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ozzy
2020年7月15日 07:17
私を見つけると彼らはまず好奇の眼差しを浴びせてくる。 そして次に嬉々とした笑みをこぼす。 私の前に現れる大半の人間が示す反応であった ゴルフセーターを着た恰幅の良い中年男性が例に漏れず私を見ると、憎たらしい笑みをこぼしヤニで黄ばんだ歯を見せた。 彼は誰もが一度は名を聞く某有名大企業の会長である。だが、皮肉な事に彼の名前は知っていても顔と一致する人間はなかなかいない。経営者など所詮そんな
2020年7月15日 07:30
目の前の某有名経営者もその物好きの一人である。私は一見の顧客は受け入れないため完全紹介制をとっており、彼も前客からの紹介であった。 「で、どんな話だ?」 まるでお預けを食らっている犬のように彼は今にも涎を垂らしそうな勢いである。息づかいまで荒くなっているのではと見紛うほどだ。 だが私は動じない。あくまで商売なのだ。そしてそのための契約がある。いつもどおり前もって請求金額の確認をする。「
2020年7月16日 07:30
「もっともらしくのたまいやがって。本当に俺が満足いくような話なんだろうな?」 私は心の底で軽蔑していた。自ら依頼しているにも関わらずこの図々しい態度にである。下品で無遠慮でそして吝嗇ぶりにはほとほと嫌気がさす。が、そんなそぶりはおくびにも出さない。「私のこの商売が紹介制で今までずっと継続していることがなによりの証拠です」 彼は再び口元を微かに緩めると「それもそうだな」とスラックスのポケットか
2020年7月17日 07:30
時刻は午前二時を過ぎている。店内を見回すと若いカップルと水商売らしき女が居眠りをしているだけである。私は会計を済ませると店を出て、タクシーを拾う為に駅へ向かった。 駅前のロータリーに出ると、タクシーの数珠つなぎが見えた。それは需要と供給のバランスが崩れたこの国の縮図となり、数年前から続く光景である。私はようやく出番の回ってきたと思われる個人タクシーに乗車し、行き先を告げた。気の利いた運転手
2020年7月18日 07:30
商談相手には様々な人間が多い。経営者から、政治家、果ては芸能人まで。どのように私の過去を利用するかはそれぞれだが共通しているのは金があるという事。それも素人の話に金を払うくらいだから、そんじょそこいらの成金ではない。 だからこの商売にもある程度理解を示し、クレームもつけない。もちろん私の営業努力も効を奏していると自負している。紹介制によってまず依頼者の情報を入手し、希望に添った話を提供する。そ
2020年7月20日 07:33
商談の場は三軒のファミリーレストランをランダムに利用している。今日は国道沿いの駅から距離のある場所である。 客よりも先に到着し、客よりも後に帰る。それが私のポリシーだ。 店内に入ると私は店員に窓際の席へと案内された。平日の深夜という事もあり客の数はまばらであったが、時折外からくぐもって聞こえる車の走行音と店内に流れるBGMが雰囲気を暖かくしている。 私はホットコーヒーを一つ注文した。気
2020年7月21日 07:30
中学生の頃に両親を亡くし身寄りのなかった私は施設で育った。そんな環境であるから生活は自分自身の力で為さねばならなく、高校を卒業すると当たり前のように働きだした。それは生活の為だけではなく、夜間制の大学に通うために学費を稼ぐという目的があった。昼間は近所のスーパーマーケットで夜は大学の講義と一日の時間という時間は殆どそれらで忙殺されていた。 初対面の人間は多感な時期に両親を亡くした私の生い立ちを
2020年7月22日 07:30
何より私が彼女に一目を置いたのは、現況に対して愚痴をこぼさない事である。無論、私はその時の環境にずいぶんと慣れてきていたし、不満を口にしてもなんら糧にならないことは十分理解していた。 私は彼女の価値観が好きだったのだ。 私達は経済的に余裕が無くとも、なんとか毎日を楽しく過ごしていたのである。お互いに支えあっていたなどという安易で陳腐な言い回しはしたくないが、あながち否定も出来ない。 幸せ
2020年7月23日 07:35
彼女はカレーライスを盛った皿をテーブルに置いた。白米とカレーの濃厚な香りがふんわりと辺りを支配する。私は女性の部屋にあがるという初めての行為の緊張からか、忘れていた空腹感をその時思い出した。「食べて食べて」 私は言われるままほおばった。目の前の料理は美味いのか、そうでないのか。どちらにしても私の返答は変わらないが出来れば嘘はつかず、素直な気持ちを言葉にしたい。 しかし私の心配は杞憂に過ぎ
2020年7月24日 07:30
「俺の知らない趣味とかあるの?」「私の事はもういいじゃない」 成美は私の言葉を遮るようにコーヒーカップを手に立ちあがると振り向きもせずにすげなく言った。そこからもう一踏ん張りする勇気は無い。むしろ諦めというより、彼女に対する信頼と考える事にした。 しかし現実にはその考え方が自らを疑心暗鬼にさせるスタートなのだが、それを恋は盲目というものかもしれない。実際、盲目で結構と思っていた節もある。
2020年7月25日 07:30
職場であるスーパーマーケットの斜向かいには「喫茶アラタ」がぽつねんと身を潜めるようにある。昔ながらの小さな店構えで、白髪で老眼鏡をかけたマスターがコポコポと音を立て、琥珀色の液体を注いでいる様子は妙に哀愁があって私はいたく気に入っていた。 店内には窓際にカップルが一組いるだけである。私は一番奥の席でホットコーヒーをすすりながら榊を待っていた。そうして暫くの間、彼について考えていた。 榊は半
2020年7月27日 07:30
「お前のその疑心暗鬼はすれ違いの原因になる。実際お前だって俺なんかに相談するって事は彼女になんらかの疑いを持ち始めているって事だろう?」 私が小さく肯くと榊は微笑んだ。「恋人同士なら素直な気持ちをぶつけ合えばいいんだよ。案外それで解決したりするもんなんだから。別にかっこ悪いことじゃないと思うぜ、俺は」榊はまるで台詞を諳んじるようだった。「そう言われるとそうなんですけど」 私はまだ煮え切
2020年7月28日 07:30
しばらく時間を潰してから帰宅すると、玄関の前に成美が立っていた。私の顔を見ると手にしていた買い物袋を掲げて笑った。「ご飯食べてないでしょ?」 成美は台所に入ると慣れた手つきで夕食の支度を始めた。「成美、ちょっと話したいことがあるんだ」 冷蔵庫を覗いている成美は不思議そうな顔をして振り返った。私はベッドの上に胡坐をかいて彼女の手が空くのを待った。「何?」 エプロンで手を拭きつつ彼女は
2020年7月29日 07:30
「よかったじゃないか」 心底そう思った。肉親が居ない私は彼女のこれまでしてきた苦労をまるで自分の事のように感じていたからだ。 それは目に見える苦労だけでなく、孤独という救いようの無い重荷の事もである。本当の孤独というものは、この平和な世の中で感じることは然程ない。だが、私達は抗えない。 血のつながりのない孤独。 それを受け入れざるを得ない現実。 救いようがない苦労はどんな言葉でも癒される