足が置かれ、そして押し付けられる。その拍子に首が曲がり、頬に床の無機質な固さが痛みに変わる。蒲田の後ろに居た彼の秘書と目が合ったが、彼女はすぐに反らした。

「やめて下さい。お願いします」

 言葉が微動している。まるで犬であった。いや、まだ犬のほうが尊厳を守られているであろう。まともな人間ならばこの場合相手を殴りつ

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にがうりの人 #45
(闇に浮かぶ)

にがうりの人 #45 (闇に浮かぶ)

 病院に運ばれ、高峰の死亡が確認された。警察の現場検証も行われ、自殺と断定された。

 しかし、私の見解は違った。

 これは紛れも無い殺人である。
 巧妙に仕掛けられた罠に嵌められ、じわじわと追い詰められた末、彼は自らの命を絶った。これが殺人と言わずして何なのか。

 見当違いとは分かっていた。しかし私は気持ちを抑えきれず、警察に猛抗議した。年配の刑事は私の話を全て聞き終えると、深いため息をつい

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にがうりの人 #46
(彷徨う袋小路)

にがうりの人 #46 (彷徨う袋小路)

「この国で一日に何人の人間が消されていると思う?」

 唐突な質問に私は虚を突かれ二の句が継げない。
「今あんたの思った何十倍もいるんだよ。ただ公表されていないだけでな」
 男はまるでその目で見てきたように言って煙草に火をつける。その様子は慣れていないのか妙にたどたどしい。
「世界に存在する法治国家なんてもんは名ばかりだ。その看板掲げときゃ国民はおとなしくなるからな。だが世の中を動かしているのは金

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にがうりの人 #47
(鈍重な刃)

にがうりの人 #47 (鈍重な刃)

 それでも私は復讐の為に様々な手段を試みた。しかし到底私などのような弱者に出来る事は限られており、全てなしのつぶてに終わった。
 男の言うとおり、どうやら蒲田はその大きさすらわからない権力を背景に私の手の届かない場所にいるようだった。マスコミはおろか、警察及び行政機関までもが私の告発を受け入れようとしない。八方を塞がれた私は理性を失い、錯乱した。

✴︎

 その日、蒲田が自ら経営する六本木のクラ

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にがうりの人 #48
(暴虐か懺悔か)

にがうりの人 #48 (暴虐か懺悔か)

 その刹那、私の手に激痛が走った。ナイフが地に落ち、朝の静寂に亀裂を入れた。ここぞとばかりにカラスがぎゃあぎゃあと鳴く。再び誰かが悲鳴を上げた。
 そこで澱んでいた聴覚が鮮明となり、気が付けば私は腕を捻り上げられていた。蒲田はボディーガードに体を引かれたせいで地べたにへたり込んでいる。

「お前、何者だ」

 私の腕をさらに締め上げると、大男は詰問してくる。蒲田は目を細めて私を確認すると、顔色を取

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にがうりの人 #49
(不可逆の末路)

にがうりの人 #49 (不可逆の末路)

「あの人が命を呈して守ったあなたが死んでしまったら、意味が無いでしょう」
 そう呟くと彼女はうつむき、そして大粒の涙をはらはらとこぼした。
 悔しいはずだった。私の命を守ったとしたら、高峰は犬死に同然である。私のような人間に関わったばかりに人生を、そして家族は高峰を失った。
 理不尽すぎる。しかしそれが現実だった。
 人間は自身で答えの出ない現象や体験をあたかも運命という二文字を用いて答えが出たよ

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にがうりの人 #50
(陶酔する闇)

にがうりの人 #50 (陶酔する闇)

「ほう」

 目の前の男は私の話を聞き終えると、頬杖をついてうす笑みを浮かべた。
「なかなか面白いじゃねえか」
 相変わらずライターをいじる甲高い音を立てている。私は口を閉ざしていた。
「結局、泣き寝入りってわけか。世間は冷たいもんだな。まあ、でも今はこうしてその経験も金になっている。分からねえもんだ」
 ようやく耳障りな音を止め、男は煙草に火をつけた。いつのまにか灰皿は吸殻で一杯になっている。

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にがうりの人 #51
(嫌な女)

にがうりの人 #51 (嫌な女)

「ねえ、にがうりさん」

 後部で聞き覚えのある声が聞こえてきた。頬が痙攣する。私は恐る恐る振り返った。
「相変わらずつまらない商売してるね」
 女は詠嘆口調で言った。後ろのボックス席で頬杖をついている。
「また盗み聞きですか。悪趣味ですね」
 女の存在に腹が立ったが感情を抑え、あえて丁寧な口調で答えた。向こうのペースに乗る事はない。
「もうそろそろネタ切れなんじゃない?それともこれから仕入れるわ

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にがうりの人 #52
(寂寞の星空)

にがうりの人 #52 (寂寞の星空)

「適当に答えないでよ。キャバ嬢だよ、キャバ嬢」女は私の肩をはたきながらケラケラと軽薄な笑い声をあげた。

 キャバクラ嬢といえばドレスを身にまとい綺麗にメイクをしている浮世離れした印象なのだが、目の前の女はジャージ姿である。首から上は確かにメイクが施されているが、接客業とはほど遠い気がする。そういう意味では浮世離れしているのか。
「こういう仕事しているといろんな人間と話す機会があるんだけど」
 私

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にがうりの人 #53
(諦観の臍)

にがうりの人 #53 (諦観の臍)

 なにかと口を挟むキャバクラ嬢に私は辟易していた。しかしながら何もかもを見透かしたような態度に苛立ちを感じながらも、ある種の興味がある事も否めなかった。
 この仕事を始めてからというもの地位や名誉を背景にしたお世辞にも品があるとは言えない人間の相手ばかりをしてきた。もちろんそういった質の人間が存在するからこそ私の仕事が成り立つという事も分かっている。だからこそなのだろうか。
 しかし女の言葉にいち

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にがうりの人 #54
(三の矢)

にがうりの人 #54 (三の矢)

 私は呼吸を整え、いつもと変わらない取引の説明を始めた。男は時折、細かい質問を投げてくる以外は小刻みに頷きながら真剣に聞いている。
 前客からの紹介資料ではどうやら出版関係の仕事をしているらしい。彼がどの程度の資産家なのかは分からない。いや、私にとってみれば、資産家や政治家などの高い地位につく人間がもつ人脈が大事なのであって、その取引相手が金を持っていようがいまいがどうでもよく、庶民からは異質に見

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にがうりの人 #55
(悽愴の時代)

にがうりの人 #55 (悽愴の時代)

 私の家族はもともと都内に暮らしており、父親は小さな町工場の従業員だった。ボーナスはおろか、給料の支払いもままならない程の零細企業であり貧窮を極めたが、それでも懸命に働いていた。
 休みの日になると母が弁当を作ってくれて家族で公園へ出かけたりもした。経済的に厳しい我が家ではそれが精一杯だったのだ。私が随分幼い頃の話だが、それでも暖かい日差しや父と母の笑顔を記憶している。
 貧困を絵に書いたような家

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にがうりの人 #56
(禍々しい色)

にがうりの人 #56 (禍々しい色)

 子供は大人が思っている以上に残酷で狡猾である。成熟した理性が備わっていない分、コミュニティの中で時にそれが正義となり得るのだ。
 何不自由ない生活の中で逃げ場を探す。それが私にとって「生きる」事になっていた。そしてその手段に自殺も考えるようになった。矛盾した行為だが、もはやそれくらいしか手立てが無かった。
 追い詰められ、気がついた時には病院のベッドの上だった。どこで覚えたのか自室のドアノブにロ

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