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泳げない海亀 #79(Make good time)

「ご存知かどうか分かりませんが、この夏、サンアンドロックフェスティバルという野外イベントをうちで企画致しまして、もしよろしければ出演して頂けないかと」

 サンアンドロックフェスティバルは四年程前に始まった野外ライブイベントである。柊は学生の頃からイベンターとして様々なライブやイベントを企画していた。そこでの人脈やコネを利用し初めて企画した野外イベントで新進気鋭のミュージシャンはもちろん、大物ミュージシャンも招聘する事に成功した。それこそがサンアンドロックフェスティバルであり今や数ある野外ライブイベントの中でも人気フェスへと成長した。
 用意されるステージは二つある。一つは知名度や人気の高いアーティストが出演するグレイトフルステージ。もう一つは駆け出しだが、将来性のあるアーティストが出演するサイドコアステージ。今回はサイドコアステージに立って欲しいとの事だった。

「悪いけど、あまり興味が無いので」
 昇太はそう言って名刺を返した。

 多くの観衆の前で演奏する事も魅力的であり、それこそが音楽家としての本懐であると言う者もいるだろう。だが、今の昇太にとってそれは取るに足らない事であり、それ以前に彼の信条はそこにない。
「いや、でも有名なアーティストが出演するんですよ。こんなチャンスなかなか無いかと思いますけど」
 どこか嫌らしさを感じる言い回しだが、若さ故なのかと内心苦笑しながら差し出されたフライヤーに渋々目をやる。

と、同時に得体の知れない感情がどっと湧き上がるのを感じた。

 出演者の中にロガーヘッドの名があった。

 何の因果なのか。
 まるで悟りを開いた僧のように音楽と野望を切り離していた自分に再燃するあの頃のギラついた感情。それが何であるのか昇太にも分からない。ただ、抑制しきれない初期衝動のような感覚に囚われ、勝手に口走っていた。
「俺、出ますよ」
 傍で金髪が驚き、柊がしきりに礼を言うが、もはや昇太の耳には入らなかった。

 ロガーヘッドと同じステージに立つ。

 それが昇太の頭の中でぐるぐると回り、沸騰しているだけだった。

続く

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