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泳げない海亀 #1 (Lose your touch)

 大きなため息が夜の闇へと消え、やがて川底に沈んだ。街灯はその下を照らすだけでより一層辺りを寂しくさせている。無言のまま四人は河川敷を歩いていた。 「全然変わらねえな」  肩に食い込むギターケースを背負い直すと、忍はぼそりとこぼした。それが先程までスタジオでこねくり回していた新曲の事なのか、それとも自分たちが置かれている状況の事なのか昇太には判然としなかった。ふと隼人に目を向けると相変わらず泰然とした表情で遠くに視線を送っている。 「何が?」昇太はあえて軽く聞き返した。  漠

    • 泳げない海亀 #最終話(Break a leg)

       蛙の鳴き声がうるさい。  西日が頬を照りつけ、春先だというのにじんわりと汗が滲むほど暑かった。  畦道の端に軽トラックを停め、「大涌電器店」と刺繍された作業着の胸ポケットから数年ぶりに買ったタバコを取り出すと火をつけた。ゴホゴホとむせはしたが、舌の上をピリピリと渋い香りが懐かしい。短く刈った頭を撫でながら遠くに目をやる。霞の中に見える稜線が美しい。  安いカーオーディオからラジオが流れている。そろそろ時間だ。まさかここ四国で彼らの音楽を聴けるとは思わなかった。柊から連絡を

      • 泳げない海亀 #91(Separate ways)

         ネルソンが裏で手を回さずとも「ワク」が世に出る事は無かった。ちょっとした騒ぎにはなったものの、当の本人と連絡が取れなくなり、姿も現さなくなると話題自体が急激に収束していった。  それと同時進行的にロガーヘッドの人気もスキャンダラスな噂ばかりが目立つようになり、目に見えて落ちて行った。           ✴︎  週四回行っていたバンド練習も徐々に回数が減り、挙げ句の果てには懇意にしていたボーカルであるサクライの欠席が目に付くようになった。 「ふざけやがって。あいつ、どう

        • 泳げない海亀 #90(Bite the bullet)

           柊はネルソンレコーディングスの社長室の前に立っていた。ノックをすると「どうぞ」と聞こえ、ドアを開け中へ入る。デスクの後ろに嵌め込まれた大きな窓から外を眺めている大男がゆっくりと振り返った。 「久しぶりね」  柊はその声に一瞬身体を強張らせる。 「どうなってるのよ?」  主語のない問いかけだが、何を指しているのかは分かる。  ワクの事だ。  サンアンドロックフェスティバルが終わるとすぐに連絡が入り、探りを入れて欲しいと密かに頼まれていた。 「彼は」言いかけて唾を飲み込み、再び

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        泳げない海亀 #1 (Lose your touch)

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          泳げない海亀 #89(Stay gold)

           何年住んだのだろうか。  家賃五万円の都心から離れた郊外の安アパートの一室で昇太は荷造りしながらふと思った。  学生の時分から生活したその部屋は当時の思い出も沢山あった。引き出しの奥をあされば自作したフライヤーや、初めて制作したデモテープがごっそり出てきた。ライブハウスで共演したミュージシャン達から貰った音源も沢山ある。そのほとんどが日の目を見ずに消えてゆき、今ではまさに夢の欠片がそこにうもれていた。  音楽の興奮と希望、そして闇。  様々な側面を垣間見る事が出来た自

          泳げない海亀 #89(Stay gold)

          泳げない海亀 #88(It’s not rocket science)

           柊が立ち去りしばらくすると相変わらず仏頂面の男が昇太に近寄ってきた。 「また不景気な顔してるなあ」  昇太は口元をへの字に歪ませた。 「それは皮肉か?」  隼人は目も合わさずに呟くとコーヒーを注文する。 「死んだ人間になんの用ですか?」  昇太は卑屈な笑みを浮かべて言った。  知り合ってから今まで隼人から誘いを受けたことはほとんど無い。だが、今回は話があるとわざわざ連絡をよこしたのだ。大事な話など用済みの自分にあるはずもない。 「元気か?」  隼人が聞いた。  それこ

          泳げない海亀 #88(It’s not rocket science)

          泳げない海亀 #87(Music to his ears)

           昇太は黙ったままだった。  だが、しばらくすると微笑んで柊を見た。 「やることは全てやったんですよ」 表現者として生きるのならば全てを出し尽くす事はありえない。日々破壊と再生を繰り返し、新しい何かを創造する。それは命ある限り使命であり、そうあるべきだと昇太も思っていた。  だが、自分は違った。  あのステージで変わった。 「ワクさんにはまだまだやれる事があります」  柊は身を乗り出した。渋るアーティストを説得するのも自分の役目だと思っている。しかし、それ以上に目の

          泳げない海亀 #87(Music to his ears)

          泳げない海亀 #86(Have a crush on)

          「ちょっと待ってくださいよ。俺達はネルさんの計画に乗っただけで」  光明が両手をばたつかせてネルソンに詰め寄る。 「ふふ、無責任なもんね。あたしは何度も聞いたわよ?本当にやるのね?って」  狡猾な笑みを浮かべるネルソンに返す言葉がない。 「あいつ、自力で這い上がってきたんじゃないかな」  隼人が暗がりの中でぼそりと呟いた。 「そんなこと出来るわけねえだろ。もしそうだとしたら俺達がやってきたことは一体なんだったって言うんだ」  売れる為にボーカルを殺した。  そして地位も名

          泳げない海亀 #86(Have a crush on)

