見出し画像

泳げない海亀 #1 (Lose your touch)

 大きなため息が夜の闇へと消え、やがて川底に沈んだ。街灯はその下を照らすだけでより一層辺りを寂しくさせている。無言のまま四人は河川敷を歩いていた。
「全然変わらねえな」
 肩に食い込むギターケースを背負い直すと、忍はぼそりとこぼした。それが先程までスタジオでこねくり回していた新曲の事なのか、それとも自分たちが置かれている状況の事なのか昇太には判然としなかった。ふと隼人に目を向けると相変わらず泰然とした表情で遠くに視線を送っている。
「何が?」昇太はあえて軽く聞き返した。
 漠然と停滞している事は分かっている。しかし目を背けてしまいたい現実だった。それ故、具体的に聞きたくなかったし、分からないふりをした。
「ショウさんも気付いてるでしょ」
 光明が苦笑しながら昇太を見た。リュックサックのように背負ったベースが猫背で小柄な彼の影を大きく見せていた
「何もかもだよ」
 そう言って忍はこれ見よがしに再び大きなため息をついた。遠くに見える集合住宅の灯りでも見つめているのか昇太からは前を歩く隼人の表情は見えない。光明も腕を組みながら下を向くばかりだった。

 タバコの先がちりちりと音を立てている。息なのか煙なのか分からない白いものを吐き出してようやく隼人が振り向いて口を開いた。
「飲みにでも行くか」
 一瞬ではあったがふわっと空気が暖かくなる。
「良いですね。久しぶりに行きましょうよ。ねえ、シノさん?」光明が顔を上げた。
 忍はまだ不貞腐れたような顔をしていたが、渋々頷く。
 大通りが見えてきた。もう寂しさは無く、灯りがまぶしいくらいだ。それが儚くも見え、それでいて憧れに近いような気がし、昇太の心は柔らかくなった。

          ✴︎

 一杯めのビールを飲み干して、酒が弱い忍がいつも以上に口数を多くしている。平日のためかチェーンの居酒屋店には客が少ない。それもあって忍の声は大きくなる一方だ。
「俺らは何の為に音楽をやっているんだ?自分の為か?」
 光明がテーブルの上に落ちた枝豆の皮を片付けながら頷いた。
「当たり前ですよ。じゃなきゃこんな大変な世界に頭突っ込みますか。好きだから出来るんです」
「好きだから出来る?馬鹿言うな。そうじゃねえよ。そんなの超越したもんだろうが。大体な、これだけ音楽ばっかりやってて今更音楽が大好きでやってるんですなんてよく言えたもんだよ」
 こういう議論は不毛な気がしてならないが、昇太も嫌いではなかった。唐揚げをつまみつつ、加わる。
「いや、光明の言いたい事も分かるよ。でもそれだけじゃやっていけない部分もあるしな。実際、音楽だけで完結する問題でもない。ライブもそうだし、新曲作る事だって現実は大変だよ」
「いや、ショウさんは分かっていない。確かに曲も書いているし、ボーカルとしての苦労も分かるけど僕達にはある意味裏方としての不安もあるんですよ。だからこそ」
「そんなまわりくどい話はもういいんじゃないか」
 光明の熱弁を遮って冷静な声で隼人が軌道修正する。はっと我に返り昇太は恥ずかしくなった。忍が大きく頷く。
「そうなんだよ。隼人兄さんのお察しの通り、俺らがいま抱えている問題は今、この現状のことだろ」
 忍がそう言って人差し指を昇太に向けた。

続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?