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にがうりの人 #1 (静かな夜に)

 私を見つけると彼らはまず好奇の眼差しを浴びせてくる。
 そして次に嬉々とした笑みをこぼす。
 私の前に現れる大半の人間が示す反応であった

 ゴルフセーターを着た恰幅の良い中年男性が例に漏れず私を見ると、憎たらしい笑みをこぼしヤニで黄ばんだ歯を見せた。
 彼は誰もが一度は名を聞く某有名大企業の会長である。だが、皮肉な事に彼の名前は知っていても顔と一致する人間はなかなかいない。経営者など所詮そんなものだ。
 この深夜のファミリーレストランでも誰一人として彼に気づく者は居なかった。しかし、私が商談場所にあえてファミリーレストランを選ぶ理由はそれだけではない。

 辺りに気を配りながら会話をする私にとって人の話に耳をそばだてている人間を見抜くのは容易い。表情を見れば一目瞭然であり、連れとの話も上の空になっているものだ。そうなれば、私もそれ相応の話し方に変えるだけなのだ。
 見通しの良い、深い時間のファミリーレストランは私のような者にはお誂え向きと言えるのである。

 なぜ、ここまでして私が他人の耳目に細心の注意を払うのか。これから彼に話す事は誰にも聞かれてはならないからだ。それは決して法を犯しているだとか公序良俗に反する事ではなく、私の持論に由来する。
 人の経験には著作権が発生し、その人自身唯一の財産である。この理論を元にするからこそ、私の商売が成り立つという訳なのだ。

 私は自らの過去を切り売りしている。

 その過去とは私にとって赤裸々で生々しく、悽愴で目を背けたいものである。葬り去りたい過去を私はあえて商品にしている。そんなものに一体何の価値があるのか。
 だが、世の中に必要とされないものは何一つ無いのだ。むしろ私が扱っているこの商品は一部の人間からの需要がかなり大きい。

 人間が一番好む事は他人の不幸である。だが、これほど社会にとって不道徳な事は無く、タブー視されるものもない。

 ではそれを手に入れる事が出来るのは誰なのか。

 成功者である。いや、厳密に言うと金である。金で幸せを買うというのは詭弁であり、真実は金で他人の不幸を買うという事が彼らにとって贅の極み、つまり幸福なのである。
 彼らはそうしてただでさえ開いている自分と他人との差をさらに広げようとするのだ。常識で考えれば尾籠の極み、下品そのものなのだが私にとって彼らは格好の上客であり目的であり手段であるのだ。それゆえ、そんな野暮な事は決して口にしない。

続く

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