          泳げない海亀 #85(Have second thoughts)

           皆が聴き入っている。  やがて風が過ぎ去るように音が止む。  一瞬の静寂の後、大歓声が押し寄せた。昇太は初めて笑顔をこぼした。 「ありがとう」  手を上げ、一礼する。 「今日は最高でした」  袖に引き返す間も背後から歓声がとめどなく降りかかってきていた。           ✴︎  サンアンドロックフェスティバルの出演以来、昇太には怒涛のような取材とライブの申し入れが殺到した。大きなイベントで有名アーティストを出し抜き、多くの観客を魅了したとなれば無理もない。既にレ

          泳げない海亀 #85(Have second thoughts)

          泳げない海亀 #84(Reinvent the wheel)

           溢れかえった観客が一様に盛り上がっている。カオスに近い光景はもはやロガーヘッドのそれとは比較にならぬほど、異常な熱気を帯びていた。           ✴︎ 「どうしたんだ」  忍とサクライがビールを片手にヘラヘラと近づいてくる。が、二人も驚きですぐに言葉を失う。 「どうなっているんですかね」  光明が山火事でも眺めるように力なく呟く。 「あいつ、誰なんだ」サクライの語気が荒い。忍も眉間を寄せて目を凝らすがサイドコアステージは遠くて分からない。今安がすぐさま抱えていた出

          泳げない海亀 #84(Reinvent the wheel)

          泳げない海亀 #83(Butterflies in the stomach)

           いつしかステージの前は人だかりが増え、初めて聴くその演奏に身体を動かし、声を上げる。  それはまるで初期衝動、踊りたい者が踊り、歌いたい者が歌う純粋な欲望が溢れていた。  いつもの通り、何も変わらない。  昇太は淡々と演奏する。  だが、その得体の知れない男が放つグルーヴが人を集め、続けざまに三曲を終える頃には既に満杯の客に入場規制までが敷かれていた。 「ほら、僕の目に狂いはなかった」  ステージの袖で顔を紅潮させた柊が目を輝かせて呟いた。           ✴︎

          泳げない海亀 #83(Butterflies in the stomach)

          泳げない海亀 #82(Take the stage)

           サイドコアステージの隅で昇太はその音を聴いた。とてつもないエネルギーとそれに呼応するような観客の熱。曲の半分は自分が書いたものだったが、それを昇華するロガーヘッドをただただ単純に凄いと思った。  何故出演に踏み切ったのか、自分でもよくわからない。自力で這い上がってきた己を見せつける為なのか、間近で彼等の音を聴きたかったのか、あるいは復讐したかったのか。同じイベントに出演する事に意味は無いようにも思えた。  しかし、やりたい事をただ素直にやった結果として此処にいるのならば、

          泳げない海亀 #82(Take the stage)

          泳げない海亀 #81(Like taking candy from a baby)

           グレイトフルステージは既にロガーヘッド目当ての観客で溢れ、始まる前から歓声があがりボルテージは高まっていた。軽やかなSEが流れ四人が登場するやいなや観衆の手があがる。  まるで演説前の独裁者だ、と忍は思い含み笑いをした。  右腕を一振りしてギターをかき鳴らすと、轟音が広大な会場を揺らす。続いて隼人のドラムがリズムを刻み出すと再び歓声があがり、人の海が揺れ出した。  昇太がいなくなってからライブのオープニングで必ずやるようになった曲「ボーンアゲイン」だ。  波動のようなベー

          泳げない海亀 #81(Like taking candy from a baby)

          泳げない海亀 #80(Take a stage)

           海に近いからか湿気を含んだ空気に砂埃が混じり、さらには大勢の観客の熱気もあいまって会場は混沌としていた。  千葉県の広大な海浜公園に設営された会場はおよそ二万人の入場者でごった返し、フードや物販のブースが所狭しと並んでいるがどこも長蛇の列だ。二つの向かい合うように設営されたステージでは人気アーティストとまだ駆け出しのミュージシャンが交互にパフォーマンスをし、会場を盛り上げていた。  バックステージに張られたテントは出演者やスタッフが楽屋として使い、談笑したり体を動かした

          泳げない海亀 #80(Take a stage)

          泳げない海亀 #79(Make good time)

          「ご存知かどうか分かりませんが、この夏、サンアンドロックフェスティバルという野外イベントをうちで企画致しまして、もしよろしければ出演して頂けないかと」  サンアンドロックフェスティバルは四年程前に始まった野外ライブイベントである。柊は学生の頃からイベンターとして様々なライブやイベントを企画していた。そこでの人脈やコネを利用し初めて企画した野外イベントで新進気鋭のミュージシャンはもちろん、大物ミュージシャンも招聘する事に成功した。それこそがサンアンドロックフェスティバルであり

          泳げない海亀 #79(Make good time)

          泳げない海亀 #78(Reinvent the wheel)

           太陽が地面を照りつけ、跳ね返る。  初夏とはいえ日差しは強い。それを避けるように木立の下には様々な商品を陳列した茣蓙がずらっと並んでいる。  代々木公園では大規模なフリーマーケットが催され、そこここで笑い声や歓声が上がっていた。中央に設営されたこじんまりとしたステージではミュージシャンが好き勝手に演奏を繰り広げている。昇太はその傍らでアコースティックギターを抱えてチューニングをしていた。 「次あたりやれば?」  金髪の男が笑顔で昇太に声をかけた。名前も知らずストリートやこ

          泳げない海亀 #78(Reinvent the wheel)