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泳げない海亀 #84(Reinvent the wheel)

 溢れかえった観客が一様に盛り上がっている。カオスに近い光景はもはやロガーヘッドのそれとは比較にならぬほど、異常な熱気を帯びていた。

          ✴︎

「どうしたんだ」
 忍とサクライがビールを片手にヘラヘラと近づいてくる。が、二人も驚きですぐに言葉を失う。
「どうなっているんですかね」
 光明が山火事でも眺めるように力なく呟く。
「あいつ、誰なんだ」サクライの語気が荒い。忍も眉間を寄せて目を凝らすがサイドコアステージは遠くて分からない。今安がすぐさま抱えていた出演者リストを開き、タイムテーブルの現在時刻を指差す。
「ワ、ワク?」
「ワク?聞いたことねえな。素人か」
 忍もたじろいでいた。まさか人気アーティストの仲間入りをした自分達よりも後の出順で観客を魅了するとなったら立つ瀬がない。

「あれは素人なんかじゃないな」隼人が珍しく目を輝かせている。
「あんなもん、物珍しいだけだろ」
 忍が鼻を鳴らすと横でサクライもしきりに頷いた。
「一発屋ってとこだな。俺らとは違うよ」
「ああ。俺達とは違う」
 隼人はそう言って微笑し目を伏せる。そしてキッと口角を上げ視線を再びステージに向けた。

「俺達よりずっと遠いところにいる」

          ✴︎

 会場に昇太のグルーヴが溶け込み、それが観客と一体となっている。昇太は演奏を終え、再びマイクに向かった。場内が静まり返る。
「ありがとう。次が最後です」
 それだけ言うと再び椅子に座り、抱えたギターに目をやる。

 こすれた指板。
 傷ついたピックガード。
 蓄積された年月がそこにあった。

 思えば音楽を志して十数年、辿り着いた結果が今で、そしてその都度考えてきた。
 人生に後悔がない者などいるのだろうか。
 あったとしても前へ進まなければならない。
 だとしたら、何はともあれその瞬間を楽しめばいいのではないか。

 過去も未来もない。
 存在するのは、今、この時だ。


 涙が頬を伝う。ここのところ感傷的になりすぎる。
 歳、とったな。
 ふとそんなことを思い、口元を緩めた。

「ステイゴールド」

 一つ、言葉を置きギターを弾き始める。シンプルなコード進行に歌を乗せて行く。

 信じれば信じるほど愚かになっていく。

 俺は俺の道を行けばいいのか。

 君の道で寄り添い歩けばいいのか。

 何かを忘れてきたのか

 何かを忘れようとしたのか。

 唯一あの気持ちは
 あの頃のままで

 歌いながら相変わらずセンスのない歌詞だな、と昇太は思いながらも、哀愁に似た気持ちを覚えた。
 ロガーヘッドへ最後に提供したこの曲は結果、彼等が歌うことはなかったけれど、それでも昇太が在籍したロガーヘッド最後の曲だ。メンバーと共に演奏する事は叶わなかったが、こうして歌えた事は大きな喜びだった。

続く

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